第1話 謎の声

文字数 2,883文字

 耳の奥をサイレンの音が何度も駆け巡っている。薄暗い部屋の中、いつ止むとも知れないその音は俺の意識を否応なくかき乱す。音源は天井のスピーカーであるはず……なのだが、こんなに長時間同じ音を聞かされ続けると、実は自分の頭の中から発信されているのではないかと錯覚を起こしそうになる。
「やっぱり駄目だ」
「おい、そっちは」
「こっちもだ」
 サイレン音に紛れて兵士たちのやり取りが聞こえる。彼らは懐中電灯の光を頼りに、部屋のコンピュータ端末を片っ端から調べては口々にそうした言葉を吐き出す。彼らの表情には一様に疲弊の色が浮かんでいるのが見て取れる。
 兵士の一人が俺に歩み寄ってきて声を掛けてきた。
「ホ、ホーゲン様……やはり我らは罠にかかったのでは」
「……チッ!」
 兵士の指摘を肯定する代わりに俺は舌打ちしてしまう。作戦失敗。屈辱的な言葉が胸をよぎる。どうしてこうなったのか。俺は忸怩たる思いでこれまでの経緯を振り返る。
 俺たちが攻め込んだのはケニアの港湾都市モンバサにある製油所だ。この製油所で精製された石油は首都ナイロビをはじめとする内陸の各都市に輸送される。したがって、ここを押さえればケニアの石油流通に大打撃を与えられるはずだった。
 襲撃にあたって俺は事前に斥候を出した。彼らの報告によれば、製油所の管理棟には少数の警備隊が詰めているだけで防備は手薄とのことだった。好機と見た俺は実行を決意。精鋭の兵士たちとともに攻め込んだ。警備隊は存外強敵だったが何とか蹴散らした。俺たちは意気揚々と先に進んだ。目指したのは管理棟の中枢、中央制御室である。しかし中央制御室に入ると同時に異常事態が発生した。部屋の照明やスクリーンが一斉に消灯し、けたたましいサイレンの音が突然鳴り出したのだ。俺たちは部屋のコンピュータから制御を試みたが、操作は一切受け付けられずに時間だけが過ぎていった。
 こめかみに沿って汗がジワリと滴る。やけに暑い。今になって気付いたが部屋の空調機能も停止している。
 どうやらこの製油所は何者かの手によって遠隔操作されている。俺たちはまんまとおびき出されたわけだ。このまま施設内に長居すればさらなる危険を招く恐れがある。撤退するしかない。意を決して兵士たちに指令を発する。
「総員退却だ!」
 端末を調査していた兵士たちはすぐに作業を打ち切り整列し始める。非常時にもかかわらず一糸乱れぬ動き。その様子を感心しながら見届けていたときである。
 ――ん!?
 急に耳が解放されたかのような感覚。止んだ。耳障りだったサイレン音がピタッと止んだのである。そして……
「そこにいるのはドーグマンの行動隊長、ホーゲン殿だな。貴殿に話がある」
 部屋中に俺の名を呼ぶ声が響き渡る。低く落ち着いてはいるが、奥底に威圧感をはらんだ声。
 思いもよらぬ展開に兵士たちが困惑の眼差しで俺を見つめる。俺は思考を集中させる。状況を鑑みるに、この声の主こそが俺たちを罠にかけた張本人だろう。俺は心持ち声を低くして応じる。
「貴様、一体何者だ。ケニアの軍人か」
「そうだな。貴殿の立場からならば、そう思ってくれても構わないだろう」
 ん? 妙な言い方をする奴だ。ケニアの軍人ではないのか。俺が訝しんで押し黙っているのに構わず、スピーカーは話を続ける。
「さて、貴殿らドーグマンについては色々と調査させてもらった。ドーグマン――近年勢力を拡大し続けている武装組織の一つだ。世界各地でその活動が報告されているが、東アフリカ地域に限って見ると、三か月前の隣国ソマリアへの侵攻が記憶に新しい。三か月前、ドーグマンは海上からソマリアに攻め込み、沿岸部の主要都市を制圧。ケニアをはじめとする周辺各国の政治・経済に深刻な影響を及ぼした。事件後すぐにケニア政府はドーグマンを公式にテロ組織として認定。再三にわたってソマリアの解放と早期撤退を求めたが、ドーグマンはまったく聞く耳を持とうとせず、依然として各都市を不法占拠している。それどころか昨今は、ソマリア近海を通過する商船に対して海賊行為に及ぶ始末だ」
 スピーカーは我らドーグマンの近況を端的に述べていく。その説明の節々には、自分たちケニア政府こそが正義でありドーグマンを一方的に断罪してやろうという高慢な姿勢が感じられる。それが俺の鼻に付いた。
「フン、だったらどうしたというのだ。言っておくがな、俺たちには崇高な目的が……」
「そうした情勢の中、貴殿らはこのモンバサ製油所に攻め込んだ。ケニア政府はこの事態を非常に重く受け止めている」
 ……こいつ、俺の反論を無視する気か。つくづく気に喰わぬ奴だ。
「モンバサ製油所はケニア国営の重要施設だ。そこへ貴殿は武装部隊を率いて無断侵入し、警備兵たちに暴行を加えた。テロ組織として認定済のドーグマンがこうした行為に及んだということは、ケニアに対して歴とした侵略の意志を表明したも同然だ。私たちとしてもこれ以上静観してばかりはいられない」
 やはりそう来たか。前置きが長かったが結局はそこに行き着くのだな。もとよりこちらもそのつもりだった。
「ほう、面白い。要するに我らと一戦交えようというのだろう。望むところだ」
「そう焦らないでいただきたい。私たちとしても戦いによる損害はなるべく抑えたい。それは貴殿とて同じだろう。そこで提案だ」
 スピーカーはそこで一息置いた。
「私たちはドーグマンに降伏を勧告する」
「馬鹿な! 戦う前から降伏する奴がどこにいる」
「果たしてそうかな。既にお分かりだろうが、この製油所は現在その部屋の制御を離れて、すべて私の手によって遠隔操作されている。私たちが有する、卓越した科学技術力のなせる業だ。双方の戦力差は明白。ゆえに勝敗はもう目に見えている。今ならまだ遅くはない。大人しく降伏を受け入れるならば、貴殿らの身の安全は保証しよう」
「くどいぞ! 貴様こそ、これで勝ったと思うなよ。直接我らと戦って泣きを見るのはどちらか思い知らせてくれるわ」
「……交渉決裂か。いいだろう。貴殿の意志は承知した。ならばこちらも容赦はしない。全力をもってお相手しよう」
 もともと低かった声のトーンが一段と低くなる。その変化に俺は不覚にも一瞬たじろいでしまった。
「ああ、そうだ。そこからの帰り道に、ささやかではあるが進物を用意しておいた。気に入ってくれたら幸いだ。ではまた会おう」
 プツリという回線が切られたような音。しばらくするとスピーカーから再びあの騒々しいサイレン音が鳴り始める。さらに、部屋の外からは何か硬い物が打ち付けられるような音が聞こえてくる。
「ホーゲン様、大変です!」
 一人の兵士が制御室に駆け込んできて叫ぶように告げる。部屋の外で待機させていた兵士だ。
「通路のところどころでシャッターが作動し、道が塞がれています。このままではいずれ全ての通路が塞がれ、我らは閉じ込められてしまいます」
 奴め、今度こそ本気で俺たちを潰しにかかってきたか。事ここに至ってはもはや迷うべくもなかった。
「行くぞ!」
 決然と兵士たちに命じて俺は制御室を飛び出した。
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