最終話 紅蓮の剣

文字数 4,314文字

 背中が重い。息苦しい。大量の瓦礫が俺を圧殺すべくのしかかる。四肢はすべて押し潰され、それぞれの関節はとんでもない方向に折れ曲がっている。普通の人間であればとっくに死んでいるはずなのに、なまじアンドロイドであるために、俺は死の向こう側の苦しみを直接味わう羽目になる。
 阿が投げた手榴弾。あの爆発はかなり大規模な崩落を引き起こしたようだ。俺は岩窟の下層まで一気に落下してしまった。岩窟には、経年劣化や無理な改修工事の影響で強度的に問題のある場所が多いと聞いたことがある。たぶん、俺が戦っていた通路の近辺はそのうちの一つだったのだろう。
 俺に被虐を好む性向はない。さっさとこの不本意な状態から抜け出そうと、手足にありったけの力を込めて身体を起こす。ガラガラと音を立てながら瓦礫が少しずつ背中から転がり落ちていく。
「……う、うおおぉー!」
 ある程度身体が浮いたところで、瓦礫の覆いを突き破るようにがばと立ち上がる。瓦礫は衝撃により四方八方に吹き飛ばされた。
 脱出成功。折れ曲がっていた手足を定位置に戻すと小気味よい関節音が鳴り響く。埃を払ってさらに全身を入念に調べる。負傷の程度は思っていたほど重くない。まだ存分に動けそうだった。
 ところでここはどこなのだろう。岩窟内の一区画であることは間違いないだろうが、俺もこんな場所には初めて来た。電気は通っていないため薄暗く、灯りと言えば上方からわずかに差し込む光だけ。壁や床の劣化の度合いは非常に激しく、相当古い年代のものだと分かる。おそらくここは、時代の流れとともに打ち捨てられた旧区画ではないだろうか。
 ふと人の気配を感じた。目を遣れば、瓦礫の破片に腰掛ける一人の人間の姿があった。……紅蓮の阿。やはりこいつも俺と一緒に落下してきていたか。奴はこちらには見向きもせずに、光の届かないさらに奥の区画の方をじっと見つめている。
 俺はわざとらしく大きな足音を立てながら奴に近寄る。
「フン、驚かせてくれるではないか。大方、あの場所から俺を引き離すために手榴弾で床をぶち抜こうとしたのだろう。他の三人があれ以上攻撃に晒されないようにしたかったのかな? 心を持たぬ人形のような奴だと思っていたが、なかなか仲間思いで殊勝な一面もあるではないか。よかろう、それほど仲間よりも先んじて死にたいのならば、俺がここで引導を渡してやる!」
 俺の啖呵に対して阿は何も答えない。相変わらず不愛想な奴だ。そう感じていたときである。
「……仲間思い、か。お褒めに預かり光栄と言いたいところだけど、別にそんな大層なものでもないのよね」
 ……喋った。こいつ、ちゃんと口が利けたのだな。抑揚はないが不思議と耳によく響く。俺は妙な感慨を抱いて奴の声を聞いた。
「あの三人を自分と同じ仲間だと認識したことは一度もないわね。だって三人とも思考や行動の様式が、私とは全然違うんだもの。一緒にいると本当に疲れる。それなりに長い付き合いになるけど、彼らを十分理解したかと言われると、いまだに自信がないわね」
 阿は腰掛けていた瓦礫からやおら立ち上がり、こちらを振り向いた。それに合わせるかのように、奴の手首のブレスレットが(ほの)かな赤い光を放ち始める。一帯が闇に包まれている中、その輝きはどこか神秘的な雰囲気を醸し出す。
「だからね、私はいつも自分の『個性』を自覚せざるを得ない。自分はどこまで行っても自分でしかなく、決して他者と同じ地平に立つことが叶わない。でもそれこそが、私が一個の人格であることの何よりの証となる」
 阿の語りが進むにつれ、ブレスレットから漏れ出る光も徐々に強くなり、いつしか周囲を昼間のように燦燦(さんさん)と照らし出す。何やら嫌な予感を覚えた俺は思わず一歩後ずさる。その動きを見咎めるように、ブレスレットからひときわ強烈な光が溢れる。
 そして俺は、あり得るはずのない驚異的な現象を目の当たりにすることになる。ブレスレットの光がまるで生きているかのように伸縮を繰り返し、形状を整えていったのだ。それは一本の剣へと姿を変えた。阿のスーツと同様に真っ赤な柄。そこから刀身が真っ直ぐに伸びている。例えるならば、おとぎ話に登場する王子様が持っていそうな、玩具じみたデザインの剣である。
 阿はその剣を片手に持つとフェンシング選手のような構えを取った。
「――ホーゲン、あなたにこの力受け止めきれるかしら?」
 死の宣告の如くそう告げると、阿はすさまじい殺気とともに攻撃を仕掛けてきた。唖然とする俺にまっしぐら。顔面を狙って鋭い刺突が繰り出される。ぎりぎり顔をそらせて避けるが、若干遅かった。剣の切っ先がわずかに俺の頬を(えぐ)る。そのとき、傷ついた頬の肌が異常な感覚を検知した。
 ――熱い!?
 そうなのだ。剣が頬を抉った瞬間に、俺の温覚ははっきりと高熱の発生を捉えたのだ。傷口部分に触れて確かめると、肌はただれて、少量の金属が液体となって流れ出ている。これは一体……?
 俺とすれ違った阿が、俺に正対し直して剣を向ける。それをじっくりと見ると、刀身は赤熱し、ごく近いところの空気が陽炎(かげろう)のように揺らいでいる。信じ難いことだが、あの剣は確かに発熱している。俺は自分が夢でも見ているのかと思った。
 俺の当惑などお構いなく阿が再び俺に襲い掛かる。まるで舞を舞うかのように自在な身のこなしで、連続で斬りつけてくる。
 ――は、速い!
