第2話 疾風現る

文字数 4,977文字

 兵士たちの先頭に立って真っ暗な廊下を進む。制御室から出口までは最短ルートを通れば、ものの数分もかからないはずだった。しかしそのルートの途中では既にシャッターが作動して行き止まりになっていた。仕方なく俺たちは、あらかじめ斥候が入手していた見取り図をもとに別ルートを進んだが、それも同じように塞がれていた。
 相変わらずサイレンの音はやかましく、空調も行き届いていない。その上、警備隊との戦闘による疲労の蓄積もある。ようやく敵の意図が読めてきた。あいつは俺たちに無駄骨を折らせて心身両面で消耗させようとしている。極めて卑劣な戦略だ。
 結局、俺たちが出口に辿り着くのにはさらに数回のルート変更を必要とした。時間としては侵入時の倍以上かかってしまった。
 出口を抜けた先は製油所の裏手に当たる。石油タンクが点在し、遠くには海を見通せる。この場所をまっすぐ行った先の停泊場に俺たちの軍艦が待機している。
 兵士たちの方を振り向くと、彼らの額には大粒の汗が吹き出していた。
「さあいくぞ、もう一息だ」
 彼らを励まして、また前を向き数歩駆け出す。
「――待っていたぞ、ドーグマン!」
 不意に背後の頭上から俺たちを呼び止める声が響く。これには聞き覚えがある。あのスピーカーから聞こえた声だ。急いで振り返りその出所に目を遣る。すると、ちょうど今俺たちが出てきた管理棟の屋根に四つの人影が並んでいた。
「……」
 四人を一目見てしばらく言葉を失ってしまった。奴らの外見があまりにも奇抜だったからだ。奴らはそれぞれ赤青黄緑の一色に染め抜かれたスーツを身にまとっていたのである。
 しかし四人はさらに衝撃の行動をとった。俺たち全員が注目したと見るや、赤青黄緑の順に立て続けに、めいめいの構えをとりながら叫んだ。
「紅蓮の()!」
「蒼穹の()!」
「黄金の()!」
「翡翠の()!」
 そして、最後にこう締めくくる。
「いざ駆け抜けん! アレカシの疾風!」
 時刻はちょうど夕暮れ時。四人の背後から夕陽が後光のように指していた。
「…………」
 二度目の絶句。俺も兵士たちも全員が呆気に取られて身を固まらす。もしかして奴らは自分たちの名前を告げたのであろうか。確か「アレカシの疾風」と言ったな。知らぬ名前だ。
 今一度奴らの外見をまじまじと見つめる。フルフェイスのマスクに、全身を覆うスーツ。腰のベルトにホルスターや二、三のポーチを取り付けている。ケニアの軍隊が擁する特殊部隊なのだろうか。それにしても全身が赤や青尽くめとは異様だ。特殊部隊が身元を隠すために顔にマスクを被ったりすることはよくあるが、大抵はもっと地味な色彩を用いるはずである。
 俺たちが困惑しているのを尻目に、四人組のほうから話しかけてくる。
「先ほどはスピーカー越しに失礼した。さあ、ここからは真剣勝負だ。これよりドーグマン掃討作戦を開始する」
 最初に口火を切ったのは右から二人目の青。発話の内容からすると、あいつが俺たちを罠にかけた当人なのだろう。俺は自分が幻滅していることに気付いた。散々苦しめられてきたとはいえ奴の采配は敵ながら見事であった。その一点において俺は敬服の念を抱いていたのだが、その正体がこんなふざけた格好をした奴だったとは。
「へっ、(わし)らとやりあって無事でいられると思うなよ。力の差を見せつけてやる。かかって来いや」
 左端の黄色が指先をこちらに向けてちょいちょいと曲げ、招く仕草をした。何とも不遜な態度である。戦場に身を置きながら、緊張感の欠片が微塵も感じられない。
「あなた方に恨みはありませんが、これも世界の平和を守るためです。覚悟してください」
 右端の緑が黄色に続く。世界平和か。ドーグマンの理想にも相通じる目標であるが、あんな奴に口にされると、価値ある美術品に素手で触れられたような気分になる。
「………………」
 そして残りの一人である赤は一切発言せずただ黙りこくっているだけだった。まるで俺たちの存在など眼中にないと言わんばかりに茫然と立ち尽くしたままだ。その態度はいかなる罵詈雑言にもまして俺たちを侮蔑しているかのようだった。
 四人の態度は外見の通りに千差万別で、まるで統率が取れていない。だが唯一共通していることがある。それは奴ら全員が俺にとって不愉快極まりない存在であること。初対面で生じた当惑の念は既に頭の中から消え去っていた。今はただ、奴らに一泡吹かせてやろうという激情だけが俺を駆り立てていた。
「フン、揃いも揃って俺たちを愚弄するとはいい度胸ではないか! 俺たちを怒らせたらどうなるか、その身をもってたっぷり味わってもらうぞ!」
 俺は携帯していたアサルトライフルの照準を四人に合わせる。兵士たちも俺の動きを察知して追随する。
「総員、準備はよいか」
 ここぞとばかりに声を張り上げる。
「撃てぇー!」
 驟雨(しゅうう)のような銃声とともに無数の銃弾が放たれる。このとき俺の脳裏には既に四人の死に様が浮かんでいた。奴らの防具と言ったら、布きれのようなスーツを一枚着こんだだけに過ぎない。その上、あのような遮蔽物のない場所に突っ立っている。奴らの肉体はたちまちのうちにハチの巣へと変貌するだろう。
 しかし俺の予想は見事に裏切られる。
「な、何だと!?
