第13話 岩窟

文字数 4,717文字

 船を飛ばしに飛ばして俺たちは第十四基地を目指した。組織を抜け出した俺の手元にもはやイリス号はない。俺たちが乗っているのは市販のスピードボートだ。これでもかなりの速力が出る。
 太陽が昇り日差しがギラギラ照り付けるようになった頃、島の陸地が見えてきた。島の地形は山がちで、ゴツゴツした岩肌が露出している。乾燥した気候のせいか、植物はほとんど生えていない。アブドゥルクーリー島。ソコトラ諸島を形成する中では最もソマリアに近い島だ。
 海岸線に近付く。強風の影響で波は高く、ボートが上下左右に激しく揺れ始める。気にせずに航行を続けていると、ひときわ峻険な地形が俺たちの行く手に現れた。垂直に切り立った岩山が海に面してそびえ立っている。まさに断崖絶壁。周辺には岩礁が点在し、ぶつかる波は怒り狂ったように荒れている。
 しばしボートのスピードを緩めて断崖を観察する。波間からで少々分かりにくいが、崖下部分に横穴が見え隠れしている。あれこそが第十四基地の港だ。横穴は海水に半没していて、あそこから船を入港させることができるのだ。そう、第十四基地とはこの岩山をまるごと利用した天然の城塞なのである。その構造にちなんで通称「岩窟」と呼ばれている。
 ドーグマンは長い歴史の中で世界各地に秘密基地を建造してきた。その数は全部で五百か所を超え、多くはこうした離島にある。岩窟は第十四基地の名の通りにドーグマン史上で十四番目に完成した、最初期の頃の施設である。ドーグマンの古い基地は敵の襲撃や老朽化によって廃棄されていくのが一般的だ。そうした中でも、岩窟は防衛上の好条件に数多く恵まれており、いまだに現役で活用されている稀有な例だ。今となっては過去の話だが、ソマリアを制圧してモガディシュに拠点を移す前は、この基地は東アフリカ戦線の最重要拠点として位置づけられていた。
 波が静まる頃合いを見計らってボートを横穴へと進ませる。横穴は意外なほど奥に広い。突き当たりには、洞窟としては不似合いな巨大な鉄扉があった。基地の入り口だ。入り口付近の岸には一隻のボートが停められている。
「見よ、アレカシのボートだ。奴らはまだ基地の中にいる。必ず追い付いて仕留めるぞ」
 ボートから降りた俺たちは速やかに装備を整え、敢然と突入を開始した。

 岩窟内部は通路が蟻の巣の如く張り巡らされ、複雑巨大な迷宮と化している。建造されてから現代に至るまで幾度となく増改築が繰り返された結果だ。初めてここを訪れたドーグマン兵士は帰って来れなくなると噂になるほどだ。幸い俺は任務で何回か訪れたことがあったので、内部の構造は大まかに把握している。焦る気持ちを抑え、記憶から正しい道順を導きながら進んでいく。
「なあ、旦那。ちょっといいか」
 俺の後に続くジョージが呼び止めてきた。
「何だ、こんなときに」
「いや、なんか随分と静かじゃないか。旦那の話だと、この基地は大勢の兵士が守りについているってことだったが」
 む? 言われてみれば確かにそうだ。静かすぎる。戦闘の痕跡もほとんどない。兵士の詰所と思われる部屋を覗き見ると、まるで最初から誰もいなかったかのように整然としている。アレカシに襲撃されているのにこれは妙だ。
 急に胸騒ぎがしてきた。俺が奴らに追い付けると信じた理由は、岩窟の優れた防御機能が必ずやアレカシを足止めしてくれると予想したからだ。だが蓋を開けてみれば岩窟内には人っ子一人も見当たらない。こんな状況ではアレカシはいともやすやすと進入できてしまうだろう。
 考えてみれば奴らが正面切って戦いを挑んできたことは一度たりともなかった。モンバサ製油所では俺たちを施設内で疲弊させた後に姿を現したし、ガリッサ県ではマルガから俺たちの作戦を聞き出して待ち伏せしていた。どれもこれも自分たちにとって有利な状況に持ち込んでから攻勢をかけている。ならば今回も、奴らは勝算が高いと見込んだ上で岩窟に攻め入ったと考えるべきだ。岩窟の異様なまでの静けさは、もしやそのことと関係があるのではないか。
