第3話 ドーグマン

文字数 4,589文字

 ドーグマンとは何か。一般人に対してこの問いを発したら、そのほとんどが「世界で暗躍するテロリスト集団」と答えるだろう。俺はこの答えを聞くたびに虚しい気持ちでいっぱいになる。確かに、我らは世界各地の紛争に直接的あるいは間接的に関与している。しかしそれは決してその土地の住民を恐怖に陥れるためではない。むしろ我らは、彼らに平穏な生活をもたらすために戦っているのだ。我らが赴く紛争地帯の多くは、一部の権力者が独裁体制を敷き、住民を不当に弾圧してきた場所である。そして、我らの矛先は常にそうした権力者に対して向けられる。我らは社会を牛耳る権力者を打倒することで、圧政から住民を解放しようとしているのだ。そう、ドーグマンとは公正な世界を実現するために飽くなき闘争を続ける、崇高な集団なのである。
 ドーグマンが偉大な組織であることはその悠久の歴史を紐解けば明らかである。ドーグマンの歴史は非常に古い。あまりに古すぎて、組織が誕生した正確な時期については我らの間でも意見が分かれるほどである。ただ、差別や迫害によって故郷を追われた人々が寄り集まってできたという点については、大方の認識が一致している。それによれば、故郷を失った彼らは自分たちの身を守るために武装するようになり、高度な戦闘技能を習得していった。武芸に秀でた彼らの戦闘能力は各地の権力者たちの知るところとなり、傭兵として戦争に幾度も駆り出された。そうして世界を流浪した彼らはやがて非情な真実を悟る。世界には社会から理不尽な扱いを受ける人々が大勢存在している。権力者たちは必要な時だけ彼らを利用し、用済みとなったら即刻使い捨てる。奴らに依存して生活していてはこの状況は一向に改善されない。そう決意した彼らはついに権力者たちに反旗を翻したのである。そのとき彼らは一つの標語を掲げた。「世界人民の解放」。今でも連綿と受け継がれる我らの基本理念である。ドーグマンという呼称も、このとき人々を先導した者の名前にちなむらしい。
 まあ、こうした認識に立てばドーグマンの起源があやふやなのも頷ける。差別や迫害はそれこそ人間の代名詞のようなものだ。遥か昔に人間が農耕や牧畜を開始して定住生活を営むようになったのを皮切りに身分制社会が確立したという見解は、少し歴史をかじった者であれば誰でも心得ていよう。そう考えると、ドーグマンという組織がこの世に生まれたのは歴史の必然であったと言える。
 権力者たちに対抗するためにドーグマンは世界中から賛同者を募った。自らが差別や迫害に苦しめられてきたという経験を踏まえて、ドーグマンのメンバー資格に特別な要件は一切設けられていない。国籍、性別、年齢、その他ありとあらゆる外見的・内面的特徴を不問としている。「世界人民の解放」という理念に賛同してくれる者であれば誰であれ歓迎される。戦闘能力が高いに越したことはないが、そうでない場合も、資金を提供したり、各国情勢を報告したりするなど組織に貢献する方法はいくらでもある。権力者という巨悪にメンバー全員で立ち向かうこと。これがドーグマンの誕生以来ずっと変わらない基本姿勢である。
 こうした姿勢に共鳴して、多くの人々が我らのメンバーに加わった。その後も時代が下るにつれメンバー数は増大し、組織のネットワークは世界中に広がった。このネットワークを活用し、ドーグマンは歴史の陰で権力者たちと闘争を繰り広げてきたのである。しかし長年に渡って努力を重ねながらも、「世界人民の解放」という組織の理想はいまだ達成されていない。先人たちの功績を水の泡にしないためにも、今を生きる俺たちは一刻も早くこの理想を実現せねばならないのだ。

