第9話 爆走対決

文字数 4,310文字

 車窓からの景色は実に荒涼としたものだった。
 見渡すかぎりのステップ地帯。黄褐色の土が露出する地面に、背の低い草がまばらに生える。目に留まるものと言えば、ぽつぽつと点在する木々だけで、人家のような建物はまったく見かけない。
 そんな大地を斬り裂くように走る一本の道を、俺たちの乗るトラックはひたすら進んでいる。未舗装の道路はところどころが凸凹になっていて、座席には断続的に振動が伝わってくる。道は地平線に至るまで延々と続いている。
 ここはケニア東部の行政区画ガリッサ県。ソマリア‐ケニア間の国境を越えてすぐの地点だ。俺たちはついに陸地経由でケニアに足を踏み入れたのである。
 といっても、国境を越えること自体にあまり苦労はなかった。ドーグマンの偉大な理想は世界規模で広まっている。当然、ケニア警備兵の中にだってドーグマンメンバーは存在する。そして今日こそまさに、彼らが国境警備を担当する日だったのだ。俺はこのタイミングに合わせて国境越えを決行。彼らが手筈を整えてくれたお陰で、俺たちはまったく怪しまれずに国境を通過できた。
 移動手段としては民間の大型トラックを利用している。キャビンには俺と運転手の兵士だけが乗り込み、残りの兵士たちは荷台だ。彼らには荷台の上でシートを被って身を隠すように指示している。途中でケニアの民間人に遭遇しても、トラックが普通の荷物を運搬していると誤解させるためだ。
 携帯している無線機に受信が来た。先遣隊のマルガからだ。
「こちらマルガ。ホーゲン応答せよ」
「こちらホーゲン、どうぞ」
「たった今、リボイに到着した。頻繁に民間人に出くわすが、特に俺たちのトラックを不審がっている様子はないな。俺はこれからどうすればいい? どうぞ」
「そうか、狙い通りだな。よし、お前はどこか目立たない場所で待機していろ。俺が合流したら一斉に制圧行動を開始する、どうぞ」
「マルガ了解、以上」
 リボイとはここから五キロメートルほど先にある町であり、ケニアの中では最辺境の市街地の一つだ。陸地からケニアに侵攻するにあたり、俺は手始めにリボイを制圧しようと考えていた。ゆくゆくはそこを拠点にして、西のダダーブ、さらにその先の県都ガリッサに進軍する予定だ。
 俺は頬杖をついて、助手席の窓から過ぎ行く風景を眺める。作戦は万事うまく運んでいる。マルガが先行して状況確認しているため、俺は余裕をもって進軍できていた。
 ふと感じる。マルガは随分と頼もしくなった。
 あいつが先遣隊を務めると提案してきたとき、俺は素直にうれしかった。先遣隊には誰よりも先に危険が及ぶ。もし敵の襲撃に遭えば命を落とすかもしれない。しかし、たとえ戦死したとしてもその死には尊ぶべき価値がある。なぜなら、それはドーグマンの理想に対する殉死であるためだ。殉死兵の名は、理想実現の過程で散った命として永遠に記憶されるだろう。マルガはその役目を進んで引き受けたのだ。思えば、あいつの戦術は手堅いが、それが原因で勝負どころで押し切れず機を失することが多かった。俺はそれをとても歯がゆく感じていたものだ。そんなあいつが自ら先遣隊に名乗りを上げたのは紛れもない成長の証だ。行動隊長という立場になって、あいつもやっとドーグマンの戦士としての気概を獲得できたのかもしれない。

