第61話 断ち切れない鎖 1 ~悪意の交差点~ Bパート
文字数 5,261文字
「あ、ちょっとアン――」
途中誰かに声を掛けられたような気がしないでもないけれど、一刻も早くその場から離れたかった私はかけられたっぽい声にわき目を振る事無く、ただその場から少しでも遠く逃げるようにして走る。
私は今の顔を誰にも見られたくなくて、ひとりになりたくてトイレの個室に逃げる込む。あれじゃあどう見ても雪野さんが彼女にしか見えない。
私が負けたって中条さんが思うのも無理はない。
私はポーチの中からハンカチを一枚取り出してトイレ内にある手洗い場でハンカチを濡らして目に充てる。
朱先輩に教えてもらったこの知恵とハンカチの冷たさが、熱を持った顔と一緒に気持ちを落ち着かせてくれる。
まさかこういった形で朱先輩に守ってもらえるとは思ってなかった。
残り少ない昼休み、再び戻ったトイレの個室内で私は心の中を必死で整理する。
まず咲夜さんは優希君を見てひどく動揺していたように見えた。
一方その優希君は咲夜さんに全く気付くことなく、雪野さんとの繋いだ手の事を気にする素振りもなくただ私だけを穴が開くほどに見てくれていたと思う。
大丈夫。噂は所詮噂だけだ。そう思ったらさっきまでの気持ちの辛さの大半は消えてなくなる。
ただ雪野さんはもう優希君の隣にいるのが当たり前みたいな立ち居振る舞いだった。
頭の中がぐちゃぐちゃでまとめるにも、雪野さんが邪魔をして全然まとまってくれない。咲夜さんとの話も実祝さんとの話だけで、メガネ男子の事も聞けず整理も出来ないまま予鈴が鳴ってしまう。
仕方なくトイレの個室から出る際に恐る恐る鏡を見てみると、朱先輩の助言のおかげでポーチを持っていたからハンカチを使えた分だけ何とか目元だけはごまかせそうだった。
今回は朱先輩に私を守ってもらっただけじゃなくて、女としての意地もなんとか通せそうだった。
私は朱先輩に心からの感謝を想いながら、お弁当と水筒は諦めて何とか体裁だけは整えて午後の授業に挑む。
朝のうちに話を済ませていたおかげか、例のグループからの干渉はほとんどなかったけれど、咲夜さんと蒼ちゃんからの視線は断続的に感じてはいた。
そして午後の授業も終わり終礼までの間、
「愛ちゃん。咲ちゃんと何かあった?」
いつもなら止めるはずの足を咲夜さんに譲る事無く私の目の前まで進める。
「ううん。咲夜さんじゃなくて優希君と雪野さんが手を繋いでいるのを見ちゃって」
蒼ちゃんにだけは優希君との関係も言ってあるし、雪野さんとの事も知ってくれている。
「その咲ちゃんは?」
「分かんない。二人を見ていられなくてその後の事は……」
回りや雪野さんには一切気にする事無く優希君はただ私だけを見つめてくれたけれど、どうしても雪野さんと繋がれた手が頭から離れてくれない。
「それでも空木君の彼女は愛ちゃんだよ」
どうして蒼ちゃんはそう言い切れるのか。
「でもみんなが言うように雪野さんに気移りしたのかもしれないし」
それにしてはあの視線は気になる。それでもあの手がまぶたの裏に焼き付いて消えてくれない。
「愛ちゃんが好きになった空木君は、そんな軽い人な『違う。そんな人じゃ無い――あ』――愛ちゃん自分でちゃんとわかってるんだね」
蒼ちゃんの質問に思わず答えてしまう。
「今日って統括会の日だよね」
周りに悟られないようにするためか、逆にいつも通り友達と話すような雰囲気でさっきから話してくれる気遣いが嬉しい。
「うん。そうだけれど」
「だったらその時にいつもの愛ちゃんらしく勇気を出して空木君に聞いてみたらどうかな? 蒼依は愛ちゃんから気持ちは離れてないと思うよ」
いつもの私らしくって……
「それだと普段から私、遠慮のない女の子みたいじゃない」
あまりにもいつもの蒼ちゃんらしく思わず苦笑いが漏れる。
「好きな人相手に遠慮なく喋れる、聞けるって蒼依はとっても素敵だと思うけどなぁ」
蒼ちゃんの言葉に倉本君に遠慮しないで堂々と自分の意見をぶつける彩風さんを見て、二人の関係って良いなって思って見ていたはずなのに、いざ自分の事になるとそんな事にも気づかない。