 俺は我が目を疑った。銃弾が四人の身体に命中した途端に金属音のような音を発して跳ね返されたのだ。一発や二発だけではない。絶え間なく浴びせた銃弾のことごとくが、まるで厚手の金属板に向かって投げつけられた石ころのように、奴らのスーツによって弾かれている。あのスーツの性能なのであろうか。遠目にはごく普通の布製にしか見えないのに。
 対する四人は銃弾の嵐の中に平然と屹立している。その様子を見て、兵士たちはさらに躍起にライフルを発射し続ける。いけない、これでは銃弾を浪費してしまう。
「やめろ、発砲をやめるんだ」
 俺の制止を聞いてようやく兵士たちは攻撃の手を止めた。彼らは怪物を見たかのような顔で四人を見つめている。俺の顔も似たようなものだったかもしれない。
 動揺する俺たちに青スーツが平静な調子で告げる。
「気は済んだかな。では今度はこちらから行かせてもらうぞ!」
 青スーツが言い終わるや否や、四人は夕陽を背にして跳躍。地面に颯爽と降り立つ。そのまま横並びを維持しながら俺たちに向かって猛然と押し寄せてくる。
 ――まさか接近戦を仕掛けようというのか。
 あまりにも前時代的な戦闘スタイル。だが奴らは銃撃を受けても無傷だった。油断はできない。兵士たちに注意を促す。
「奴らを迎え撃つぞ。よいか、最後まで希望を捨てるな。至近距離からなら銃も効くかもしれん。それに、どの道奴らを倒さなければ船には戻れないのだ。我らは必ず勝利しなければならんのだ」
 俺はアレカシを真正面に見据える。
「ドーグマンの戦士たちよ、いざ参るぞぉー!」
 兵士たちからの「おおぉー」という鬨の声。闘争心を極限まで高ぶらせ俺たちはアレカシと激突した。

 つ、強い……。アレカシと戦闘を繰り広げて率直にそう思った。
 アレカシは四人とも徒手空拳。しかし全員が達人級の武術の使い手だ。
 紅蓮の阿――出合い頭に見せたぼんやりした様子とは打って変わり、戦場に立った奴は驚くほど俊敏だ。素早いステップで一気に間合いを詰め、強烈な突き蹴りを間断なく繰り出してくる。さらに、並外れた跳躍力を有しており、大勢で取り囲んでも難なく上方へ逃げられてしまった。文字通り縦横無尽の身のこなしに俺たちは大いに翻弄された。
 蒼穹の礼――奴の拳術には無駄な所作が一切なく、簡素でいて精緻な印象を受ける。実際、奴の攻撃は例外なく俺たちの急所を捉え、そのたびに兵士が倒れていった。だが本当に恐ろしいのはそこからだ。奴は倒れた者に対してさらに追撃を加え、確実に戦闘不能に至らしめる。見栄えを度外視し実用性をとことん追求した戦い方に、俺は戦慄すら覚えた。
 黄金の佳――強靭な肉体の持ち主で四人中随一のパワーファイターだ。腰をやや落とした奴の構えは非常に安定しており、ちょっとやそっとの攻撃ではびくともしない。逆に、奴から放たれる鉄拳はすさまじいほど強力で、こちらの防御姿勢を力任せに打ち破ってくる。攻撃をまともに食らった兵士は後方に軽く数メートルは吹き飛ばされていた。
 翡翠の志――奴にはどうやら柔術の心得があるようで、多種多様な組み技に長けていた。一見動きが鈍重なために容易く討ち取れると思ったら大きな間違いだ。銃弾の尽きた兵士が奴に殴りかかろうとしたときのこと。奴は兵士を巧みにいなし、流れるように懐に入り込んだら、あっという間に兵士の関節を極めてしまったのだ。
 至近距離で銃撃すれば勝てるのではと期待していた自分が恨めしい。奴らはそんな暇を与えることなく兵士たちをバッタバッタとなぎ倒していく。気が付けば五十人ほどいた兵士たちは既に半数以上が地に伏して瀕死の状態になっていた。
