第14話 最後の問いかけ

文字数 3,327文字

〈涼宮ハルヒ〉は、反オタク的キャラクターです。
〈涼宮ハルヒ〉シリーズがライトノベルであり、それがオタク文化と密接な関係を持つとしても、〈ハルヒ〉という主人公がオタク文化を知悉し、そうした読者を意識するメタフィクション的存在だとしても――いや、そうであるからこそ、この〈少女〉は自ら反オタク的であろうとするのです。

 その結果――

〈ハルヒ〉は、ポップ・アイコンになりました。 
 
 そして更に――

〈ハルヒ〉は、2000年代前半の今を生きる〈わたしたち〉でもあるのです。

〈わたしたち〉は、この傍若無人で、元気いっぱいで、いつも「ものごっつい楽しそう 」※1な〈少女〉によって、〈わたしたち〉を取り巻いている、重く閉塞的な〈現実〉を置き換えた――あるいは置き換えようとしつつあり、また置き換えたいと強く願っているのです。

 そのこと自体は、むろん批判されるべき筋合いのものではありません。東日本大震災の折、〈ハルヒ〉のイラストが多くの人を励まし得たのは、ポップ・アイコンとしての彼女が(プラス)の力を持っていた証拠でしょう。
 
 でも――
 この置き換え行為には、どこか人を不安にさせるものが揺曳(ようえい)している気がします。

 例えば、2013年に発売された育成シュミレーションゲームの〈艦隊これくしょん〉(略称:艦これ)はかなりの人気を博し、メディアミックス戦略として、2015年にはアニメ版が放送され、2016年には劇場版も公開されました。この作品は戦時中に実在した旧日本海軍の艦隊を〈艦娘(かんむす)〉と呼ばれる〈少女〉に擬人化しています。私はアニメ版を少し見たのですが、予想以上に〈戦前〉的な、帝国主義的な内容でびっくりしました。
 それだけではありません。
 自衛官募集のポスターにまで、〈少女〉は登場しています。正直、私はこれらのポスターを見て慄然(りつぜん)としました。興味のある方は是非、『自衛官募集』HPを御覧下さい。※2

 八〇年代初期に〈発見〉して以来、〈わたしたち〉は〈少女〉を、〈現実〉に置き換え得る装置として、

消費してきたわけですが、そうした行為が

、あるいは

は、一体何だったのであり、また何なのでしょうか?

 さて、ここで確認しておきましょう。

〈わたしたち〉とは、誰なのか。

 それは広義の大衆文化(ポップカルチャー)を何らかの形で消費しており、その影響力と無縁ではあり得ない現代日本人の〈あなた〉であり、〈わたし〉です。
 
 2014年の〈紅白歌合戦〉に出演した薬師丸ひろ子が既に五十歳であることに吃驚(びっくり)し、そう言えば原田知世は今何してるんだろうと思った〈あなた〉であり、オタク文化はよくわからないと言いながら、2021年1月に公開される〈シン・エヴァンゲリオン劇場版〉※3がひそかに気になっている〈あなた〉であり、村上春樹はまたノーベル文学賞を獲れなかったなあ、と毎年同じ時期にニュースを見て思う〈あなた〉であり、2020年10月公開の〈劇場版「鬼滅の刃」無限列車編〉を見るために久しぶりに映画館へ行き、その後で原作マンガを大人買いしてしまった〈あなた〉であり、〈わたし〉です。

 2016年から2020年にかけて、『週刊少年ジャンプ』に連載されたマンガ『鬼滅の刃』、またそれを原作としたテレビアニメ(2020年4月~9月)や映画は、2020年現在最も影響力のあるサブカルチャーだといっても過言ではないでしょう。
 この作品では〈家族の絆〉が非常に美しく、また感動的に描かれているのですが、この〈絆〉という語がはっきりとプラスイメージで使われるようになったのは、東日本大震災以降である点に注意する必要があります。一つ例を挙げましょう。横溝正史の〈金田一〉シリーズの代表作の一つである『仮面舞踏会』(1974年)に、こんな台詞が出てきます。

