第64話 喧嘩が与える影響 ~心の距離~ Bパート

文字数 4,794文字


 そして迎えたお弁当。何となく朱先輩のご機嫌が斜めなような気がしなくも無いけれど、この後に備えて朱先輩お手製のお昼を頂く。今日の朱先輩のお弁当は何を意識してか手でつまめるおにぎりとか、ロールキャベツとか最低フォークが一本あれば食べられるおかずばっかりだったりする。
「愛さんの飲み物も楽しみなんだよ」
「もちろん持ってきてますよ」
 そう言って水筒を出した時にはもう遅かった。
「あれ? それ、いつもの水筒と違う?」
「はい。ちょっと色々ありまして……」
 最もらしい言い訳も浮かばないまま、雪野さんと仲良く手を繋ぐ優希君を思い出してしまって、昨日の半ば喧嘩みたいになってしまったところまで頭の中に鮮明によみがえる。
「……」
 そんな私の表情を一挙動すらも見逃さないと言わんばかりにじっと見つめる朱先輩。でもこの事に関しては朱先輩に教えて欲しい事があるから
「教えて欲しい事もあるので、このあとお話します」
 いつも通り隠さずに教えますって言ったつもりなんだけれど、
「愛さんから教えて欲しい事! どんな事でも答えるから何でも言って欲しいんだよ」
 やっぱりさっきまではご機嫌斜めだったのか、さっきまでのが嘘のように顔が輝いている。

 私の言葉に満足したのか、それ以降は例の男性の話をする事もなくお昼ご飯は終わる。前の水筒よりかは大きいとは言えやっぱりお気に入りの水筒じゃないとイマイチ気分が乗らないなと持って来た水筒を手に眺めていると、
「あ! 今日はちゃんと水筒を持って来たからな」
 私に飛び乗るようにして抱きついてくる男子児童に
「そんなことしたらせくはらなんだって、いつも言ってるのにー」
 それをたしなめる女子児童。
 さっきまでのしんみりした空気はどこへやら。辺りはすぐに姦しくなる。
 あっと言う間に児童に囲まれた私を見て、苦笑いを浮かべた朱先輩がそのまま河川敷の申請に行く。
 その間に先週は男女に分かれて遊んだからって事で、今週は混合で遊ぶことにする。
 そしていつも通りに私も混じって遊ぶのを朱先輩が見てる。
 そして男女混合チームを二つ作って今週は“ケイドロ”をする。
 草むらに隠れるもよし、何かの遊具、物陰に隠れるもよし。まだこのくらいの年なら男女でそんなに運動の差が出ないから、一緒に遊ぶには都合が良いという判断もある。
「じゃあ今から始めるけれど、あんまり川辺に近づき過ぎたらダメだよ。川に落ちたら危ないからね。それと今日も暑いから十五分で警察チームと泥棒チームを分けるからねー」
 私の注意に元気よく返事をする児童。
「じゃあ最後に。もし途中でしんどくなったら警察も泥棒も正直にあそこに座ってる綺麗なお姉さんに言う事。分かったかな?」
 こっちにも児童の元気の良い返事。
 だから必然的に朱先輩の近くに“牢屋”を置く事になる。
 そして“ケイドロ”が始まる。ちなみに私は泥棒側だ。

