第5話 首領の来訪

文字数 2,944文字

 そろそろ太陽が水平線に沈もうとする頃、俺たちはモガディシュの基地に到着した。モガディシュは古くから交易地として栄えた港町で、ソマリアの首都だ。ドーグマンの東アフリカ戦線は、ソマリア制圧後、部隊の拠点をこの土地に移していた。
 基地の港には、各方面から戻ってきたと思われる漁船や旅客船が次々と入港していた。俺たちと同様に任務から帰還してきたのだろう。
「なんだかやけに騒がしいな」
 漁船から降り立つと、基地の様子がいつもと違うことに気付いた。一緒のマルガも「そうだな」と同じ感想のようだ。
 周囲を見渡したら原因はすぐにわかった。停泊中の船の中に、当基地所管でない船の姿があったのだ。大勢の兵士たちがその船を取り囲み、群れをなしている。
「ホーゲン、あの船に掲げられた旗を見ろ」
 注意を促された先に目を転じて俺は唖然とした。その旗には、堂々たる風格を持つ海獣イッカクの絵柄が描かれていた。あれは首領が愛用している専用の軍艦旗だ。
「まさか、首領がこの基地に立ち寄っているのか」
 俺たちは急いで兵士たちの群れの中に分け入った。兵士を押しのけて最前列から船を観察する。見る者を圧倒する威容のクルーズ船。全長は三百メートルくらいありそうだ。間違いない。これはまさしく首領の軍艦だ。
 クルーズ船の搭乗口付近では数人の兵士たちが見張りをしていた。普通の兵士とは違う堂々たる佇まい。たぶん首領直属の近衛兵だろう。近衛兵は首領の身辺警護を専門にする兵士だ。ドーグマンの兵士としてはこの上なく誉れ高い。何気なく彼らの様子を見ていたら、そのうちの一人が俺の視線を感じ取ったようだ。するとどうだろう。その兵士はズカズカとこちらに歩み寄ってきた。
「もしやあなたはホーゲン様では」
 なぜ近衛兵が俺の名前を知っているのだろうか。不審に思いつつ俺は答える。
「確かにホーゲンとは俺のことだが、それが何か」
「やはりそうでしたか。実は首領があなたをお呼びになっているのです」
「首領が、俺を?」
「はい、そうです。首領は今この船の執務室にいらっしゃいます。私がそこまでご案内しますので付いて来てください」
 近衛兵は口早にそう述べて搭乗口の中に消えていく。マルガが心配そうに俺を見る。
「首領がお前をお呼びだなんて、一体どういうご用件なんだろう」
「わからん、だが行くしかないだろう」
 取るものも取り敢えず俺は近衛兵の後を追った。

 近衛兵は世間話に興じるような人間でないらしく、無言のまま俺を執務室へと先導する。俺は心中穏やかでなかった。
 海上警備中、俺は首領との謁見を強く望んだ。しかしまさか首領の方から俺に呼び出しの知らせが来るとは想像もしていなかった。このことが逆に俺を不安にさせていた。もしかして俺が首領に不満を募らせていることが首領の耳に届いたのだろうか。いや、そんなことはない。あの話題は今日初めてマルガに話したものであるし、そもそも詳細には打ち明けていない。ではどうして……。
 緊張のためか、思考が混乱する。そうこうするうちに、ある部屋の前まで辿り着く。ちょうど一人の人間が部屋から出てくるところだった。
「首領、お時間いただきありがとうございました」
 そいつは部屋に向かってそう言うと、こちらに振り返る。自然と俺と目が合った。俺を見咎めたそいつは、見る見るうちに表情を険しくさせ、大股でこちらに迫ってきた。
「ホーゲン、なぜ貴様がこんなところにいる!」
 やれやれ。俺は内心うんざりした。こいつの名前はラーゲル。東アフリカ戦線の中枢を担う幹部の一人だ。
「ここは恐れ多くも首領の軍艦だぞ。貴様のような下等兵が入ってきていい場所ではない」
 口にこそ出さないが、俺はこいつが嫌いだ。幹部という地位を鼻にかけて、俺たちをあからさまに見下した態度を取る。その一方で、俺たちの戦場での手柄をすべて自分のものとして首領に報告しているらしい。公正さを重んじるドーグマンにとってこれは恥ずべき行いである。当然、部隊内での評判は悪く、同僚の行動隊長たちの中にはこいつの更迭を組織に働きかけた者もいる。だが、そうした試みは漏れなく失敗に終わっている。ラーゲルは他の戦線も含めた組織上層部において一大派閥を形成しており、奴らの手に掛かれば、たかが数人の行動隊長の要求など容易く握り潰されてしまうのだ。俺はそれを教訓にして、こいつを敬して遠ざけるように努めているが、この状況ではどうしようもない。
「……大体、貴様は海上警備の任に赴いていたはずだ。規定の時刻に帰還したにしては早すぎる。さては貴様、途中で任務を放棄してきおったな。誇り高きドーグマンの戦士が何という体たらくか」
 ラーゲルの罵倒はエスカレートするばかりだ。どうやら俺の姿しか眼中にないらしい。傍らの近衛兵が痺れを切らしてようやく割って入る。
「ラーゲル様、どうかお静まりください。ホーゲン様は首領からお呼び出しを受けていらっしゃいます。それで私がこうしてご案内しているのです」
「お前は黙っておれ。俺は今ホーゲンに――」
 ラーゲルはそこで初めて近衛兵の言葉の意味を理解したようだ。
「ちょっと待て! お前、首領がホーゲンをお呼びになったと申したか」
 ラーゲルの慌てぶりに、さしもの近衛兵も「は、はい」と戸惑い気味に頷く。そこを見計らって、俺は至極丁寧に話を切り出した。
「ラーゲル様、海上警備を早々に切り上げた件につきましては、後ほど詳しくご報告いたします。近衛兵が申したように私は首領からお呼び出しを受けています。首領をこれ以上お待たせするわけには参りません。今はお見逃し頂けないでしょうか」
 ラーゲルから返事はない。それどころか、その顔面は血の気が失せたように蒼白だ。これは俺にとってまったく予想外なことだった。というのは、なぜか俺はこいつから目の敵にされているようで、俺が意見を述べると内容如何に関わらず食って掛かってくるのが常だからだ。それがどうしたことだろう。今のこいつは目を白黒させて固まったままなのである。いや、聞き取りにくいが何やらぼそぼそと呟いている。
「……首領がホーゲンをお呼びだと……では、首領は俺ではなくこいつを……」
「一体どうされたのですか」
「……そんな、馬鹿な……」
「ラーゲル様?」
「……うるさい、近寄るな!」
 やっと反応を示したかと思うと、ラーゲルは癇癪(かんしゃく)を起こしたように大声を出した。
「ホーゲンよ、こんなことでいい気になるなよ! 俺は貴様を絶対に認めん。あと、首領に無礼なことがあったら承知しないからな。よく覚えておけ!」
 そう言ってラーゲルはそそくさと俺の隣を通り過ぎていった。一体あいつの態度は何だったのか。怒り狂ったり黙り込んだりと忙しい奴だ。まあ、あんな奴のことを気にしていても仕方がない。それよりも今は首領だ。たぶん首領がいらっしゃるのは、さっきラーゲルが出てきた部屋だ。
 近衛兵はラーゲルの様子が気がかりらしく、奴の去っていった方向を見つめている。
「時間を取らせたようだな。案内はここまでで十分だ。ありがとう」
 近衛兵を労いつつ俺は部屋を目指した。
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