第60話 近くて遠い距離 1 ~思いやりの交差点~  Aパート

文字数 6,254文字


 私が入って来た時もそうだったけれど、図書室のカウンターには誰もいなかった。だから返却の机の上に置いてある本が、優珠希ちゃんの借りた本かと思いカウンターに立ち寄った私は
「嘘」
 驚いて立ち止まる。
 そして何冊か積まれた本を確認するも
「これ全部国立大の入試過去問?」
 さらに驚く結果に。
 まだ二年なのにもう国立大の過去問を解いている優珠希ちゃん。
 しかも、もう目標も決まっているのか、過去問の選別も法学部辺りに偏っている。
 そう言えば優希君も、もう進路決まってるのかな。
 でも妹さんの事と言い、進路や目標は少し前から決まっている気がする。
 聞いてみたいけれどそうなると当然私も言わないといけない気がする。
 もちろん言う事自体に抵抗は無いけれどどうなんだろ。
 よく分からない所で考え込んでしまう。
 私も勉強は出来る方だと思うけれど、妹さんの学力は明らかに一線を画している。
 中間テストの時の総合得点と順位もあって自信を無くしそうになった私は、今日も慶の夜ご飯を作るためスーパーへ寄って帰路に就くために図書室を出る。


 昇降口まで来た時、前と同じようでいて別のメンバーでの人だかりが出来ているのが目に入る。
 私が何となく既視感を覚えていると、
「お前さぁ。彼氏放っておいて何してんの?」
「かわいそうに。別の女と遊んで、彼女でもない女を抱かせて。お前、自分の立場を弁えろよ」
 何となく嫌な予感がした私はその人だかりに足を向けた時
「もう蒼依たちにかまわないで放っておいてよぉ」
 案の定と言うかやっぱり蒼ちゃんの涙の混じった声が聞こえる。
 少しでも早く蒼ちゃんから気を逸らすために手近な下駄箱を軽く蹴って音を出して、意識をこっちに持ってきてから、
「私の親友に何か用事?」
 人だかりの中に言葉を投げる。見慣れない人だかりなだけあって記憶にない顔ぶれだった。
「……」
 一人を除いて。私がキレた時の事を覚えているのだろうその一人は私を見て
「どうしてここにいんの? 今日統括会ないだろっ」
「そうだけれど、試験前だから残って勉強してただけなんだけれど、何か不都合でもあるの?」
 たじろぐけれど、私の事を知らないであろう別の女子が私に向かって小馬鹿にしたような表情を浮かべる。
「お前 “薄汚い” 言葉を吐いて二年に副会長を盗られた岡本?」
 誰から聞いたのか、事実からは離れているけれど、明らかに私と優希君の関係を知った上での会話をしようとする。
 私が優希君の彼女なのに、どうしてみんなして私と優希君を引き離したがるのか。
 本当なら泣きたいくらい辛いけれど、もう泣いている蒼ちゃんの手前、私がしっかりしないといけない。
 そうでないとこのグループに良いように言われるだけだ。
 私は自身の(つら)さを物に当たって紛らわせようと、さっきよりもかなり強く下駄箱を蹴る。
「私は親友に何か用事があるのかって聞いたんだけれど、日本語分かる?」
 私は前回と同じように人だかりから蒼ちゃんを守るようにして、女子集団と蒼ちゃんの間に立ちはだかる。
 私は一度蒼ちゃんの方に振り返って
「今度は何を言われたの?」
 蒼ちゃんに聞く。一対一で話をすれば私もこんな事まではしない……と思う。
 だけれど四対一の上に、言い返せない蒼ちゃんに対して多人数じゃあもう弱い者いじめと何も変わらない。
 だったら私は加勢するだけだ。
「戸塚君が他の女の子と遊んでるのは、蒼依が彼氏をほったらかしにしたからだって――っ!」
 私は蒼ちゃんからの言葉に呆れを通り越して、いっそもう清々しくさえも感じたのだけれど、長袖のブラウスに隠れていた蒼ちゃんの前腕にあった小さな打ち身みたいな痣に目が留まる。
 私の視線に気づいた蒼ちゃんが、急いでブラウスを伸ばして痣を隠してしまうけれど、見てしまった私としてはこのままタダで済ますわけにはいかない。
「蒼ちゃんの腕のそれ。どうしたの?」
 朱先輩の真似って訳じゃ無いけれど、蒼ちゃんの両肩を掴んで正面に向き合う。
「浮気されたもん同志、傷の舐め合いか? ああ、統括会の書記サマは捨てられたんだったな。スマン」
 今、私が真剣に蒼ちゃんに聞いているのに、外野がとても耳障りだったから、
「少し。黙っててくれる?」
 振り返って一言添える。
 暴力まで入って来るならもうそれは別次元の話に変わってしまう。
 そう言う思いで再度蒼ちゃんに向き合おうとした所で、
「統括会だか何だか知らねぇケド、後からシャシャリ出て来た分際で調子乗ってんじゃねーぞ! おい防っ! さっさと答えろよ。彼氏放っておいて何様のつもりなんだよ。何浮気