 焦燥感に駆られ通路を疾走していると、通路の前方に人影を発見する。壁にぐったりと背をもたれて、ぴくりともしていない。身に着けているのはドーグマンの戦闘服。味方だ。急いで側に駆け寄った。
「おい、大丈夫か」
 そいつはゆっくりと顔を上げる。俺はあっと気付いた。
「ラーゲル様……」
「ん? ホーゲン……? ホーゲンなのか?」
 ラーゲルはまるで幽霊を目撃したかのように驚いている。実際、俺はアレカシとの戦闘中に爆死したことになっているだろうから、その反応はまさに文字通りのものと言える。しかし、そもそも精神転送はこいつが仕入れてきた技術だ。俺の生存の経緯を理解するのに、それほど時間はかからなかった。
「さては貴様、精神転送を使いおったな。何という不届き者だ。あの技術は首領が厳しく禁止されていたではないか。それを無視するとは首領を愚弄しているとしか考えられんな!」
 ラーゲルは憔悴(しょうすい)した様子にもかかわらず、いつになく声を荒げて俺に噛みついてきた。俺は咄嗟にそれをなだめる。
「落ち着いてください。首領の禁令を破って精神転送に手を付けたことは正直に謝ります。ですが、これはひとえにドーグマンの理想実現のためです。権力者との戦争はこの先ますます激化していきます。それを勝ち抜くためには、ラーゲル様がもたらしてくれた改造手術がどうしても必要だったのです。手始めに私はこれからアレカシを倒しに行きます。アンドロイドに生まれ変わった私であればきっと奴らとも互角に戦えるでしょう」
 俺はなるべく穏便に事情を説明した。ところがラーゲルは吐き捨てるような口調で応じる。
「貴様はいつもそうだな。何を主張するにしても二言目には『ドーグマンの理想』だ。それを持ち出せばどんな行為でも許されると思っているのか。この愚か者めが! 貴様が手段を選ばずに理想とやらを追い求めた結果として、我らは窮地に陥っているのだぞ。

られ、組織は大混乱。我ら東アフリカ戦線では離反者が続出し、岩窟の警備もままならない。どれもこれもすべて貴様の責任だ!」
 ラーゲルは恐ろしいほどの剣幕で俺に反論してきた。それに圧倒されて、俺は危うく、発言の中にある衝撃的事実を聞き逃すところだった。
「待ってください! 首領が……倒れた? そうおっしゃいましたか?」
 俺が聞き返すと、ラーゲルは思い出したようにようやく舌鋒を収める。そして今度は俺を冷然と見つめて言う。
「そうか、貴様は何も知らないのだな。ああ、そうだよ。首領が貴様の戦死報告を受けてすぐのことだ。首領は病の床に臥せるようになった。長年仕えた医師は、心労が引き金になって病気が発症したのではないかと診断していた。首領は、なぜか知らんが、大層貴様に目をかけておられたからな。貴様が死んだと知ってよほどショックだったのだろう」
「そんなことで、あの首領が病気になるなど……ありえない」
「そんなこと? 何を申すか。貴様は首領が何か魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類だとでも勘違いしておるのではないか。首領はすでにかなりのご高齢なのだぞ。いつ体調を崩されても全然おかしくない。それでも兵士たちの前に立つときは気丈に振舞っておられたのだ。俺は首領のお側にお仕えして、その苦労をずっと拝見してきた。首領をただ仰ぎ見るだけの貴様には皆目見当がつかんだろうがな」
「……」
「はぁ、どうして首領は貴様なんぞに入れ込んでしまわれたのだろうな。昔は違った。理想を奉じていても原理主義に傾倒せず、現実を見据えて組織を運営されていた。俺みたいな人間を積極的に使ってくれたのがその証拠だ。あのままの首領でいらっしゃったならば、貴様一人が死んだところで組織にとっては何の痛手にもならなかっただろうに……」