そう言うものなのか私の恋愛経験が低すぎるのが原因なのか。それに蒼ちゃんの言う通り彼女である私が優希君の事を信じないでどうするのか。
それで妹さんに叱られたことを思い出す。
「ありがとう蒼ちゃん。怖いけれど今日機会があったら優希君に聞いてみるよ」
正直今の私が出せるのは空元気くらいしかないけれど、それでも蒼ちゃんにこれ以上の心配はさせたくないから笑顔を返したところで、
「それじゃあ終礼始めるぞー。今日は連絡事項があるから少し時間くれなー」
先生のあいさつで終礼が始まる。
「少し前から言っている通り、今回の定期試験は全統模試による科目選択式だからなー。志望校が決まってるやつはそれに合わせてくれたら良いからなー。それとテスト明けに今から渡す進路希望調査票を提出してもらうから、試験前にしっかり目標立てて、志望校に合わせた選択科目を勉強しとけよー。選択科目は試験前日まで変更を認めるからなー。それと進路に関する相談はいつでも受け付けるからなー。夏季休暇中の取り組みのとこもあるから、夏季休暇直前に面談を実施するから、ご家族の人ともしっかり話し合っておけよー」
言いもって先生が列ごとにプリントを配って行く。
ちょうど今日は金曜日と言う事もあって、帰って来てくれるお母さんと力になってくれている朱先輩、そしてその朱先輩が言ってくれている保健の先生に相談してみようと、時折感じている先生からの視線を諦めて考えている最中、咲夜さんのグループの一人が
「先生ー進路の相談以外で成績の相談にも乗ってくれるんですかー?」
いつもの先生の口調で冗談っぽく聞く。
「成績はお前らの努力でどうにかしろよー。第一そのための上位二十人の公表だろー」
それに合わせて先生も軽く答えたつもりなんだろうけれど、その一言で教室の中の空気が変わる。先生も遅れて気づいたのか
「何かあったのか?」
いつもの軽い口調とは違う少し硬めの口調で教室全体に聞くけれど、実祝さんを気にしてくれと自ら私に言ってきた先生は本当にこのクラスに興味はないのか、咲夜さんグループの一人が無言で着席すると今度はリーダーグループの女子が席を立って、
「先生ー上位二十位の人に聞いてもちゃんと答えてくれない人がいまーす」
実祝さんの方を見ながらの決定的な一言が出るまで先生は気づかなかったみたいだ。
自分の言いたい事だけを言って満足して座るグループ女子。
咲夜さんグループの女子との見事な連携だった。
教室内が静まる中、実祝さんは俯き
「……」
咲夜さんの視線を感じた私がそっちを向く
私はこの教室にもクラスにも興味のないであろう担任の先生と視線を合わせる気には到底なれず、自分のグループが言い出した事なのに何故かこっちを泣きそうな表情で見つめる咲夜さんと、その咲夜さんを無表情で見つめる蒼ちゃんを交互に見ながら、どうするのが一番良いのかを急いで考える。
「別に他の生徒でも良いし、何なら他のクラスの友達でも良いじゃないか」
私がどうしようかと必死で考えている中、更に先生の口から信じられない言葉が飛び出す。
他の生徒、他のクラスって……そこまで先生はこのクラスに興味が無いのか。それに上位二十人。クラスはそこそこの数がある。多くても一クラスに二人から三人くらいしか上位者がいないはずなのに。
私は今まで逸らしていた視線を猛然と抗議する様に、先生に向ける。いや睨みつけるようにと言った方が良いかもしれない。
「分かりました。先生がそう言うなら隣のクラスの友達に聞いてみまーす」
先生は何も分からずに胸を撫で下ろすけれど、このままこの話を終えてしまうと教室の空気はもう二度と元には戻らなくなってしまう。
「先生っ! 何で教科担当の先生に聞くのは駄目なんですか? 私たち生徒同士よりも先生の方が分かり易く教えてもらえるんじゃないんですか!」
気が付いた時には先生を睨みつけるようにして、先生を問い詰めていた。
「あ、ああ。もちろん先生にも聞いてくれてもかまわないが」
私の質問に対して自信なさげに答える担任の巻本先生。
先生相手だって私は自分の思った事を言うだけだ。何があっても実祝さん一人のせいにするわけにはいかない。
昨日の夕方の蒼ちゃんからの注意に夜のお姉さんの話。現状どうあれ今日のお昼の咲夜さん。そんな事をしたら実祝さんがつぶれてしまう。私は実祝さんに潰れて欲しいわけじゃない。