んだって聞いてんだよっ!」
 回りに男子がいないからって自分たちは大人数で、男子顔負けの言葉を使って蒼ちゃんに詰め寄る私を知らないであろう女子グループ。
「……」
 その一方で私の事を少しは知っている例のグループのメンバーの一人はさっきから一言も喋っていない。
「何を言ってんのか分かんないけれどさぁ、蒼依が何しようがあんたたちには関係ないよね」
 そんな当たり前の事を何でこのグループに言わないといけないのか。
「関係ないって……ほっとかれた彼氏がかわいそうって分かんないの?」
 言っている事が支離滅裂すぎて意味が分からない……こいつらは……もとい、この女子グループの子らは浮気された方が悪いのか。浮気した方がかわいそうなのか。頭の中で整理してみてもやっぱり意味が分からない。
 そんな意味の分からない理屈をこっちに押し付けんのはやめて欲しい。
「そっちと一緒にしないでくれる? 浮気はする方が悪いに決まってる」
「はぁ? じゃああの戸塚君が悪いって言ってんのかっ!」
 私の言葉に激高を見せる女子一人。私の後ろで蒼ちゃんが身をすくませる。
「じゃああんたと付き合った男子は浮気し放題なんだ。それなら私がまわりにそう言ってあげようか? 男子も喜びそうだよね。名前教えてくれたら広めてあげるけれど」
 仮に浮気が平気になる程お互いの気持ちが離れたのならば、ちゃんとお互いが話し合って別れるのが筋じゃ無いのか。
「はぁ? そんな事言ってないだろ。お前統括会で勉強も出来るからって調子乗り過ぎ! シメんぞ」
「浮気された方が悪いってそっちが言ったんじゃないの?」
 なのに相手が将来有望だか何だか知らないけれど、浮気された方が悪いって……自分から都合の良い女になろうとしてどうする。
 蒼ちゃんは私の服を揺すって来るけれど声を下げようが何しようが、そんなの怖くもなんともないって。
 ブラウスを引っ張られたからって訳じゃ無いけれど、改めて蒼ちゃんの方に向き直って、前腕の所にある痣の事を聞こうとして
「自分は悪くない。浮気した、他の女に乗り換えた “副会長” が悪いってか。統括会の書記サマって言うのはとんだ腹黒――っ?!」
「ちょっと愛ちゃんっ!」
 今度は少し離れた位置にある向かいの下駄箱から、かなり大きな音が鳴る。
「ごめん。

上靴を飛ばしちゃった。当たってなくて良かったよ」
 私はそう言いながら

靴を取りに行く。その途中で
「あんま優希君の事で勝手な事言うの、辞めてくれる?」
 何も知らないくせに勝手な事を言う外野。そして事実とは違うって信じたいのに勝手な憶測を広めている“誰か”。
 色々な感情がない交ぜになった気持ちを吐き出すように決して視線を合わせずに