 格闘戦のときも阿の技の俊敏さは目を見張るものがあった。だが今の奴はそれに輪をかけて速い。その速さは剣の残像が見えるほどであり、俺は回避するだけで精一杯だ。加えて、奴の剣が宿す膨大な熱量である。剣が俺の身体をかすめるたびに肌が火傷せんばかりの熱気を感じる。一体どれほどの熱量を発しているのか想像も出来ない。今ならば断言できる。この剣こそが奴本来の得物なのだ。格闘戦は奴の戦闘技術のほんの一部でしかなかったのだ。ここに来て自らの奥の手をようやく明かしたというわけか。
 とにかく一度距離を置く必要がある。奴の剣の間合いの中では俺に反撃の余地はない。
 阿の連撃を必死にかわしつつ俺は周囲をくまなく観察する。――あった。俺が落下してきた地点のほど近くにマシンガンが無造作に転がっている。崩落前にジョージから受け取った、弾薬補充済みのマシンガンだ。あれさえあれば……。
 俺は床に散らばっている瓦礫から適当なものを選別し、これだと思ったものを阿の方へ蹴り上げる。阿は危なげなくそれをかわすが、そのせいで奴の連撃が一瞬だけ緩まる。チャンス。俺は一目散にマシンガンを目掛けて走り、素早くそれを拾い上げた。
 マシンガンの銃口を阿に向ける。奴の剣技は大したものだが、それは見せかけに過ぎない。奴もこれまでの戦いにより相当なダメージを負っているはず。今一度マシンガンの銃撃を浴びせれば必ず仕留められよう。近付く勝利に心躍らせて俺はトリガーに指を置く。
「なっ!?
 トリガーを押す直前、阿が剣を高らかに上に掲げた。するとどうだろう。深紅の炎が空気中にどこからともなく現れて、奴の剣を囲むように集まり出したではないか。炎は刀身を中心に螺旋状に渦巻きながら、なおも盛んに燃え広がる。そうして炎の勢いが頂点に達したとき、阿は剣の切っ先を地面にかすめるようにして、下段から虚空を斬り上げる。炎は刀身を離れ、地を這う一筋の津波となって猛烈なスピードで俺に迫り来る。
 ついさっき俺は自分が夢を見ているのではないかと疑った。ああ、その通りだ。これは夢に違いない。そうでもして自分を納得させなければ、俺は目の前で起きている現象を到底受け入れることができなかった。
 あまりの驚きに俺は回避行動が遅れる。炎は俺の右腕をマシンガンもろともに飲み込んだ。
「ぐあぁぁあ!」
 凄絶な痛みが俺を襲う。右腕を確認すると、もはや肘から先の部位は消え去っていた。傷口は炎で焼き焦がされ断面が真っ黒になっている。
「おのれ、おのれぇー!」
 俺は無我夢中で阿に向かって走り出した。片手を失ったせいだろうか。一歩踏み出すごとに上体は大きくぶれ、脚にも思うように力が入らない。だがそんなことはこの際どうでもよかった。
 俺がここで敗れたら、この先、東アフリカ戦線は、ドーグマンはどうなる?
 先の戦いで俺はアレカシに重傷を負わせたが、息の根までは止めていない。阿は俺を倒したら他の三人と合流。奴らはそのまま岩窟の司令室への襲撃を続行するだろう。司令室に陣取る幹部たちは所詮ラーゲルの取り巻きに過ぎない。さしたる抵抗もできずに一網打尽にされる。これにより東アフリカ戦線はほぼ壊滅すると見てよい。
 憂慮すべきはその後の展開だ。幹部ともなれば組織に関わる機密情報をいくつも心得ている。彼らの身柄を引き取ったケニア政府はあの手この手でそれを聞き出し、他国とも共有を図るに違いない。各国政府は連携を強め一挙にドーグマンの殲滅に乗り出すかもしれない。首領の不在により組織はただでさえ弱体化している。その上に全面戦争まで仕掛けられたら組織は再起不能なまでに瓦解する。「世界人民の解放」という理想を実現する道もそれとともに潰えてしまうだろう。
 ……そんなことがあってたまるか。ドーグマンが消えてしまったら、果たして誰がこの腐りきった社会を正していくのか。そんな崇高な役割を果たせるのは他にはいない。ドーグマンは未来永劫、正義の代行者として世界に君臨する使命がある。ドーグマン戦士たる俺はその矜持を何が何でも守り通さねばならんのだ。
 阿とかち合うまで残り数歩。俺は捨て身の体で間合いを詰め、左腕一本で果敢に殴り掛かる。あっさりとかわす阿。攻撃の手を休めるな。奴を追いかけるようにすかさず回し蹴りを入れる。またもかわされる。そして、阿は……。
 どこへ行った? 慌てて左右を見渡すが誰も見当たらない。
「――ハアアァァーッ!」
 気迫に満ちた声が耳を突く。音源は俺の頭上。見上げると阿の姿があった。奴は超人的な跳躍により上方へ逃れていたのだ。
 ハヤブサが獲物を狩るが如く、阿が剣を構えたまま急降下してくる。
 ――美しい。
 思いがけず芽生えた想念に、他でもない俺自身が驚愕する。大義を掲げているわけでもなければ伝統を背負っているわけでもない。特徴と言えば、常軌を逸したコスチュームと、化け物じみた戦闘能力のみ。そんな無法者に対して、どうしてこれほどまでに惹き付けられるのか。
 残された時間は答えを見出すにはあまりにも短すぎた。阿の手にする紅蓮の剣が俺を引き寄せるようにして急速に接近する。
 その切っ先は俺の脳天を寸分違わず刺し貫いたのだった。
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