第7話 踊る疾風

文字数 4,541文字

 キスマヨの港には霧が立ち込めていた。海に波はなさそうだが、視界が悪いせいで海上はほとんど見通せない。もう昼過ぎだというのに今日はずっとこの調子だ。乾燥しがちなソマリアの気候において、これは非常に珍しいことだった。
 霧の向こうから微かにブオォーンという汽笛の音が聞こえた。そろそろ到着のようだ。目を凝らす。海を覆う濃霧の中に一点の影がぽつねんと現れる。影はおぼろげながら徐々に肥大していき、やがてはっきりとした輪郭を示す。
 白を基調とした優美なデザインの高速船。マルガが搭乗する軍艦だ。イリス号と比較するとかなり小型だが、それでも兵士二百人ほどは乗り込めるのではないだろうか。ドーグマンでは行動隊長に任命され部隊を率いるようになると軍艦が支給される。俺の推挙によりマルガは此度のケニア侵攻から行動隊長として参加していた。もっとも今までは主として後方支援を担当していたが。
 マルガが前線にまで出張ってきた理由。それは、何を隠そう、俺が呼び寄せたからである。
 ケニア侵攻戦は開始からまもなく一か月が経過する。戦争は膠着状態が続いていた。
 製油所でアレカシに敗北して以降も、俺はモンバサに対して精力的に襲撃作戦を実施した。あの都市はケニアの要所だ。何としてでも陥落させて、侵攻戦の足掛かりとしたかった。俺は発電所、国際空港、行政庁舎といったモンバサ市内の重要物件をピックアップし、そこに向けて連日のようにイリス号を発進させた。ところがいずれの施設も製油所と同じく厳重な警備下にあり、攻略はすべて失敗した。おそらくアレカシの一人、蒼穹の礼とやらの手配によるものだろう。俺の狙いを予測した上で実に用意周到に準備していた。
 ここに来て俺はやむなくモンバサを断念することにした。いつまでも十分な戦果を上げずに戦争を長期化させるわけにはいかないと判断したためである。
 再起を図るために選んだ次なる目標はマリンディ港だ。モンバサから北東に百キロメートルほどの位置にある。モンバサには及ばないがマリンディの貨物取扱量も相当なもので、ケニアの流通拠点の一角を占める。攻略対象としては申し分ないだろう。
 作戦成功を確実にするために、俺はこれまでで最大規模の作戦を立案。数日前からソマリア南西部の港町キスマヨに駐留し、各地から部隊を結集させている。マルガの部隊もそのうちの一つだ。作戦決行は明日。それに合わせて合流する彼を出迎えるために、俺は港で待っていた。
 入港したマルガの高速船が接岸作業を終える。搭乗口から数人の部下を引き連れてマルガが出てきた。
「マルガ、悪天候の中、よく来てくれた」
「気にするな。困った時はお互い様だろ」
 マルガは快活な笑みで応じるが、すぐに真顔に戻った。
「報告はちゃんと聞いている。アレカシの疾風とか言ったっけ。お前を苦戦させるなんてよほど危険な連中なんだな。報告を聞いた当時は正体がまったく不明とのことだったが、その後何か情報を掴めたりしたか」
「……ああ、まあな」
「何だ、煮え切らない返事だな」
 製油所での一件の後、俺は諜報員に命じてアレカシの素性を探らせていた。結果としては一応の収穫があった。正直これを開示するのはどうにも気乗りしないが、仕方がない。マルガとは次の作戦では合同で任務に当たることになる。情報は共有しておかねばなるまい。
「マルガ、イリス号の会議室に来てくれるか。お前に見せたいものがある」

