第11話 〈ヤンキー、ゴー、ホーム〉

文字数 2,250文字

 学園紛争真っ只中の1967年、横浜のアメリカ領事館内の日本語研修所所長をしていた父を頼って来日したリービ英雄は、当時の体験をもとに、ちょうど二十年後の1987年、日本語を母語としない西洋人が日本語で書いた初めての文学作品と評される『星条旗の聞こえない部屋』を、『群像』に発表します 。※1
 この作品の中に、以下のような一節があります。

 ベンが食べ終わるのを待っていた貴蘭が、最後の銀の深鍋を片づけようとしていたとき、山下公園通りの方からとつぜん、見晴らし窓の厚いガラスを貫いて「キー」という、女の悲鳴とも車のブレーキともつかない音がダイニング・ルームにとどいた。
 父が飛び上って、
「消灯(ライツ・アウト)!」と叫んだ。
 みんなが立ち上って、ダイニング・ルームのシャンデリアと居間のスタンドを次々と消した。四人は窓にかけ寄った。領事館の前庭の四つの隅に備えられたフラッドライトから溢れる光の中で星条旗がなびき、その向うにある大通りの反対側の歩道を、百人ほどの集団が占めていた。集団の前列にいる一人がメガホーンで、
「ヤンキー」とどなると、
 百人が重々しい声で応唱した。
「ゴーホーム」
 領事館の歩道を、海兵隊と日本人の警察官がかためていた。デモ隊の声が繰り返す地鳴りのように、低く、しつこく、路上に響き渡った。
「ヤンキー」
「ゴーホーム」
 貴蘭が父に耳打ちした。
「あんまり迫力はないわ」 ※2

 学生たちを中心とするデモ隊の抗議行動は、領事館で優雅に晩餐中のアメリカ人たちに、かすかな不安と緊張をもたらしますが、結局それだけです。
 領事館は「海兵隊と日本人の警察官」に固く守られており、彼らはその安全地帯からデモを見下ろしています。路上から上がってくる「ヤンキー、ゴーホーム」の叫びは、父の再婚相手 である中国人女性・貴蘭※3に、「あんまり迫力はないわ」とあっさり切り捨てられるほどの存在に過ぎません。

 第二次世界大戦後の世界の〈大きな物語〉を作り、主導したのがアメリカだったとすれば、その〈大きな物語〉に支配されることを拒否する抗議行動が、〈日本におけるアメリカ〉であるところのアメリカ領事館に向けられるのはある意味当然です。でも、その実際的内容と言えば、せいぜい「ヤンキー、ゴーホーム」と幼稚な叫びを上げる程度に過ぎなかったのです。
 学園紛争が最も激しかった時期でさえ、抗議の声は〈大きな物語〉の作り手を揺さぶるほどの力を持ち得ませんでした。ましてや、『星条旗の聞こえない部屋』が雑誌に発表された1987年において、〈わたしたち〉は〈大きな物語〉に完全に支配され、いや、支配されていることすら忘れるほど、すっかり

しまっていたのです。
 村上春樹が『蛍』の中で、「あらゆるものごとを深刻に考えすぎないようにすること」と書いたように、何事につけ「考えすぎない」方が楽しく、自由に生きられることに、八〇年代の〈わたしたち〉は気づいてしまったのです。

 高橋敏夫は、六〇年代の学園紛争の熱狂が去った後の二十年間を〈混迷の1970年代〉、〈ポストモダンの1980年代〉と定義していますが、そのポストモダンの八〇年代初期に、大ヒットを記録した二本の映画――〈セーラー服と機関銃〉と〈時をかける少女〉は、〈わたしたち〉の潜在的な願望を反映していたように思われるのです。

 ――具体的に言えば、〈わたしたち〉は自らを〈少女〉としてイメージしたかったのです。
 対象である〈少女〉のキャラクター特徴に〈萌え〉を感じる心理とは方向性が全く異なっていたため、かわいらしいことは非常にかわいらしいが、特に明確なキャラクター特徴を持たない〈透明感〉のある〈少女〉――具体的には薬師丸ひろ子や、原田知世が、そのイメージとして最も相応しかったのです。

 それは、〈ゴジラ〉シリーズが、ベトナム戦争の終結した年である1975年の〈メカゴジラの逆襲〉で一旦終了し、1984年に〈ゴジラ〉として復活するまで約十年間の空白があったこととおそらく無関係ではありません。

〈わたしたち〉は、〈ゴジラ〉として自分たちのまわりにある様々なシステムを破壊するよりも、かわいらしい〈少女〉と化して、システムの中で偉そうにふんぞり返っている〈オジサン〉たち――社会的地位を持った存在、権威的で支配的な存在――を機関銃でちょっと驚かしてやったり、あるいは超能力を使って、ノスタルジックな世界を軽やかに

ことの方を望んだのです。

〈ゴジラ〉が復活したのは、〈時をかける少女〉が公開された翌年ですが、その鈍重な怪獣の姿は、社会の変容に気づいていない、あるいは気づいていても受け入れることのできない〈オジサン〉の、そのいらだちの姿のように見えてしまい、かつてのような「快楽としてのゴジラ」という存在意義を失ってしまったように思われます。

 要するに、1984年の〈ゴジラ〉は、既に〈わたしたち〉ではなくなっていたのです。

※1 リービ英雄の「自作年譜」(『星条旗の聞こえない部屋』、講談社文芸文庫、二〇〇四年、一七六頁―一八七頁)を参照した。
※2 リービ英雄『星条旗の聞こえない部屋』、講談社文芸文庫、二〇〇四年、六三頁―六四頁。
※3 「自作年譜」によれば、リービの父は、台湾の台中にあったアメリカ国務省の中国語研修所の所長をしていた一九六〇年に離婚、リービの母はリービと、重度の知的障害者である弟を連れてアメリカに帰国。同年、父は上海出身の女性と再婚した、とある。

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