 製油所に攻め込む一週間くらい前であっただろうか。その日の俺の任務はソマリア沖における海上警備だった。朝早くに少数の兵士とともに漁船に乗り込み出港。海流のある海域に到着したら、後はその流れに乗って洋上を漂い、怪しい船舶がいないか終日監視を続けていた。これといった異常もなくデッキで暇を持て余していた俺は、ある兵士を聞き手にして、ドーグマン史の「講義」を行っていた。
「お前の話はいつ聴いても勉強になるなあ。本当にお前は大した奴だよ」
 それまで俺の説明にじっと耳を傾けていた兵士が感心したように言う。その口調は世辞や皮肉の要素をまったく感じさせない。
「何を言うか。ドーグマンの行動隊長ともなればこれしきのことは知っていて当然だ。お前もこれからは他人事ではないのだぞ。そう感心していてばかりでは先が思いやられる」
「ハハッ、耳が痛いな。でも、その件については感謝しているさ。うん、まあ頑張るよ」
 兵士の名前はマルガ。俺と同時期にドーグマンに加入した兵士だ。出会った当初から彼とはなぜか馬が合って、それ以来ずっと交友関係を持っていた。性格は温厚そのもので誰に対しても物腰が柔らかい。その特徴は戦闘面にも反映されており、彼の戦術はリスクを最小限にした堅実なものが多い。そうした戦い方は特に防戦の場合に有効で、彼のお陰で命拾いしたという兵士も少なくないという。一方で、それだからこそ大きな手柄を収めにくく、彼はいつも栄進の機会を逃してきた。つい最近も彼は自分より世代の低い者の指揮下に入ったことがある。彼の武勲に一定の評価をしていた俺は、その事態を見損ねて、彼を行動隊長に推挙してやったのである。
「でもひとつ言わせてくれないか。お前の語るドーグマンの歴史には抜け落ちている部分があるぞ」
「何? 一体どこだ」
「それは何と言っても、首領が世に躍り出てからのくだりだよ」
 俺は思わず苦笑いする。そういえばこいつはその手の話題が好きだった。
 ドーグマン最高指導者のことをメンバーは「首領」と呼ぶ。一口にそう言ってもドーグマンには歴代の首領が存在するわけだが、マルガが言及したのはもちろん現首領のことだ。彼は現首領を深く敬愛している。いや、何もマルガだけではない。ドーグマン兵士の多くが現首領を強く信頼している。無論、それは俺とて例外ではないのだが。
 マルガの言葉はにわかに熱を帯びる。
「ドーグマンが悠久の歴史を誇っているのはお前の言う通りなんだろうが、どうも俺にとっては遠い過去の話って感じなんだよ。現代に至る組織の歩みを語ろうとなれば、やっぱり首領の存在は欠かせないんじゃないか? ソマリア侵攻が成功したのも、もとはといえば首領がそれ以前に組織を立て直してくださっていたお陰だろ」
「……ああ、そうだな。俺も別に首領のご活躍を無視したわけではない。組織の歴史を概括するのに、現代のみに焦点を合わせてはいけないと思っただけだ。お前の言う通り、今日のドーグマンの礎を築いた功労者といえば、首領を措いて他にはいない」
 誕生以来ドーグマンは闘争に明け暮れてきたが、その活動規模は時代によって浮き沈みがある。残念ながらこれは仕方のないことなのだ。ドーグマンは基本的に有志の集まりだ。首領を頂点にしたピラミッド型の組織構造を一応は備えているが、それよりも優先されるのは個々のメンバーの自主性だ。ゆえに、首領が絶対的権力を振るって恒常的に組織を管理することは難しい。そのため、メンバーの構成が流動化し、組織の活動が下火になることがしばしば発生した。
