第10話 事の真相

文字数 4,590文字

 完敗。
 先の戦闘の結果を表現するとしたら、この言葉しかないだろう。俺たちはアレカシに完膚なきまでに敗れた。何しろ行動隊長たる俺自身が敵に身柄を拘束されてしまったのだから。俺だけは逃げ延びることができた製油所の戦闘とは、根本的に事情が異なっていた。
 俺はこれからどんな仕打ちに遭うのだろうか。格好悪いことだが、俺がまず関心を持ったのはそこだった。戦闘中のアレカシは鬼畜のような強さを誇る。奴らの手に落ちたとなれば、ただで済むとは到底考えられない。長時間に及ぶ拷問により組織の秘密を自白させられた後、身体を八つ裂きにされて処刑される。そんな最悪のシナリオを、俺は真面目に想像していた。
 ところが、現実はまるっきり違っていたのである。
「ホーゲンさん、今から傷の手当てを行いますので安静にしていてくださいね」
 佳の肘打ちを食らい悶絶していた俺は数分後にようやく落ち着きを取り戻した。そんな俺を急いで介抱してくれる者がいた。深みのある緑色のスーツを着こんだ人物。翡翠の志だ。奴は手慣れた手つきで俺の傷の治療を始めたのだ。
「他の兵士さんも我が社の衛生兵たちで救護しています。重傷の方は何人かいますが、幸い死者は出ていません。きちんと治療を行えばじきに回復します」
 これもその通りだった。周囲を見渡すと、アレカシの仲間と思われる連中がドーグマン兵士たちの治療をしている。彼らはアレカシとは違って、全員が迷彩柄の作業服に身を包んでいる。服の肩につけられたワッペンには、「YDC」というアルファベット三文字が縫い付けられている。アレカシの所属会社である八ツ森防衛、その略称と思われる。
 俺は自分が置かれている状況を全然飲み込めずにいた。だから、とりあえずその疑問をぶつけてみる。
「……貴様、なぜ俺たちを助ける?」
 俺の質問に志は首を傾げる。
「なぜと訊かれても返答に困りますね。傷ついた方々を助けるのに理由なんて要るんですか?」
 どうやらこいつにとって、負傷者を敵味方問わず救護するのは至極当然のことらしい。そう言えば、アレカシと初めて遭った時、こいつは気になることを口にしていた。「世界の平和を守るために戦う」とか何とか。たぶんその理念に従った結果の行動がこれなのだろう。苦しんでいる人を見かけたら手を差し伸べずにはいられないというわけか。
 フン、甘いな。目の前の少数の人間を救ったところで一体何になる。世界各地では権力者どもの悪政のせいで、毎日大勢の人間が紛争や飢餓で死んでいるのだ。それと比較すると、こいつの努力などほんの気休め程度にしかならない。本気で世界平和を目指すというなら、諸悪の根源である権力者を撲滅すること。そうして社会の構造をまるごと変革する以外に有効な手立てはない。
 俺はこいつに文句の一つでも言ってやりたくなった。
「それは違うぞ」
 そうだ、違う。よくぞ言った。え?
 俺の先手を取るように誰かが会話に割りこんできた。見ると、近くに蒼穹の礼の姿があった。隣には黄金の佳も引き連れている。
 礼は志をたしなめるように言う。
「ヒース、君が個人的にそうした信条をもって仕事に励むのは別に構わない。ただ、それを誰彼構わずに言いふらすのは感心しないな。あたかも俺たちの総意であるかのように受け取られてしまう。いいか、俺たちがドーグマンを救護する理由はあくまでも契約に基づくものだ。ケニア政府からは彼らの殺害を極力控えるように要請されている。ドーグマンを刑事事件の犯罪者として法廷で裁きたいというのがケニア政府の意向だからな」
「……あ、えーと……そう言えばそうでした」
 志は気まずそうに俺に顔を向ける。
「ホーゲンさん、そういうことらしいです。誤解させてしまって申し訳ないです」
 ぺこりと丁寧に頭を下げる。
 ……何なのだろう、こいつらは。妙に調子が狂うな。
 俺は自分が議論を吹っ掛けようとしたことも忘れ、ただ呆然としているしかなかった。