 俺はラーゲルの言葉を黙って聞いていることしかできなかった。
 ガリッサ県で精神転送するために自爆しようと考えたとき、首領に対する罪悪感は確かにあった。それは本当だ。首領は俺に東アフリカ戦線の司令官に就任してほしいと言ってくれた。その期待に俺は全身全霊をもって応えるつもりでいた。しかし、自爆してしまったら俺は表向きには戦死したことになる。それはすなわち、首領の期待を裏切ることではないのか。俺はあの一瞬のうちに自問自答を散々繰り返した。
 結局、俺は自爆という選択をした。首領は強靭な人間だ。ドーグマンの理想を胸に、落ち目にあった組織をほぼ自分一人の才覚によって再興させた。そんな首領であれば、俺が意に反する行動を取っても、まったく動じたりしないはずだ。そして相応の成果を残して戻ってくれば、きっと寛大な態度で迎えてくれると信じたのだ。
 だが、それは俺個人の勝手な幻想に過ぎなかった。首領は普通の人間だった。裏切られたら傷つくし、病気になったら寝込みもする。そんなか弱い人間だった。
 俺はラーゲルの側を離れておもむろに歩き出した。
「待て、ホーゲン。どこへ行くつもりだ」
「決まったことです。アレカシのもとへ行くのです」
「わからぬ奴だな。貴様はあろうことか首領に害をなしたのだ。たとえアレカシを倒せたとしても、もはや貴様が組織に復帰することは……」
「そんなことは重々承知している!」
 俺の怒号にラーゲルは静まり返る。俺は一言一句を噛みしめるように発する。
「私に残されたのは、機械と化したこの身体と、『世界人民の解放』という目標のみ。この道を貫き通すことが私の存在意義です。異論は認めません。何せ私はもう組織の一員ではないのですから」
「……貴様という奴はどうしようもない阿呆だな」
「ただ一つだけお願いがあります。私が無事にアレカシを撃破し岩窟の陥落を防いだ暁には、どうか私に首領への拝謁をお許し願いたい。首領には本当にお世話になった。だから、せめて首領を騙していたことだけでも謝罪したいのです」
 ラーゲルは無言のままだった。まあ、それもいいだろう。
 俺は再び決然と歩き出す。行く手の通路は二手に分かれている。俺は自分の記憶を頼りに左に進もうとした。
「ホーゲン、そこは右の道に進め!」
 ラーゲルが大声で知らせる。俺ははたと考え込む。
「確かそちらの道は行き止まりのはずでは」
「貴様のような下等兵には知れ渡っていないだろうがな、この岩窟には不意の敵襲に備えるために、各所に隠し通路が巡らせてあるのだ。岩窟を頻繁に訪れるような幹部ともなれば誰でも知っておる。それでな、そこから右に進んだ先にも一本の隠し通路がある。行き止まりの壁の隅が小さくくぼんでいて、そこにスイッチがあるはずだ。押せば隠し扉が作動して道が開かれる。隠し通路は岩窟の奥深くまで続いているから、進めばかなりの時間短縮になろう」
「……ラーゲル様、どうして」
「俺も好きで教えるわけではない。奥にはまだ、戦線の幹部たちが取り残されているのだ。もともと俺はあいつらと一緒にアレカシと戦っていたんだが、俺と違ってあいつらは逃げ遅れてしまったようでな。奴らを失うのはあまりに忍びない。貴様がアレカシを追って奥に進むというのなら、ついでにあいつらも助け出してこい。もし達成できたならば、首領への拝謁の件、考えてやってもよい」
 ラーゲルはそれきり(うつむ)いてしまい、二度と俺の顔を見ようとしなかった。
 ――ラーゲル様、恩に着ます。
 俺は心の中でぽつんと呟き、進路を右に変えた。
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