「じゃあどうして初めにそう言わないんですか? 生徒の成績がいくら良くても教えるのはまた別じゃないんですか?」
「確かにそうだが……」
先生が困ろうが何しようが私には知った事じゃない。
「何か言いたい事があるならちゃんと言って下さい」
咲夜さん、蒼ちゃん、実祝さん、例の男子生徒、他のクラスメイトの視線を感じるけれど、先生が言った事はそんな話で済む事じゃない。
「いや先生も忙しいから手が回らなくて、そんな時は生徒同士での教え合いもお互いの為にはなるからな」
忙しいって……
「私が職員室に行ったときでも
教頭先生
、保健の先生
を初め手の空いている先生方も多数おられますよね」私の皮肉には気づいたのか先生の額に汗がにじむ。
私は先生の言い訳なんて聞く気が無かったから、
「私は分からない事があれば今の先生の事を打ち明けた上で、保健の先生に聞くようにします」
それだけを言って席について、次に先生からの視線を無視して咲夜さんを睨みつける。
「いや保健の先生って……せめて教科担当の先生とか、俺に聞いて来るとかだな――」
「――先生じゃないですか。他のクラス、他の生徒とか誰でも良いって言ったのは」
私の追い打ちに言葉を詰まらせる先生。
「どうして先生だけは色んな先生に聞くのは駄目なんですか? 生徒は良くて先生は駄目っておかしくないですか? 教頭先生に相談しても良いですか?」
私の口から出た教頭先生の名前に、クラスにどよめきが広がる。
先生も困り切った表情をする。
「そうは言うけど、保健の先生や教頭に聞くってどの教科の聞くんですかー?」
そこにさっきの女子グループも先生側について私に対して意見してくる。
「聞いて分からなければ、教えてくれそうな先生を紹介してもらうだけだし」
どうして初めに聞いた先生で完結しないといけないのか。こっちはそんな浅はかな考え方なんてしてないって。
このあまりにもクラスに関心のない担任の事を分かって貰う為だけでしかないんだから。
「じゃあせめて他学年の教科担当の先生に聞くとかしたら良いんじゃね?」
それに乗じて咲夜さんグループの女子まで参加し始める。
ほんとお前らはいつの間にそれだけの連携を作り上げたのか。
「だから学年上位者と同じで、そんなに何人もいないって」
そんな事も分からないのか。これ以上はあほらしくて付き合ってらんない。
私は相手をする気になれなくて、そのまま先生を一睨みしてから後は放っておく。
先生の視線を感じるけれど私はお構いなしに、そのまま咲夜さんをこれはどう言う事かと睨みつける。
「……」
視線を受けた咲夜さんが私から視線を逸らすけれど、その先はもう分っているから私が振り返って確認する必要は無い。無表情の蒼ちゃんの方からだとその先も丸分かりだとは思うけれど。
「と、言う事で友達同志で分からなければ、先生にも遠慮なく聞いてくれ。特に大学入試問題とかだと俺らでないとうまく説明できなところはあるかだろうからな」
私が言ったから付け足したかのようにしか聞こえない先生の言葉。
それと、私の方を見ながら説明したってそれ意味ないと思うんだけれど。
「ああ、それと後は進路希望調査の方も忘れずに頼む。それじゃ少し遅くなったけれど解散!」
そうしてグダグダの中で波乱を含んだ終礼も終えて放課後へと移る。
私は全く相手にする気の無かった担任の先生は放っておいて、役員室へ向かう前に睨みつけていた咲夜さんの方へまっすぐに向かう。
「ちょっとこっち来て」
一声かけて有無を言わさずに、咲夜さんを腕を掴んで余計な事は何も言わず各階の端にある階段の踊り場まで来てもらう。
―――――――――――――――――次回予告―――――――――――――――――
「さっきのは一体何? 何がしたいの?」
もちろん怒りそのままに問い詰める愛ちゃん
「ところで雪野、霧華。今週一週間はどうだった?」
そっちも気になるけれど、二年も気にしないといけない
「今度は折衝と仲介の事を考えてくれ」
“生徒会”ではなく“統括会”と呼ぶ理由。
「良かった……やっと愛美さんに会えた」
62話 折衝組織・統括会 ~内外マネジメント~