「――ホーゲン様! あれを……あれを見てください!」
 不意に、隣の運転手が突拍子もなく大声を上げる。
「どうした、うるさいな」
 作戦中に冷静さを失うとは情けない。俺は辟易しながら運転手の視線の先に目を遣る。
 トラックのはるか前方の道路。そこに四台のバイクが見えた。バイクは道を塞ぐように横一線に並んでいて、こちらに向けて猛烈な勢いで走ってくる。それぞれの外装は、赤青黄緑というどこかで見たような配色で塗装されている。それにまたがる人間のスーツもこれまた同じ配色で……。
 俺は運転手が狼狽している理由にようやく合点がいった。
「あれはアレカシ!? なぜ奴らがここに!?
 トラックとバイクの間の距離は刻一刻と縮まっていく。考えている暇はない。早急にこの状況から抜け出さなければならない。
「おい、Uターンだ。来た道を引き返せ。早くしろ!」
 運転手は慌ててハンドルを急旋回させる。キキィーという不快なタイヤの摩擦音とともに、トラックの巨体が一回転する。すさまじい遠心力が身体に作用して、俺は危うく車内で滑り出しそうになる。トラックの向きが真逆になると、次に運転手はアクセルを一気に踏み込んで急加速する。今度は後ろに飛ばされそうになるくらいの慣性が働いた。
 運転手の巧みなハンドルさばきによりトラックはどうにか安定走行するようになる。やれやれ、何とか態勢を立て直せた。俺は窓に身を乗り出して後方を確認する。アレカシはトラックの後方から二十メートルほど離れたところを走っている。まだ追い付かれることはなさそうだ。
「お前はこのまま全速力で運転していろ。絶対にスピードを落とすなよ」
 運転手に命じた俺は助手席側のドアを開け放つ。そこから荷台のほうに飛び移る。
「お前たち、起きろ。アレカシが現れた。武器を準備して応戦するぞ!」
 シートに隠れていた兵士たちに指示を飛ばす。すでに異常を感じ取っていたのだろう。彼らはシートを蹴飛ばして続々と姿を現し、アサルトライフルを手に取る。
「タイヤを狙ってパンクさせろ! そうすれば奴らも追って来れまい」
 俺の助言に従って、兵士たちはバイクのタイヤ付近を目掛けてライフルを発射する。けたたましい銃声を鳴らしながら、数多の銃弾がアレカシに襲い掛かる。
 銃弾のいくつかはタイヤからそれて地面にも着弾する。そのせいで土煙が巻き起こり、アレカシの姿は一瞬視界からかき消される。だが奴らは土煙を颯爽と突っ切って、なおもしつこく追いかけてくる。
 ……俺の見立てではかなりの数の銃弾がタイヤに命中していたはずだ。それなのにタイヤはほとんど無傷で、バイクの走行に何ら支障を来していない。認めたくないが、あのバイクもまたアレカシのスーツと同等の防御力を備えているらしい。
 どうやら再びあの武器に頼るしかないようだ。俺は誰ともなしに命令する。
「ロケットランチャーだ。ロケットランチャーを俺に貸せ!」
「ハッ、こちらです」
 兵士が持ってきたロケットランチャーを俺はひったくるように受け取り、手早くアレカシに弾頭を向ける。
 バイクもろとも木っ端微塵にしてくれる。
 俺が引き金を引こうとしたまさにそのとき、トラックの荷台の下からパンという破裂音が鳴った。それと同時にトラックの車体が跳ねるように縦に大きく揺れる。俺は衝撃に足をとられて、ロケット弾をあらぬ方向に発射させてしまう。弾はアレカシから大きく外れて飛んでいき、遠くの草原で爆発した。
 今のは一体何だ?
 動揺する俺をあざ笑うかのように、荷台が小刻みにガクガクと振動し始める。俺は運転席に怒鳴った。
「何をしている! ちゃんと運転しろ!」
「違うんです。急にハンドルが効かなくなって……」
 運転手が弱々しく弁明する。嘘をついている様子はない。もしかしてタイヤがバーストでもしたのか。そのせいで車体が制御を受け付けなくなったのか。
 やがてトラックは蛇行しながら走行するようになり、俺たちは荷台に立っているのもおぼつかなくなる。このままではトラックが横転してしまいそうだ。
「やむを得ん。皆、荷台から飛び降りろ!」
 兵士たちが我先にと荷台から飛び降りる。衝撃を和らげるため、皆が受け身を取って着地する。最後に俺も続いた。
 着地して振り返ると、トラックがさっきよりもさらに大きな弧を描きながら右に左に曲がりくねって進んでいるのが見える。ほどなくしてトラックは道端に生えた一本の樹木に激突して大破した。飛び降りるのが少しでも遅れていたら、俺たちもあれに巻き込まれていただろう。
 しかし俺に安堵する余裕はない。周囲を見渡すと、アレカシが俺たちを取り囲むようにして旋回しながら走っている。俺たちにもはや逃げ場はない。そして、バイクを操るアレカシにこんなに接近されてしまってはロケットランチャーも使えない。
 願わくはこの状況がどうか夢であってほしい。俺は益体もなくそんなことを思った。だが現実は冷酷だ。アレカシは手を使って互いに合図をしたかと思うと、俺たちに向かって一斉に突撃してきた。
「み、皆の者、迎え討つのだ!」
 俺は必死に兵士たちを統率しようとする。だがもう無意味だった。彼らは絶望的な状況におろおろと取り乱すばかり。アレカシはそんな彼らの間を縫うように走り回り、数人単位のまとまりに分断する。兵士たちの連携は完全に断たれた。アレカシはいよいよバイクから降り立ち、仕上げとばかりに肉弾戦を仕掛けてくる。兵士たちは奴らに難なく各個撃破され、一人また一人と倒れていく。
 くそっ、どうしてこうなったのだ。侵攻経路を海上から陸地に変更したことでアレカシを出し抜けるはずだったのに。
 仕方がない。俺の部隊がここで壊滅するとしても、せめてリボイだけは陥落させよう。先遣隊のマルガに単独でリボイを襲撃させるのだ。少人数のマルガ部隊だけで対応できるか不安だが、ここまで来たのに何もせずに終わってなるものか。俺は無線機に声を送る。
「こちら、ホーゲン。マルガ応答せよ!」
 ……返事がない。いや違う。微かだが、むせび泣くような声が聞こえる。
「……こちら……ルガ……ホーゲン、すまな……俺は……お前をっ……」
「マルガ? おい、マルガ、応答しろ!」
「そいつはできねえ相談だな!」
 この返事は無線機からではない。はっとした俺の目に映ったのは、眩しい黄色のバイク。それが俺に向かって一直線に迫ってくる。乗っているのはもちろん黄金の佳だ。バイクが俺の隣を過ぎ去ろうとするタイミングで、佳は俺に向かって跳躍。奴の大柄な体躯がバイクの速度を伴って飛んでくる。俺は避けきれず、仰向けに押し潰されてしまう。身動きが取れなくなった俺に対し、続けざまに佳は腹部を狙って強烈に片肘を振り下ろす。
「ゲハッ……」
 奴の肘はこれ以上ないほど的確に俺の鳩尾(みぞおち)を貫く。内臓を吐き出すのではないかと思うような壮絶な苦しみが俺を襲う。俺は腹を抱えて、ただただ悶絶するばかりだ。
 勝敗の行方などもうどちらでもよかった。早く、早くこの地獄から解放してくれ。俺の思考はその一点のみによって支配されていた。
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