第11話 復活

文字数 4,063文字

 目を開けたら、私は見知らぬ部屋のベッドの上で横になっていた。
 肌に触れる空気がひんやりと冷たい。冷房がかなり効いている。部屋には私以外に誰もいないようで、不気味なほど静かだ。
 おもむろに身体を起こす。すると、違和感に気付く。身体中のそこかしこから無数にケーブルが伸び出ているのだ。それらを辿った先にはコンピュータと思われる筐体がある。
 ここはどこだ。なぜ私はここにいる。そもそも私は誰なのだ。とめどなく疑問が浮かぶが、私はそれに対する解答を持ち合わせていない。
 ――ガチャン。
 突如として、部屋の隅のドアが開け放たれ、一人の人間が入ってくる。その人間はネクタイを締めたワイシャツの上から白衣を羽織っていた。私に対して気安く話しかけてくる。
「お目覚めになられましたね、ホーゲンさん」
 ……ホーゲン? もしかして私のことだろうか?
 私が咄嗟に反応できずにいると、彼はただちにそれを察したようだ。
「ふむ、どうやらまだ記憶が混濁していますね。少しじっとしていてください」
 彼は私の身体からケーブルを手際よく取り外していく。そうしながら、噛んで含めるように話し始める。
「いいですか、あなたの名前はホーゲン。世界的に活動する武装組織ドーグマン、その東アフリカ戦線の行動隊長です。あなたはドーグマンの掲げる『世界人民の解放』という理念を実現するために粉骨砕身の努力を重ねてきました。その甲斐あって、あなたはケニア侵攻戦の先鋒という大変誉れ高い任務を与えられます。ところが、そこに邪魔者が現れます。奴らの名前はアレカシの疾風。八ツ森防衛というPMSCに所属する戦闘部隊です」
 ――アレカシの疾風!? その名を聞いたとき脳の全神経が直結するような感覚が生じる。モガディシュ近海での海上警備、首領との謁見、モンバサ製油所襲撃、イリス号の侵入者騒ぎ、陸路からの国境越え。一連の記憶が走馬灯のように駆け巡る。
 俺はすべての事態を理解した。
「……思い出したぞ。俺はホーゲン。ドーグマンの行動隊長。俺は東アフリカ戦線の司令官の座を懸けてケニアに攻め込んだが、アレカシの妨害で作戦は思うように進まなかった。そして、ついにリボイ襲撃に向かう途中で奴らに捕縛されてしまう。連行されるのを恐れた俺は……」
 俺は白衣の人間の目を見る。
「IDタグをへし折って自爆した」
「その通り。ちゃんと思い出せたようで何よりです」
 ケーブルの最後の一本が引き抜かれる。俺は、自由になった身体のあちこちを手で触れて、その感触を確かめる。
「……俺は生き返ったのか」
「その言い方は推奨しませんね。あなたはそもそも死んでいない。たとえ生来の身体が消失したとしても、あなたの意識はこうして新たな身体に宿ったのだから」
「では……」
「ええ、そうです。転送は成功しました」
 彼はそこで初めて笑顔を見せる。俺は自分に訪れた奇跡に深く感謝した。