 礼と志のやり取りは続く。
「ところで、ソウキはどうして僕のところに? 確か、破損したトラックの撤去作業をしていたはずですよね」
「ああ、その件はほぼ片付いたんだ。それで、グレンに被害状況を報告したいんだが、あいつがどこにも見当たらない。オウゴに聞いても知らないとのことでな。ヒースは何か知らないか」
「うーん、僕もグレンは見てないですね」
 奴らの会話中に出てくるヒース、ソウキ、グレン、オウゴという語句。何を意味するのかと思っていたが、大体察しがついてきた。奴らのチーム内での呼称だろう。さしずめ
 グレン=紅蓮(

)の阿
 ソウキ=蒼穹(

ュウ)の礼
 オウゴ=黄金(

ン)の佳
 ヒース=翡翠(

イ)の志
といったところか。どうやら蒼穹の礼は紅蓮の阿の行方を知りたがっているようだ。
「誰も見ていないってことはひょっとして……」
「――ハッハッハ!」
 傍らにいた佳が急に高笑いする。
「またあいつサボりやがったな。つまり、今日もソウキがあいつの尻拭いをするってわけだ。お前って本当にいいように使われてるな。同情するよ」
 佳は礼の背中をポンポンと馴れ馴れしく叩いている。礼はそれを気にする風でもなく、呆れた調子でため息をつく。
「ふむ、まったく困ったものだな。グレンには、任務に対してもっと真面目に取り組んでほしいのだが。……まあいい。もう過ぎたことだ」
 礼は吹っ切れたように機敏に動き出す。
「ヒース、この場は君に任せる。俺とオウゴは先にリボイの空港に行って輸送機の手配をしてくる。グレンがいないのなら捕虜の搬送に手間取る可能性があるからな」
「了解です。ホーゲンさんたちの手当てが終わり次第、僕も引き上げます」