「アメリカ軍の本土上陸は必至という状態であることを、日本人でも一部のひとは知っていた。あなたもそれをしっていた。(中略)日本が完敗したらどうなるか、聡明なあなたはそれを予見したのだ。それまであなたがよってもって生きてきた華族というものがどうなるか、華族のもっている恩典や栄典や特権が、塵芥のごとく無価値なものになるかもしれないということを、聡明なあなたは知っていたのだ。(中略)あなたは千代子さんを手離したくなかった。ところがあなたと千代子さんを結ぶ

は美沙ちゃんしかなかった。(後略)」※4(傍点部筆者)


 これは、旧華族である笛小路篤子が戦後日本の価値観の激変の中で自らの保身のために犯した罪を、名探偵金田一耕助が暴く場面です。ここでは、〈絆〉という言葉が極めてエゴイスティックに他者を縛るものとして使われています。
 実際、『精選版 日本国語大辞典』に拠れば、〈絆〉とは「人の心や行動の自由を束縛すること。人情にひかれて、自由に行動することの障害となること。また、そのようなもの」となっており、むしろマイナスイメージの言葉です。

 ところが、東日本大震災以降、〈絆〉という言葉は人と人との――特に家族間の、切っても切れない美しい結びつきを表す言葉として脚光を浴びました。『鬼滅の刃』の大ヒットは、そうした社会風潮の一つの帰結であったと言えるのかもしれません。
『鬼滅の刃』は、ある意味、〈絆〉という語の現在における用法――100%のプラスイメージを決定づけてしまった作品でもあるのです。
 この作品の面白さ、描かれた家族関係の美しさは本当に見事なのですが、家族というものをあまりに美化してしまう社会が、果たして

なのかという問題を、〈わたしたち〉は一度立ち止まって考えてみる必要がありそうです。
〈絆〉という言葉は、凛々しくやさしい竈門炭治郎や、愛らしい禰豆子のイメージと相まって、やはり

を覆い隠してしまってはいないでしょうか。

 では、最後の問いかけです。

〈わたしたち〉は、これからどうやって生きていくのか。

 未だ収束の見えないコロナ騒ぎは、確固として揺るぎなく見えていた戦後世界の〈大きな物語〉を変容させつつあります。

〈ハルヒ〉が、実際には宇宙人や未来人や超能力者に囲まれているという〈非日常〉の中にいながら、彼女だけその事実に気づかず、〈平和で穏やかな日常〉を疑うことなく毎日を過ごしているように、自らの〈現実〉を〈ハルヒ〉という〈少女〉によって置き換えてしまった〈わたしたち〉もまた、〈平和で穏やかな日常〉を

、これからも生きていくのでしょうか。
 いや、生きていけるのでしょうか?
 
 大袈裟だと思いますか。
 杞憂――中国古代の杞の国の人が、天の崩れ落ちてくるのを心配したという故事のように、荒唐無稽な戯言(たわごと)だと嗤われるかもしれません。
 
 それでも構わないのです。むしろ杞憂に終わればいいと心から願っています。

 とにかく、問いは既に投げられました。

〈あなた〉は、そして〈わたし〉は、つまり〈わたしたち〉は答えを出す――少なくとも出そうと努力する必要があると思います。
 その理由は他でもありません。

 ――この過酷な世界で、生き残るために。
                                     (了)

※1 〈涼宮ハルヒ〉シリーズ中、「SOS団」とはつかず離れず、微妙な距離感を保っている上級生鶴屋さんが、ハルヒとその団員たちを評する言葉(『涼宮ハルヒの陰謀』、角川スニーカー文庫、二〇〇五年、一四八頁)。
※2 『自衛官募集』サイト、URL:https://www.mod.go.jp/gsdf/jieikanbosyu/chihon/vol07.html
※3 本来は2021年1月23日公開の予定だったが、新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、上映の自粛・延期が公式サイトで発表された。現在(2021年2月5日)のところ、公開時期は未定である。「『シン・エヴァンゲリオン劇場版』公開 再延期のお知らせ」、URL:https://www.evangelion.co.jp/news/shineva2/
※4 横溝正史『仮面舞踏会』、角川文庫、一九七六年、五七六頁~五七七頁。
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