2オクターブ下げた声でつぶやくように言わせてもらう。
「今、こっちに向かって当てようとしたんだろっ! 岡本っ!」
 それに対して向こうも負けじと言い返してくるから、今度は
「本気だったら “間違わずに” こうやって当てるって」
 今度は一転みんなに聞こえるような声量で、軽く言ってから思いっきり下駄箱を後ろ足で蹴って大きな音を立てる。
 女の私が蹴ってもそんなに力なんてある訳が無いのだから、下駄箱の形が歪む心配なんてしなくても良い。
 なのに、さっきから黙り込んでいる同じクラスの女子なんて、完全に腰が引けてる。
 良くも悪くも進学校。他人の蹴落とし合いには慣れていても、こういう荒事には慣れていない生徒が大半だと思う。例え弟であったとしても異性に凄まれる怖さに比べたら、同性なんてほんとに可愛いもんなのに。
「統括会が一般生徒を脅すのかよ」
 言葉とは裏腹に虚勢を張っているのがバレバレな、恐らくは違うクラスの女子グループ。
「はぁ? さっきの私の言葉聞いてなかったの? 私間違って靴を飛ばしてしまったって言ったはずだけれど」
 何をもって自分たちが優位に立てると思ったのか知らないけれど、
「それは岡本が勝手に言ってるだけだろ。こっちには三人も証人がいるんだからな」
 得意げな表情を浮かべるグループの女子たち。
 言った言わない、聞いた聞いてないなんて、ただの水掛け論でしかないって。
「別に言いたければ言っても良いけれど、間違って飛んだだけの靴の事が明日以降私の耳に入ったら、蒼依の前腕についている痣の事、統括会として動くからそのつもりでいてね」
「あ、そうそう。その際にはちゃんとそこにいる私と同じクラスの女子に事実確認だけはちゃんと取るようにするから。あんたたちと違って勝手な事を言わないようにするためにね」
 そう言って一人離れて無言でこっちを見ている女子を顎でしゃくる。
「……」
 他の女子グループの視線を集めたクラスの女子は、知らんふりを決め込むつもりだろうけれど、見逃してたまるかっ。
「まぁ私が本気で詰めたら、蒼依の痣の事くらいなら簡単に喋ってくれそうではあるけれど」
 そう言って仲間内での火種も一緒に放り込んでおく。
「じゃあ岡本が蹴った痣って言う証拠があれば、こっちは三人の証言もあるし、全部机上の空論になるワケだ」
 進学校にいるからかいや、いる癖にと言うべきか、言葉の使い方も少しおかしい上に、本当に荒事に慣れていなくて知らなさそうだから、
「次の日以降にも痣が残るくらい強く蹴ろうと思えばよっぽど強く、しかも何回か同じ場所を蹴らないといけないからかなり痛いと思うんだけれど、どう思う?」
 逆に言えば、それだけの暴力をも受けたかもしれない蒼ちゃん。同じクラスのよしみで、離れて黙り込んでいる女生徒に教えてあげる。
 私の言葉に残りの三人がこっちに視線を合わせてくるから、相手が何を言ってくるのかを分かった上でこれ以上が時間の無駄とばかりに先手を打たせてもらう。
「私はただ同じクラスの女子に声を掛けただけで、そこに他意も底意も無いからね。行こっ蒼ちゃん」
 私は言いたい事だけを言って蒼ちゃんと一緒に下校する。


