第6話 出征

文字数 3,971文字

 ドアに近付き、緊張しながらノックする。すぐに部屋から声が返ってきた。
「ホーゲンか」
「ハッ、お呼びと聞いて馳せ参じました」
「入れ」
 言われるままにドアを押して入る。音が立たないようにしてドアを閉じ、部屋の方に向き直る。その瞬間、俺が感じた部屋の第一印象は「広い」ということだった。最高指導者たる首領の執務室なのだからそれなりに広いのは当然だ。だがそれだけではない。この部屋には余分な調度品や装飾品の類が一切ない。ただ必要なものが必要な場所に置かれている。そんな部屋だ。
 首領は窓際のプレジデントデスクで、分厚い紙の書類を閲読していた。先ほど出ていったラーゲルが報告書でも渡したのだろうか。首領は書類に目を落としたままの姿勢で口を開く。
「帰還して早々に呼び立ててしまってすまないな」
「いえ滅相もございません。それよりも私に御用とは」
「ああ、それなのだがな」
 首領は書類をデスクに置いて俺の方へ顔を上げた。
「今日、お前は海上警備に出向いたのだったな」
「ハッ、その通りです」
「あの作戦、お前はどう見た」
「……どう見た、とおっしゃいますと」
「言葉通りの意味だ。お前はあの作戦をどう評価した」
 俺はつい口を噤んでしまった。やはり首領は俺の腹の内などすべてお見通しなのだろうか。それを承知の上で俺自身の口からそれを告白させようとしているのか。どうする。当たり障りのない返答でもして、この場をやり過ごそうか。だが俺が首領と相見える機会がこの先に幾度あるだろう。もしかしたら今を最後に一度たりとも訪れないかもしれない。
 俺は覚悟を決めた。これ以上邪推するのはやめよう。ドーグマンで尊ばれるべきものは何だ。それはメンバーの自主性だ。上官たちの意向を忖度して自分の意見を捻じ曲げることではない。自分の信じることを率直に述べればいいのだ。
「恐れながら申し上げます。正直なところ私は今回の作戦は愚策であったと思います。戦争継続のために資金が必要なのは理解しているつもりです。しかし我らの軍事力は首領の改革により既に十分に増強されています。もはや資金集めのために奔走する時期ではありません。それよりも我らはさらに攻勢を強くすべきです。ソマリアを制圧した我らに対して、東アフリカの国々はまだ準備に追われています。いま我らが侵攻戦を仕掛ければ、奴らの手からより多くの土地を解放できましょう」
「ほう、言うではないか。では聞こう。お前であれば、まずどこの国家を攻める」
 無意識に俺は唾を飲み込む。ここで適当なことを言ったら俺は信用を失う。かと言って、一度開口した以上もう引き返せない。
「私が次に攻めるべきと考える国家は――ケニアです」
 首領は何も答えない。ただ俺の目を鋭い眼光で睨みつけている。
「ソマリアに接する国家としてはケニア、エチオピア、ジブチの三国があります。これらの中から侵攻先を選ぶとなればケニア以外に考えられません。あの国家は東アフリカでも有数の港湾・空港を備えており、地域物流の拠点としての役割を果たしています。たとえば港湾都市モンバサから延びる道路や鉄道は首都ナイロビを経た後、国境を越えてウガンダやルワンダにまで達します。ケニアを制圧し、そうした物流の奪取に成功すれば、近隣諸国に多大なダメージを与えられます。我らが東アフリカを平定する日は一気に近くなりましょう」
 俺は呼吸するのも忘れる勢いで自説を主張した。その間、首領は身じろぎひとつもしなかった。