 年が離れている分一緒になって遊ぶのはどうかとも思ったけれど、やっぱり児童の無邪気な笑顔の中で体を動かすのは嫌いじゃない。やっぱり将来こういう仕事に就けるのが良いのかなって考えていると、少し離れたところに男子児童が離れたところに隠れるようにしてしゃがんでいる。
 私が驚かそうと近づいたところで何やら様子がおかしい事に気付く。
「どうしたの? しんどくなった?」
 しゃがんでいる児童と視線の高さを合わせるために私もしゃがむ。
「ううん。そう言う訳じゃ無くて僕、今日水筒持って来れなくて……」
 先週は確か朱先輩が水筒を持ってきていない人は遊ばないみたいなことを言ってはいたけれど……少し違和感を覚える。
「じゃあ後でお姉ちゃんの飲み物分けてあげるから元気出そ」
 そう言って児童の頭の上に手をポンポンと置くも
「うん……」
 元気の出る様子がない。少しどうしようかと迷って
「じゃあもう一人のお姉ちゃんに言ってくるから、お姉ちゃんと二人でちょっとお喋りしようか」
「……うん」
 元気がないなりに返事はしてくれたからと、一度朱先輩の元へ戻って事情を説明してから、水筒を手に児童の所へ戻る。
「それじゃあちょっとだけ歩こっか」
 そして児童の手を引きながら、堤防沿いにある長椅子に腰掛ける。
 少し暑いけれど朱先輩の姿を含めたみんなの姿が遠目にも分かる。
 水筒が用意できなくて帰らされるかもしれなくてもここに来て遊びたかったわけだし、
「お母さん用意してくれなかったの?」
 そう言いながら朱先輩が気に入ってくれている飲み物を水筒の蓋に入れて、児童に渡す。
「昨日の夜お父さんとお母さんが喧嘩して、そして今日は朝からお母さんの機嫌が悪くて」
 男子児童の目に涙が浮かんで、児童がしゃっくりあげはじめてしまう。
 いくら男の子だと言ってもまだ男子児童。
「今何年生?」
 私は聞きながら頭を撫でる。
「……三年生」
 それも十歳未満ともなれば寂しいだろうし、不安になるのも無理はない。
「じゃあお父さんとお母さんが口をきいてくれないと寂しいね」
「お姉ちゃんは男の子だからしっかりしなさいって言わないの?」
 ご両親にそう言われて来て育って来たのか、涙にぬれた顔で男子児童が聞いてくるけれど
「お姉ちゃんはそんな事言わないよ。だって寂しいもんは寂しいし」
 慶みたいな反抗期を迎えたなら何かしらは言うと思うけれど、私の隣で泣いている子はまだ年齢が二桁にも満たない男子児童なんだから、そんな酷な事を言ってもどうにもならない。
 私の一言に緊張の糸が切れたのか、男子児童が私にしがみついて声を上げて泣く。

 ひとしきり泣いてスッキリしたのか、
「ごめんなさい。お姉ちゃんの服濡れちゃった」
 次は人前で泣いたのが恥ずかしかったのか、顔を赤らめる男子児童。こうやって強くなって行くのかなって考えると可愛く思えるから不思議だ。
「大丈夫だよ。服は乾けば分からなくなるから。それからもし家に帰ってまだお父さんとお母さんが喧嘩してて悲しかったら大変だし、お姉ちゃんのハンカチを渡しておくから、これで今の気持ちを思い出してね」
 小さくのぞかせた男子児童の笑顔を曇らせたくなくて、気休めにしかならないだろうけれど、せめて私の気持ちが少しでも届けばとハンカチを一枚渡してしまう。
「お姉ちゃんのハンカチを一枚貰っても良いの?」
「うん良いよ。でもみんなには内緒だからね。その変わり来週はちゃんと元気な笑顔を見せてね」
「うん。これ大事にする」
 少しでも気持ちが伝わったのか、児童の笑顔がある程度戻ったところで
「じゃあ残りの時間はみんなで思いっきり遊ぼっか」
「うんっ!」
 児童の少しだけ戻った元気な声を聞いてみんなの元へ戻る。