 何となくだけれど、今日は昇降口からこっち、蒼ちゃんと手を繋いで帰ってる。
 さっきはああ言ったけれど、すぐに前腕の痣を隠してしまった事からして触れられたくも無いし、話を大きくしたくない事も伝わる。
 でも、同調圧力や今日みたいなイジメみたいなのだけでも我慢の限界なのに女の子の体に傷をつけるなんてそれはもう別次元の、そう、傷害に変わってくる。
 もちろんこれは女子だけに限らず男子にも同じ事だけれど。
 そうなって来ると私の手には完全に負えなくなってくる。
 もう私自身が先生を信用できないとか傷つくとか言ってる場合じゃない。
 私は内心で保健の先生相談しようと決めてしまう一方、自分の腕とは言え体の一部。年頃の女の子として話が大きくなって注目されたり広まって欲しくないって言う気持ちも痛い程わかる。
 私は相反する二つの気持ちを持ちながら蒼ちゃんに聞く。
「その腕の痣。どうしたの? いつから?」
「……」
 だけれど蒼ちゃんは俯き加減で前を向いたまま答えてはくれない。
 私は蒼ちゃんとつないだ手を強く引いてもう一度聞く。
「その痣。私にも言ってくれないの?」
「……愛ちゃんの蒼依に対する優しい気持ちはすっごい嬉しいよ。なのに今日の教室で困ってた夕摘さんに声すらかけなかった愛ちゃんに蒼依は悲しかったよ」
 対する蒼ちゃんは私の方に向き直って、私の目をまっすぐに見て、ちゃんと物怖じせずにハッキリと自分の思ってる事を口にしてくれる。
「蒼ちゃんのそれはもう暴力だよ。ただのやっかみやイジメじゃ済まないよ」
「じゃあ夕摘さんの受けてる言葉の暴力でついた心の傷は目に見えないから良いの?」
 そして蒼ちゃんの言葉に私は答えることが出来ない。
「それに愛ちゃんが頬を腫らした時、愛ちゃんは蒼依に何も言ってくれなかったよね」
 事実なのだからもちろんそれにも答えられない。
 私が勝手に誰にも心配を掛けたくなくて、泣いていた優珠希ちゃんの事を、理由を知ってからでも遅くないと言う思いから言わなかっただけだ。
 だけれどその理由に関しても解決はしていなくても、何となく理由が分かりかけているって言うか、今その信頼を積み上げている最中でもあると私は、信じてるから、顛末に関してもまだ言えない。
 朱先輩は、その気持ちを全て通り抜けて私に寄り添ってくれたのだ。
 ただその時でも浮かべていた朱先輩の悲しそうな表情と、あの下唇を噛んだ時の朱先輩の表情を忘れる事が出来ない。
 いつでも周りの人にはそんな表情をして欲しくないと思っている私は、やっぱり誰にも言わなくて良かったって思う自分がいる。
 私の気持ちを蒼ちゃんがどのくらい分かってくれたのか
「愛ちゃんの優しい気持ちを夕摘さんにほんの少し分けてあげるのは駄目なの? 蒼依に分ける分のほんのちょっとで良いから夕摘さんに分けるのは駄目なの?」
 蒼ちゃんの目に涙がたまる。私が蒼ちゃんを泣かせてしまったのなら、私は……
「……愛ちゃん。一緒に帰るんだよね」
 蒼ちゃんの言葉に手を繋いだままだったことを思い出す。
 それくらいには蒼ちゃんとつなぐ手も当たり前の日常に溶け込んでいる。
「ねぇ蒼ちゃん。私たち親友だよね」
 帰り道。どうしても不安に駆られた私は蒼ちゃんに聞いてしまう。
「もちろんだよ。蒼依は愛ちゃんと親友のつもりだよ。だから愛ちゃんが間違てるって思ったら、蒼依はちゃんと愛ちゃんに言うよ」
 蒼ちゃんの即答に胸を撫で下ろす自分がいる。
 ただ次に蒼ちゃんの口から出た言葉は、私にとっては更に厳しい一言だった。
「だから愛ちゃんが夕摘さんにほんの少しでも良いから、優しさを分けてくれるまで蒼依は痣の事を愛ちゃんにはなにも喋らない」
 だから思わず出てしまった私の一言は完全に悪手だった。
「私は暴力を受けている蒼ちゃんの事が、親友の事が心配なだけなのに」
「蒼依も愛ちゃんが頬を腫らした時すっごく心配したよ。その事についても今日まで何も言ってくれてないよね。愛ちゃんから言ってくれるの、蒼依はずっと待ってるよ。それに蒼依は今の夕摘さんがとっても心配。蒼依も言いたいけれど、夕摘さんは愛ちゃんからの赦しの言葉を待ってるよ」
 私は一言も何も言えずに、完全に封殺されてしまう。
 それ以上何も言えないまま、お互い無言で何も言えないまま気が付けばいつもの分かれ道まで来る。
「じゃあ愛ちゃんまた明日ね」
「……うん」
 私が元気なく返事をすると
「愛ちゃんを嫌いになる事は絶対にないから。蒼依は愛ちゃんにいっつも助けられてるんだよ」
 そう言って私にきゅっと抱きついてくれる。
 蒼ちゃんの温もりを感じることが出来た私は、
「ありがとう蒼ちゃん」
 少しだけ元気を取り戻して、家に帰る。


―――――――――――――――――――Bパートへ―――――――――――――――――――
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み