 イリス号の会議室に場所を移した俺たち。俺は適当に席に着いて、自室から持ってきたノートPCに電源を投入する。
「さーて、何を見せてくれるんだ? ちょっとワクワクするな」
 隣に座ったマルガは俺が準備するのを楽しげに見守っている。
 画面が起動した。手早くブラウザを立ち上げ、履歴に残しておいたURLにアクセスする。そこは、ある大手動画投稿サイトのページで、一本の動画が配信されていた。
 クリックで動画を再生すると音楽が同時に流れてくる。曲調は非常に明るく、何となく牧歌的な雰囲気を漂わせる。映像では野外ステージのような場所にたくさんの子供たちがいて、音楽に合わせて身体でリズムを取っている。どこかの遊園地だろうか。ステージの向こうには青空を背景に観覧車が見える。
 やがて歌が流れ出した。子供たちは歌を口ずさみながら身体を大きく動かし始める。手足を大きく振ったり、左右に跳ねたり、身体を一回転させたりとなかなかに躍動的だ。どうやら彼らは歌に合わせてダンスをしているようだ。決して上手とは言えないが、歌に遅れないように必死に身体を動かす様子は何とも健気である。
 実際、ステージで踊っているのが子供たちだけならば、俺も和やかな気持ちになれたのかもしれない。しかしこの動画はそうはならなかった。なぜなら、大勢の子供たちに囲まれた中央で、あのアレカシの四人組が一緒に踊っていたからだ。奴らのダンスは周囲の子供たちの愛らしさを霞ませるほどに見事な出来だった。
 マルガが、普段の柔和な外見には似つかない、険しい表情を浮かべている。
「なあ、ホーゲン。お前の報告ではアレカシは四人それぞれが赤青黄緑のスーツをまとっていたんだよな。それじゃあ、この踊っている連中が……」
「そうだ、こいつらがアレカシだ」
 厳密に言うと、製油所で俺が戦った相手と、動画の中で踊っているこいつらはスーツが同じなだけだから、両者が同一人物かどうかは不明だ。だがこの動画がアレカシの素性に関係していることは確実だろう。
「この動画は一体何なんだ」
「アレカシの所属会社のPR動画だ」
「所属会社? どういうことだ」
「そうだな、順を追って説明しようか。お前はアレカシがケニアの軍人だと思っていたのだろう? 俺も最初はてっきりそう思い込んでいた。それで諜報員をケニア軍に出入りさせて調査させたのだが、それらしき素性の者は一向に見つからなかったのだ。途方に暮れていた時に、ある諜報員がネット上で偶然発見したのがこの動画だ。――おっと、そろそろ終わりだな。マルガ、よく見ていてくれ」
 歌がサビの部分を過ぎ音楽が終わる。最後にアレカシと子供たちは、人前でやるには相当の勇気が必要そうなポーズを決めた。動画はここで終了。映像は暗転し、画面中央に動画の配信元と思われる組織の名称がクレジットとなって表示される。
 Yatsumori Defense Corp.
 マルガがそれをたどたどしく読み上げる。
「やつもり……ぼうえい?」
「そう、八ツ森防衛。それがアレカシの所属会社だ。名称を頼りに探したら、この会社のWebサイトはすぐに見つかった。それによると、八ツ森防衛の主な業務内容は対テロ作戦の代行。国家をクライアントにしてテロ組織の掃討作戦を請け負っているらしい。アレカシは軍人ではない。奴らは民間軍事会社(PMSC)の社員だったんだ」
「……驚いたな。軍事作戦をまるまる請け負うPMSCが存在するなんて」
 俺は無言で頷いた。
 PMSCという形態の組織自体はそれほど珍しいわけではない。むしろ、戦争に多様な分野が関わる昨今では、PMSCの協力なくして戦争は成立しないのではなかろうか。ただ、その業務の多くは物資の輸送供給や戦闘訓練など、後方支援に属するものだ。敵軍と直接戦闘するケースは意外と少ない。ところが、この八ツ森防衛は国家から作戦の全権をもらい受けて戦争に参加するというのだ。一般のPMSCとは一線を画する存在であると見て間違いないだろう。
「おそらくケニア政府は我らの侵攻に備えて八ツ森防衛と契約を交わしたのだろう。そうしてケニアに派遣されたのがアレカシだ。製油所などの重要施設はその頃から警備を強化していたと思われる」
「この会社の本拠地はどこなんだ。ケニアが信頼を置くほどなのだから実力は折り紙付きだと思うんだが、俺は全然聞いたことがないな。アフリカの会社ではないんじゃないか?」
「サイトには本社はタイにあると掲載されていた。だが俺が思うに、この会社のルーツはおそらく日本にある」
「日本!? どうしてそんなことがわかる」
「ヤツモリという会社名、そしてグレン・ソウキュウ・オウゴン・ヒスイというアレカシのメンバー名。これらにはすべて日本語特有の響きが感じられる。さっきの動画の歌詞も日本語のものだった。お前はまだないだろうが、行動隊長になると定期的に他の戦線と一緒に合同演習をすることがある。その折に俺は日本人のメンバーにも何回か会ったことがあるから、相手が日本語を喋っていれば、それだとすぐわかるんだ」
「……俺たちはこれから日本の軍事力と戦わなければならない。そういうことなのか」
 マルガの振るえる声音から彼が動揺している様子が伺えた。無理もない。俺も初めて報告を聞いた時は耳を疑った。
 日本とは太平洋北西に位置する経済大国であり、言わずと知れた先進国である。名目上この国家は軍隊を有していないが、実際には自衛隊という事実上の軍事組織が存在する。その軍事力は最先端の科学技術によって支えられており世界的に見てもトップクラスである。もし八ツ森防衛もそうした技術を応用して作戦を遂行しているならば、俺たちにとって非常な脅威だと言わざるを得ない。
「さっきの動画は八ツ森防衛が世間の認知度向上のために配信したものというわけか。そうすることで……その、何だ……子供たちにも親しみやすいというイメージを定着させようとした?」
「そんなところだろうな。まったく、俺たちと戦っている時の奴らの姿をあの子供たちにも見てほしいものだ。あんな無邪気な様子は一瞬で消え失せて、泣きじゃくりながら逃げ出すだろうな。ハハッ」
 俺の乾いた笑いを最後にして、俺とマルガはしばらく黙り込んだままになる。空気が何とも重苦しい。やはりマルガにこの情報を明かしたのはまずかったかもしれない。行動隊長に成り立ての彼にとって、アレカシの正体は刺激が強すぎた感がある。
「ふぅ……」
 マルガは深くため息をついて、ようやく口を開く。
「……ホーゲン、アレカシが八ツ森防衛の社員だということはよくわかったよ。ならば、この会社をもっと調査すれば戦略も立てやすくなるのでは」
「もちろんやっている。現在、諜報員が総出になって八ツ森防衛を調べ上げている。だが、あんな動画を世界中に配信している一方で、情報セキュリティはかなり徹底しているらしい。アレカシの経歴をはじめとして奴らにまつわる情報は一報も入手できていない」
 そこでマルガはぼそっと呟いた。
「俺たち、アレカシに勝てるのかな」
「言うな、マルガ。勝てるかどうかは問うても仕方ない。ドーグマンの戦士である我らには勝利という選択肢しかない。それに、情報が不足しているとはいえ、俺たちには奴らとの実戦経験がある。今はただ、それに基づいてベストな戦略を立てていくしかないのだ」
「……そうだな、お前の言う通りだ。すまない、弱気なことを言ってしまって」
「構わん。それより、今度はこの部屋で兵士たちも集めて明日の作戦の詳細を説明したいんだ。お前の部下たちにも連絡してくれないか」
 俺はPCの後片付けに掛かりながらマルガを促す。マルガは「了解した」と答えて、静かに部屋を後にした。
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