第6話 八〇年代初期に発見された二人の〈少女〉

文字数 1,428文字

〈セーラー服と機関銃〉撮影後、大学受験を理由に休業宣言していた薬師丸ひろ子の復帰作となった〈探偵物語〉(1983年)に、面白いセリフが出てきます。
 それは薬師丸ひろ子演じるヒロイン〈新井直美〉を、中年ヤクザの〈岡野〉が罵る時に使う〈小娘〉という言葉です。
〈小娘〉とは、そもそもどういう意味を表す語なのでしょうか。『大辞林』に拠れば、以下の通りです。

 一四、五歳ぐらいの娘。未熟な若い娘。いくぶんあざけりの気持ちで使われる。「 ― のくせに」

〈小娘〉という言葉は、組長の情婦との浮気がばれ、指を詰めさせられるハメになった中年ヤクザの岡野が、彼からすれば〈探偵ごっこ〉に過ぎない新井直美の推理のせいで、更に殺人容疑までかけられるシーンにおいて発せられます。

〈探偵物語〉では、ヒロイン〈新井直美〉の設定も、演じている薬師丸ひろ子と同じく大学生なのですが、〈岡野〉(故財津一郎が演じています)の目には、女子大生など浮気の対象として考えることすらできぬ〈未熟な若い娘〉に過ぎないことを、〈小娘〉という罵りの表現は示していると言えます。
 要するに、岡野にとって女性とは、〈成熟した女〉と〈未成熟な女〉の二種類しか存在せず、後者は〈未だ熟していない〉ために不完全な存在だということになるのです。
 
 女性を時間の流れの中で、〈未熟〉から〈成熟〉へ変化する存在として捉えるのは、何も〈岡野〉に限らず、従来のごく一般的な男性目線です。
 そして、そういう男性目線によって、変化の途中にある女性のある一時期だけを取り出し、フィルムの中に永遠に定着させてしまおうとする試みが、八〇年代初期の映画〈セーラー服と機関銃〉や〈時をかける少女〉だったと考えられます。

 本来、時空連続体において変化する存在だった〈未熟な若い娘〉は、時空から切り離されることによって、変化をしない存在としての〈少女〉になったのです。

 1981年の〈セーラー服と機関銃〉によって社会現象にまでなった十七歳の薬師丸ひろ子は、謂わば八〇年代において最初に発見された〈少女〉であり、1983年の〈時をかける少女〉(大林宣彦監督)によって登場した十六歳の原田知世は、二番目の〈少女〉として位置づけることができるかもしれません。
 ただ、最初の〈少女〉と二番目の〈少女〉の間には、単にどちらか一方が、他方よりデビューが早かったとか遅かったという以上の問題が内包されています。
 前者と後者の映画公開時には二年のタイム・ラグがあるのですが、その間に〈少女〉をめぐる状況がはっきりと変化を遂げていたのです。
 その変化とは何かと言えば、ノスタルジーの質的変化ということになります。

〈セーラー服と機関銃〉には、まだ七〇年代以前の日本の影が揺曳しています。前述したように、物語の枠組みは六〇年代の任侠もののそれと酷似しており、〈昭和残侠伝〉の特徴であったところの、戦前の日本社会の価値観――所謂〈義理と人情〉に対するノスタルジーをそこから読み取ることも、全くの見当違いではない筈です。
 一方の〈時をかける少女〉には、戦前と繋がってしまうような大きなノスタルジーは存在しません。その代わり、いかにも

が全篇を覆っています。
 このノスタルジーの質的変化はなかなか重要な意味を持っているのですが、その点について具体的に述べるのは次回にゆずりたいと思います。
 
 そして、ここでようやく話は、〈涼宮ハルヒ〉シリーズに戻るのです。
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