「待て!」
 俺は、立ち去ろうとする礼と佳を語気荒く引き留める。こいつらにはどうしても聞いておきたいことがあるのだ。
「ひとつ聞かせろ。貴様ら、なぜ俺があのトラックに乗っていると知っていたのだ」
「お!? ようやっと聞いてきたか。やけに大人しいから心配してたんだが、やっぱり気になってたんだな。いいよ、教えてやる」
 俺の尋問に、佳が待っていましたとばかりに食いついてくる。
「おい、オウゴ。今はそんな暇は……」
 佳は礼の制止も聞かず、俺に語り出す。
「とは言っても、あんたも大方察しはついているんだろう。あんたの仲間に内通者がいたんだよ。そいつからあんたがトラックを使ってリボイに向かうっていう話を聞いたんだ。で、その内通者ってのが……」
「マルガ、か」
 自分でも驚くほど落ち着き払った声で俺は言う。
「ご明察! ククッ、分かっているじゃないか」
 佳は勝ち誇るように得意気に頷いた。
 ……やはりそうだったのか。俺は自分の心がどんどん沈み込んでいくように感じた。
 アレカシがリボイに向かう途中の俺を待ち伏せしていたこと。トラックが高速走行中にタイヤがバーストしたこと。これらに関する仮説を俺はずっと考えていた。
 アレカシが国境越え作戦の全容を知っていたのは明白だ。四人全員がバイクまで用意して俺のトラックを待ち伏せていたのだから。奴らはどこからその情報を入手したのか。本作戦はもともとマルガの提案から始まった。その後は俺とマルガの二人で秘密裏に計画を進めており、兵士たちに作戦内容を通達したのは決行直前だ。もし作戦の内容が誰かから漏えいしたとなれば、俺を除外すると、残るはマルガしか考えられないのだ。
 そうすると、アレカシから逃げる際にタイヤがバーストしたのもマルガの仕業なのだろう。高速走行したらバーストするように、あらかじめタイヤに細工を施しておいたに違いない。
「貴様、一体マルガに何をしたのだ」
「別に大したことはしてねえさ。ちょっとした交渉を持ちかけただけさ」
 佳はまったく悪びれずに答える。
「儂はドーグマン攻略の突破口を見つけようと、あんたらの内情を色々と調べていたのさ。そんな中で目に留まったのがマルガだ。ちょうどキスマヨであんたの船に忍び込む直前だったかな。儂はあいつに接触して、あんたを罠に陥れるように持ち掛けた。『これから自分はホーゲンの船で騒ぎを起こす。お前はそれを口実に、ホーゲンが内陸部に向かうように誘導しろ』ってな。あの野郎、裁判で責任を追及されたり、組織から報復されたりするんじゃないかと恐れて、はじめは渋っていやがった。でも、可能な限り減刑することと、社会復帰にあたり個人情報を書き換えることを約束したら、あいつはあっさり乗ってくれた。まあ、それ以外にも、ちぃとばかり痛い目に遭わせちまったけどな」
 すべては佳とマルガの共謀。しかも、イリス号侵入事件のときから謀略は既に始まっていたというのか。マルガが先遣隊を買って出たのも俺を罠にかけるための布石だった。俺はそうとも知らず、マルガが成長したとひとり小躍りしていただけだった。
「話は済んだか。では、ここに長居は無用だ。行くぞ、オウゴ」
「へいへい」
 礼と佳は、俺が無言になったと見るや、さっさとその場を立ち去っていく。俺はもう奴らを呼び止めたりはしない。俺はいたたまれない気持ちで頭がはち切れそうだった。
 マルガが優れた行動隊長に成長するように、俺はあいつにドーグマンという組織の仕組みや歴史を徹底的に教え込んできた。だから、あいつはドーグマンの理想をしっかり理解していたはずなのだ。それなのに、あいつはアレカシにその身を売った。そのときの要求と言ったら何だ。刑を軽くしてほしい? 安全に社会復帰させてほしいだと? 何とも浅はかで自己中心的に過ぎるではないか。そんな下賤な要求が満たされただけで、マルガはドーグマンの崇高な理想をやすやすと放棄したのだ。それは俺の善意を踏みにじる行為であり、ドーグマンに対する最大級の冒涜だ。
 許さぬぞ、マルガ! この屈辱、いずれ必ず晴らしてやる。
 俺の闘志が再び燃え出す。こんなところで終わるわけにはいかない。何とかしてこの窮地を脱しなければ。しかしどうすればいい。身に着けていた武器や通信機器の類は手当ての間に没収されてしまったようだ。これでは実力行使に及ぶことはできそうもない。
 俺は自分の胸元へと視線を移す。俺の名前が刻まれたIDタグが、チェーンを通して首から提げられている。上下に分割可能な一枚式のものだ。……もうこれしか残っていないか。まさか、これを使う日が来ようとはな。
「……さてと、これでおしまいです」
 志が明るい口調で告げる。俺の治療が済んだらしい。
「ホーゲンさん、目立った外傷については応急手当をしておきました。でも、まだ安心はできません。内部で出血していたら大変ですからね。特に腹部の打撲は内臓が損傷している可能性もあります。詳しいことは搬送先の病院で精密検査を受けてもらいます」
 志は手近なところにいた衛生兵に声を掛ける。
「すみません、ホーゲンさんのことをお願いします。僕は他の負傷兵を診ますから」
 志は慌ただしく俺のもとを離れる。好機到来だ。俺はすかさず胸元のIDタグに両手を伸ばし、上下に分割するべく力を込める。
「ん? おい、何をしている!」
 衛生兵が俺の行動に気付き、駆け寄ってくる。だがもう遅い。
 俺はひと思いにタグをへし折った。瞬間、頭の中で電光がカッとほとばしるような感覚を覚える。その直後、俺の世界は跡形もなく消し飛んだ。
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