「今日はありがとうございました」
「次はおねーちゃん。遊んでねー」
 それからみんなで体を動かしてからいつもよりも少しだけ早い目に切り上げて公園にパンフレットと共に置いた自転車を取りに戻ってから改めて朱先輩の家にお邪魔させてもらう。
「はい。今日は暑かったから冷たいココアなんだよ」
 朱先輩の家にお邪魔して、お手洗いを借りている間に朱先輩が冷えたココアを用意してくれる。
「今日は遅くなってごめんね」
 そして開口一番に朱先輩が私に謝ってくれるけれど
「謝らないでください。朱先輩が悪いわけじゃないんですから」
 朱先輩が悪いわけじゃない。私も怖かったとはいえ往来の昼間。もっとはっきりと断れば良かっただけの話でしかない。
「そんな事無いんだよ。わたしがもう少し早く来たら愛さんが怖い思いをする事は無かったんだよ」
 なのに朱先輩の顔がしおれた花のように寂しげな表情に変わってしまう。
 本当に朱先輩は表情豊かな人だと思う。
「私、頑張ってもう少し男性に対する耐性を付けようと思います」
 このままだと世の中に出たら困るのは目に見えて分かっている。
 この世界の半分は男の人なのだから、私みたいな人は少ない気がする。
「だ?! 駄目だよ! 愛さんはそのままの方が良いんだよ」
 なのに朱先輩は私の考えが駄目だっていう。
「でも今日みたいな事があったら困るじゃないですか。私がちゃんと断れるくらいにはなっておかないと今後もっと色々あると思うんです」
「じゃあ空木君。空木君は良いの? 空木君の事が大好きなのに他の男の人で耐性を作るなんて愛さんらしく無いんだよ」
 そう言われてしまうと困るのは確かだ。
 倉本君でも下心が分かっているから細心の注意を払っているつもりなのに、優希君以外の男の人と歩いて、万が一その現場を見られて勘違いでもされたら……悲しすぎるからこれ以上は考えるのを辞める。
「ね? そうなんだよ。愛さんは今のままが一番良いと思うんだよ。空木君も絶対今の愛さんの方が良いに決まってるんだよ」
「男の人と二人きりにならずにどうやって男の人の耐性を作れば良いのかな」
 これは私のしばらくの悩みになりそうだ。
「そ。そう言えばこれを愛さんに見せないといけないんだよ」
 そう言って朝からずっと気になっている私のための案内レットの入った紙袋を見せてくれる。
 せっかく朱先輩が私のために用意してくれた学校の資料。私はいったん考えを切り替える事にするけれど、
「これ、全部国公立ですか?」
 私立の案内が一枚も見当たらない。
「そうなんだよ。愛さんの学力なら十分に狙える所ばっかりなんだよ」
 中には本当に誰でも知っている学校の物もある。
「私立のは無いんですか?」
「愛さん。私立は考えてないんでしょ?」
 私の問いにまた即答する朱先輩。なんだか両親にもそう思われている節を感じる。そりゃあ、両親の事・家の事を考えると
「まあ、そうなんですけれど」
 答えは一つしかないんだけれど、それはつまり自宅から通える学校は数えるほどしかないって事でもあって。
 その中の一つが朱先輩の通う所と同じ学校だったりする。
「大丈夫だよ。愛さんの学力なら受かるんだよ」
 もちろん慢心は出来ないけれど、朱先輩がそう言ってくれるならって言う気持ちは十分にある。それくらいには朱先輩の事は信用してる。
「ありがとうございます。これを参考に家でも考えて良いですか?」
 これだけの資料をそろえるのにどれだけの時間と労力をかけたのかな。
 しかも一週間って言う短い時間の中で、朱先輩自分の学校での事もあるのに。
 そう考えると、朱先輩にはいくら感謝してもやっぱり言葉だけでは尽くせないほどになっている。
「もちろんなんだよ。ご両親とよく話し合って決めてね。後わたしにも相談して欲しいんだよ」
「もちろんじゃないですか」
 ここまでしてくれた朱先輩に何も言わず、何も声を掛けず、黙って決めるなんて事。私には出来る訳ないのに。
「愛さんからの初めてのお願い。ちゃんと出来て良かったんだよ」
 私が頭を下げてお礼を言うだけでは足りないって考えているのに、どうして朱先輩は胸を撫で下ろして私の事をこれほどまでに考えてくれるのか。嬉しい反面分からない部分でもあったりする。
 ただそれでも純粋に私の事を思ってくれているのは、あまりある程には伝わるから
「私は、朱先輩には本当に感謝しかありませんよ」
 改めて言葉だけでもと伝える。
 ……まだ忘れてなかった私からの初めてのお願いを思い出して。




―――――――――――――――――次回予告―――――――――――――――――
             「駄目……なんですか?」
              朱先輩の課外講義の中
            「わたしは、そう思うんだよ」
             わたしは、僕は、の大切さ
   「私が不安になるように、優希君も不安になってるって事ですか?」
           そしてその講義は別の話へと移っていく

       「愛さん! わたしは本当に愛さんが大好きなんだよ」

       65話 好きと嫌いの先へ ~勝ち取る信頼の難しさ 1 ~
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み