 精神転送。これが俺を窮地から救い出してくれた技術の呼称だ。人間の意識を生来の肉体から分離して、新たな器に定着させる技術である。
 首領がドーグマンの組織改革に邁進(まいしん)していた頃のこと。兵器調達を任されていたラーゲルは、通常の火器とは別に、人体改造に関する技術情報を多数仕入れてきた。サイボーグ化や遺伝子操作などの手術によって身体能力を飛躍的に向上させようというものだ。ラーゲルはドーグマンの軍事力増強に役立つとして、首領に対してそうした技術を熱烈に勧めた。
 首領は採用すべきか大いに悩んだらしいが、結局いずれも見送った。技術発展の先行きがあまりにも不透明だったためだ。人体改造は、当時はもちろん現在でさえ、いまだ開発の途上にある。多額の資金投資が必要とされる一方で、それに見合うだけの成果を得られる確証がなかった。
 加えて、首領が恐れたのは社会の倫理的規範に抵触することだった。首領は、ドーグマンが勢力を拡大するためには、単に武力に頼るだけではなく世間の人々から広く支持を集めなければならないと考えていた。人体改造の是非は、社会的に見てまだ十分に議論がなされていない。それを待たずに改造手術を断行したら、必ず世間から反感が巻き起こると予測したのだ。
 首領が断固として採用を拒否した以上、メンバーはそれに賛同するしかない。技術を持ち込んだ張本人であるラーゲルも渋々その決定に従った。
 だが俺は内心そうした技術を見逃すことが惜しいと感じた。ドーグマンが打倒すべき権力者は世界各地に多数存在する。その中には先進国と呼ばれる国家も含まれる。総戦力的には敵の方がはるかに我らを凌駕している。今後奴らと長きに渡ってやり合うためには、常識にとらわれない革新的な秘策が必要だ。それが不利な戦局を覆す一手になるだろう。
 俺は組織に無断で人体改造手術を利用する決心をした。とは言うものの、サイボーグ化や遺伝子操作などは気が引けた。そうした手術を我が身に施したら、外見があからさまに変化して、俺が禁令を破ったことが即座に発覚してしまう。
 そこで俺は精神転送に目を付けた。人間が死亡した後に、本人と瓜二つの人型機械に生前の記憶を移植するという技術だ。ラーゲルが仕入れてきた数ある改造手術のうちで、これは最も実用化から遠かった。しかし、これならば他の者に発覚する心配はない。手術しても外見にほとんど変化が起こらないからだ。万が一命を落としたときの保険として、俺はこの手術を受けることにした。
 俺は任務の合間を縫って、精神転送技術の開発会社に赴いた。会社所在地は南アフリカ共和国のケープタウン。この国家の貧富格差はアフリカ大陸の中でも群を抜いている。ドーグマンの理想に照らせば文句なしの攻略対象であるが、このときばかりは敵愾心(てきがいしん)を封じて目的地を目指した。会社は超高層ビルが立ち並ぶオフィス街の中心部にあった。一見したところ、危険な技術開発を行っている場所とは思えなかった。受付に申し出ると、担当者を連れてくると対応してくれた。そうして引き合わされたのが、この白衣の人間だった。名前は知らない。一度も名乗られた覚えがなかった。
「いやはや、それにしてもあなたには驚かされました。まさか自らタグをへし折ろうとは。私どもとしては、あれは単なる死亡確認用の道具に過ぎなかったのですがね。あんな使い方をしてくるとは思ってもみませんでしたよ」
 ああ、そのことか。白衣が面白そうに語る内容を、俺は遠い昔の出来事のように振り返る。
 あの二枚式のIDタグは、手術が無事に終了して会社を後にするときに、こいつからもらい受けたものだ。組織から支給された俺の古いタグに、外見を似せて製造したらしい。新しいタグには超小型発信機が埋め込まれており、タグ一枚を折り取ることで作動するようになっている。要するに、俺が戦死して、誰かが遺体の身元を報告するためにタグ一枚を回収すると、会社宛てに信号が発信されるということだ。会社はその信号の受信をもって俺の死亡を確定し、精神転送を開始する。その際、機密保持のためにもともとの肉体は爆散するように手術したから、くれぐれも注意してほしいとのことだった。
 俺は、本来は死亡を事後的に判定するためのタグの性質を逆手に取って、精神転送作業を意図的に開始させたのだ。ただ、精神転送が成功する確率は非常に低い。もし転送が失敗した場合は単なる自殺行為でしかない。俺はわずかな成功の可能性を信じて、賭けに打って出た。
 思い返すと、我ながら大それた真似をしたものだ。だがその決断によって、俺は今こうしてここにいる。俺は賭けに勝ったのだ。そう考えたら、俄然やる気が湧いてきた。
 俺は重たい身体を動かしてベッドから足を下ろす。
「おや、もしかしてもう出立するおつもりですか?」
「ああ、悪いが急いでいるのでな。ここは、あのときの会社のどこかの一室なのだろう? つまり、俺は今、南アフリカにいる。こうしてはいられない。早速ソマリアに戻って戦いの準備を始めなくてはならない」
 ベッドの近くにある手すりに手を置き、立ち上がろうとする。そうしたら、何も力を入れていないのに手すりが粉々になり、俺は危うく倒れそうになった。
「こ、これは!?
「フフ、初めは誰でも驚きますよね」
 白衣は俺の驚く様子をニヤニヤしながら見ている。
「そうです、これこそがあなたの新しい身体の能力です。発揮できる力は生身の頃の数倍以上。あなたは見事にアンドロイドとして蘇ったのです。なに、ご心配には及びません。すぐに力の入れ具合は分かります。そうそう、出立するというなら、これを渡しておかねばなりませんね」
 白衣は胸元から封筒を取り出し俺に手渡す。
「はい、どうぞ。今回の報酬です。小切手が入っています」
 そういえばそうだった。ラーゲルのもたらした技術の中で精神転送が異例だったのは、契約満了時に報酬を獲得できるということだった。この手術は実験も兼ねているらしく、その被験者代とのことだった。
「だが本当にいいのか。転送は成功したのだから別に……」
「そんなことをおっしゃらずにぜひ受け取ってください。こうして実際に報酬を手渡せるのはあなたが初めてなのですから。これは一種の罪滅ぼしでもあるんですよ。今までにも大勢の方にご協力いただきましたが、全員が報酬を得ることなく帰らぬ人となってしまいました。彼らのことを思うと心が痛みます」
 そう言いつつ白衣の顔からニヤニヤした表情は消えていない。本当に心が痛んでいるのか、甚だ疑問である。
「まあ、俺にとっても大金が手に入るのはありがたい。これからの生活は組織からの援助が期待できないからな。遠慮なくいただこう」
「ありがとうございます。それでは……」
 白衣は軽く咳払いして、演技じみた調子で高らかにこう告げる。
「さあ、いざご出陣なさい! あなたの崇高な精神は、それを宿すにふさわしい完璧な身体を獲得しました。今こそ宿願の目標を果たすときです。我々カレドミル・テクニカはあなたの新たなる船出をここに祝います!」
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