 特に、ここ百年ほどに関してドーグマンは世界史上から完全に姿を消していたといっても過言ではないだろう。原因は、二十世紀に勃発した二度の世界大戦である。あの大戦はそれまでの戦争とは次元が違った。一国家が、軍人だけでなく一般市民も含めた全国民の生産活動を戦争へと投入する。そんな途轍もない規模の動員力が戦争遂行のためには必要だった。だが、自主性を重んじるドーグマンが同じ真似をするなど到底不可能なことだった。おのずと組織の影は薄くなり、メンバーのネットワークも散り散りになっていった。戦争終結後もしばらくの間は組織にとって空白の時代が続いた。
 そこに綺羅星の如く現れたのが首領だった。首領がその座に就いたのは今から三十年前ほど前。首領は、在りし日のドーグマンを復活させるために、様々な改革を強力に推し進めた。まず着手したのが、分裂した組織ネットワークの再構築。大戦で連携が途絶えてしまった組織の支部を捜索・訪問して支部間の交流を復活させた。次に、新規メンバーの大量募集。首領自らが世界各地に赴いて、有能と見込んだ兵士を次々に採用していった。俺やマルガもこのときドーグマンに加入した。他にも、最新兵器の導入、兵士育成カリキュラムの制定、同業武装組織との提携樹立など、首領が実行した施策は枚挙にいとまがない。こうした首領によるカリスマ的な指導の下、ドーグマンは大戦中の衰退が嘘だったかのように驚異的な急成長を遂げたのだ。
 そして三か月前、ドーグマンはついに行動を起こす。世界各地の紛争地域に侵攻を開始したのだ。俺の所属する東アフリカ戦線が向かった先はソマリアだった。当時ソマリアでは部族間の内紛が続いており政情が非常に不安定だった。そこにドーグマンは電光石火の如く攻め込んだ。「世界人民の解放」という理念を奉じた我らに対して、内紛に苦しんでいたソマリア勢は烏合の衆も同然だった。ソマリアの主要都市は瞬く間に我らの手で制圧された。この戦果によりドーグマンの勇名は世界中に轟いた。世間のマスコミもこぞって取り上げるようになった。
「首領は本当に立派なお方だよ。組織を再興させた手腕もさすがだと思うが、お人柄もとても良い。出陣式とかで俺たちを激励されるお姿を拝見すると、なんてお優しいんだと感激する」
 マルガはまだ興奮が冷めやらない様子だ。そんなマルガに対して、俺はちょっと水を差したくなった。
「首領が尊敬に値するお方であることはお前に同意する。しかし、俺は最近の首領の采配にはいささか不満を覚えてしまうな」
「そうなのか?」
「まあな。第一、今日の作戦からしても俺は気に入らない」
 今日の任務は名目的には海上警備とされているが実情はかなり異なる。海上を行き来する商船を発見したら襲撃するように指示されているのだ。襲撃した船の乗員は殺さずに捕らえて人質にする。そして、商船の管理会社に多額の身代金を要求する。獲得した身代金は組織の資金に充てる計画だ。有体に言ってしまえば、ただの海賊行為である。
 俺の発言にマルガは頷く。
「確かに、いくら理想のためとはいえ、俺も民間人を襲うことに抵抗を感じていた。でもお前もそうだったなんて珍しいな。お前は俺ほど感傷的な奴ではないと思っていたけど」
「お前と一緒にするな。俺の不満の原因はそれとは違うさ。俺の場合は――」
 そこまで言って俺の言葉は中断される。マルガとの会話よりも、海上の光景の方に強く注意を惹き付けられたからだ。
 大きな船影がゆったりとした速度でこちらに近づいてくる。デッキには大小様々なコンテナが積み込まれ、船べりには「KENYA」という文字がブロック体で書かれている。ケニア船籍の貨物船だ。
「悪いが、この話は今度にしよう。お待ちかねの獲物のようだ。来い、マルガ!」
「了解だ。よーし、いっちょやるか!」
 今日、警備の任務に就いてから初めての出撃。それまでの退屈を埋め合わせようと、俺たちは意気盛んに行動を開始した。
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