 まずい。このままでは全員壊滅だ。どうすればいい。焦りで頭の中が真っ白になりかける。そのとき俺のそばで戦っていた一人の兵士が言った。
「ホーゲン様、ここは私たちが食い止めます。ホーゲン様はどうかお逃げください」
「何を馬鹿なことを。部下を置いて指揮官だけがおめおめと逃げられるか」
「戦争はまだ始まったばかりです。それなのにホーゲン様が討たれてしまってはドーグマンの将来はここで潰えてしまいます。お願いです。ここは一旦退いて、態勢を立て直してください」
 兵士の必死な諫言に俺は言葉がつかえる。そうだ、俺にはこの戦争を勝利に導くという責任がある。多少の犠牲を払ってでも目的を達成しなければならない。
「……わかった。俺は退く。お前たちの武運を祈る」
「ありがとうございます。さあ、お逃げを」
 俺は停泊場に向けて一目散に駆け出した。兵士たちの阿鼻叫喚が背中から聞こえてくる。後ろ髪を引かれる思い。だが決して振り向くことはしなかった。
 石油タンクが立ち並ぶ区画を走り抜けること数分、海に突き出した停泊場に一隻の巨大な船舶の姿が見えた。夕陽の中に映える真っ白な外装。船体の側面には外景を楽しむための窓が等間隔に並んでいる。何も知らない者が見れば、どこぞの豪華客船が停泊しているのかと思うだろう。これこそが俺たちの搭乗する「軍艦」である。名をイリス号という。ドーグマンが所有する船の中でも屈指の大きさを誇っている。
 なぜドーグマンはこんな商船の紛い物を海上の移動手段として活用しているのか。単純に戦闘力向上を目指すのであれば、これ見よがしな強力な艦砲を装備するのが一番手っ取り早いはずだ。だがそれだと航行の途中で各国海軍に発見されやすくなり、敵地に辿り着く前に攻撃される恐れがある。そこでドーグマンは、耐用年数を過ぎて廃棄を待つばかりであった商船を買い取って再利用することにした。商船を装うことで各国の巡視の目を掻い潜れると踏んだのである。ただそれはあくまでも外見に限った話だ。内部機構には大幅な改造が施されている。航行速度だけならば並みの戦艦を優に上回るだろう。
 こうした船のお陰で俺たちは世界中の海を股に掛けて活動できる。まさに我らドーグマンの知恵と技術の結晶体。その代表格がこのイリス号なのだ。
 イリス号は既に準備を済ませていたようで、俺が乗り込んだら直ちに出発した。全身傷まみれの俺を見て、救護担当の兵士がすぐに駆けつけてきた。俺は担架に乗せられ医務室に慌ただしく運ばれた。激痛が全身を駆け回っていた。戦闘中は意識に昇らなかったが、俺もかなり消耗していたようだ。ほんの少しの衝撃にすら傷がうずく。
 一方で、頭の中は慙愧(ざんき)の念で溢れかえっていた。此度のケニア侵攻は俺にとって一世一代の大チャンスだった。その初戦を敗北という結果で終わらせてしまった。俺に油断や慢心の気持ちはなかったはずだ。ともに攻め入った兵士たちも皆、厳しい訓練に耐えた精鋭だった。それなのに実際にイリス号に戻ってこられたのは俺一人きり。大番狂わせの原因は明らかだ。
「……アレカシの疾風。奴らは一体何者なのだ」
 さすがに激痛に耐えかねたのか、身体は段々と深い眠りへと落ちていく。だが瞳を閉じてもなお、俺の脳裏ではあの忌々しい四色が輝きを放ち続けていた。
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