第5話 八〇年代のルールを言語化した村上春樹の『蛍』

文字数 1,014文字

 村上春樹の『蛍』の中に、以下のような一節があります。

 高校を卒業して東京に出てきた時、僕のやるべきことはひとつしかなかった。あらゆるものごとを深刻に考えすぎないようにすること――それだけだった 。※1

『蛍』というテクストにおいて、〈僕〉が「高校を卒業して東京に出てきた」年は1967年に設定されています。
 しかし、引用部の一節は、六〇年代というよりはむしろ、この短編が『中央公論』に発表された1983年における、〈わたしたち〉の心的態度を代弁していたと言った方がいいような気がします。
 強固なシステムに歯向かうのではなく、そのシステムと適度な距離をとり、できれば傷つかずに生きていきたい。それが八〇年代初期における日本人――特に若者たちの心的態度だったのではないでしょうか。
 そんな若者たちにとって、〈健さん〉は重すぎたのです。義理と人情に(あつ)い〈健さん〉は、観る者に〈古き良き日本〉を思い出させ、それは否応なく〈戦前〉と〈戦後〉の間に横たわる断絶を意識させ、その意味について考えることを強要するものであったからです。

 若者たちはもう「深刻に考え」たくありませんでした。映画に現実社会の闘争など反映させてもらいたくなかったのです。
 ただ、サブカルチャーとして映画を純粋に楽しみ、気楽に消費したい。そうした心情に、〈セーラー服と機関銃〉はぴったりと合致したからこそ、記録的なヒット作となり得たのです。

 男性中心且つ支配的な近代のシステムは、特に日本社会においては、学校にしろ、会社にしろ、閉鎖的な組織を形成していきました。またその内部構造は年功序列型であり、例えば学校の運動部等において、下級生は上級生に絶対服従を要求されていましたし(これは現在でもそうでしょう)、会社のサラリーマンたちは〈終身雇用〉(今では〈終身雇用〉は完全に崩壊しましたが)の美名の下、一つの会社の中で一歩一歩階段を昇るように生きていくことを要求されていました。
 そうした中で、〈少女〉は、近代的システムから自由――少なくとも

のです。

 これこそ、正にポップ・アイコンとしての〈少女〉が

瞬間であり、以後〈わたしたち〉は、自らを〈少女〉のイメージによって置き換えていくことになります。

※1 村上春樹『蛍・納屋を焼く・その他の短編』、新潮文庫、一九八七年、二九頁。周知の如く、この一節は『ノルウェイの森』で全く同じ形で繰り返される。
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