 俺の主張が終わっても首領はしばらく沈黙したままだったが、程なくして
「うむ、そうであろうな」
と満足したように深く頷いた。途端に、首領をそれまで覆っていた峻烈なオーラは消え失せる。部屋の空気までもガラッと変わった感じだ。
「私もお前と同意見だ。やはり私の目に狂いはなかったようだな」
「どういうことですか? 首領も私と同意見とのことであれば、なぜ私たちに海上警備を」
「ふむ、それについては私も弁解しなければならんな」
 首領は苦々しげにそう答え、椅子の背もたれに深々と寄りかかる。
「実はな、今回の作戦の立案者はラーゲルなのだ。いや、何も今回に限ったことではない。ここ最近、私は東アフリカ戦線の全指揮権をラーゲルに委譲していたのだ」
「一体なぜそのようなことを」
 俺の質問に首領はややためらうようなそぶりを見せたが、やがて静かな口調で語り出した。
「三か月前、組織の立て直しが無事に完了したと見た私は、世界各地の国家に一斉に軍勢を派遣した。その戦果は実に華々しいものであった。ここ東アフリカ戦線ではソマリアを、他の戦線でも数多くの地域を制圧することができた。しかし問題はここからだ。敵方は我らが得た土地を奪還しようと苛烈な反撃をしてくるに違いない。それに伴い、各地の戦争はさらに激しさを増し、戦況は目まぐるしく変化するようになるだろう。
 私はドーグマンが新たな局面を迎えつつあると感じている。これまで私は首領として、すべての戦線の行動計画策定に関与してきた。だが今後それは非常に困難になる。いかに私といえども、世界各地で複雑化する戦況を一手に引き受けて分析・判断するなどできるわけがない。組織の指揮系統を刷新していく必要がある。すなわち、各地の戦線の独立性を高めて、私の指令がなくとも自律的に部隊を運用できるようにしなければならない。これは、ドーグマンがこれからも勝利を重ねていくための至上命題だ。
 ラーゲルに指揮権を委譲していたのはその一環だ。私は東アフリカ戦線が奴の指揮の下で統轄されることを期待したのだ。まあ、お前の言いたいこともわかる。奴には独善的な言動が目立ち、兵士たちからの人望は薄い。だがな、奴は私が組織の再興を推し進めるにあたって大いに貢献してくれた。メンバーとしての経歴も非常に長い。そうしたことを勘案すると、奴にまず白羽の矢を当てざるを得なかった」
 俺の知る限り、ラーゲルはいまだかつて戦場で目ぼしい武勲を立てたことがない。ではなぜ奴が幹部の地位に収まっているのか。それには、首領が実施したドーグマン再興活動における裏事情が関わっている。当時、首領は積極的に新規メンバーを採用し、組織のメンバー数は急速に増大した。しかし、その影響でドーグマンは深刻な兵器不足に悩まされることになる。増員分に見合うだけの兵器の在庫がなかったためだ。折しも世界は冷戦中で兵器の需要が高まっていて、新たにそれらを仕入れることは難航した。そこで活躍したのがラーゲルである。奴は多くの非合法組織と闇取引を行い、限られた資金の中で強力な武器を大量に取り揃えたのだ。武の腕前はからっきしであったが、奴はそうした分野の才能には長けていた。その後もラーゲルは外部との交渉を頻繁に担当し、組織内でめきめきと頭角を現していったという。
「でも私が甘かった。奴の立案する作戦と来たら、卑劣な手段に訴えて資金を調達することばかり。それに、見たところ、作戦に駆り出される行動隊長には共通点がある。お前を含めて皆が最近功績を上げた者たちなのだ。奴はお前たちの功績に嫉妬して、その腹いせのためにわざと退屈な任務ばかり押し付けていたようだ。組織の戦略に私情を挟むとは不届きにも程がある。奴には先ほどきつくお灸を据えておいた。しばらくの間は鳴りを潜めるであろうな」
 首領は仕切りなおすように、デスクに身を乗り出してくる。
「さて、ラーゲルに今後の東アフリカ戦線を担う力量がないと知れた以上、私は奴に代わって部隊を統率できる適格者を探さねばならん。目星は既につけてある。その者の名は――」
 首領は俺を射抜くように見つめた。
「ホーゲン、お前だ」
「私……ですか」
「戦場におけるお前の過去の働きはすべて聞き知っている。ドーグマンの理想や歴史などへの造詣も深いようだ。首領という立場ゆえ、私がお前と接点を持つことは難しかったが、それでもお前の活躍には注目していた。はっきり言おう。ホーゲンよ、東アフリカ戦線の司令官に就任してくれないか」
 首領からの破格の提案に俺は衝撃を受ける。首領はそれほどまでに俺のことを評価していたのか。雲の上の存在だと見上げるばかりだった、あの首領が俺に最大級の期待を掛けてくれている。かつてないほどの高揚感が俺の胸に生じる。俺はその感情に身を任せることにした。
「お聞きになるまでもないことです。首領のお頼みとあれば全身全霊をもって応える所存です」
「うむ、お前ならそう言ってくれると信じていたぞ」
 首領はデスクの引き出しから一通の封書を取り出し「開けてみよ」と俺に手渡す。すぐさま封を切り中に入っていた文書を読み進める。
「これは!」
 首領直筆の指示書だ。書面には、一週間後にケニアへの侵攻戦を実行すること、その先鋒に俺を任命すること、俺には特別にイリス号が貸し与えられることなどの事項が要領よく記載されている。そして最後には、船外で見た旗と同様のイッカクの印章が押されている。
「私が……ケニア侵攻戦の先鋒に!?
「そうだ。本来ならすぐにでもお前を司令官に就任させたいのだが、いかんせんお前はメンバーとしての経歴が短い。このまま司令官に登用しても幹部たちが反発することは必至だろう。だからお前の実力を知らしめるための絶好の舞台を用意したというわけだ」
 首領はデスクを離れて歩き出し、俺の正面で立ち止まる。
「よいか、この戦でお前が見事に大功を立てれば、幹部たちもお前の実力を認めるに違いない。司令官就任も滞りなく実施できるだろう。この戦にお前の、ひいては東アフリカ戦線の命運が懸かっている。全力で臨め!」
 首領の激励に俺は反射的に背筋を伸ばす。
「ハッ! 不肖ホーゲン、必ずや先鋒の役目を全うし、ドーグマンに勝利をもたらしてご覧に入れましょう!」
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