第60話 近くて遠い距離 1 ~思いやりの交差点~  Bパート

文字数 5,328文字


 私は夜ご飯の事を思い出して、慌ててスーパーまで戻って慶の分も合わせて夕ご飯を用意する。
 ただ最近慶が帰ってくる時間になっても、今日はまだ帰ってくる気配が無い。
 最近帰って来るのが早かっただけにどうしようかとも思ったのだけれど、この感じだと今日、明日くらいから始まりそうだからと、先に入らせてもらう。

 幸いお風呂まで先に済ませる事が出来たところで、何も慶が帰って来るのを待つ必要は無いと思い直し
 一人で先に夕食を済ませて、期末試験の模試対策を進める。
「ちょっと遅くなったー」
 しばらくするといつもよりかは遅く、けれども一時期よりかは早い時間に慶が帰って来る。
 ここ最近はどういう風の吹き回しか、今まで一回も言ったことの無いご飯のお礼とか、感想とか、今日みたいに挨拶をするようにもなって来てる。
 家には私一人しかいない事が多いから、無言だと怖いけれど、声を出してくれると誰か分かるから安心はできる。
「お風呂もご飯も用意できてるから、後は自分でよそって食べなよー」
 だからって訳でもないけれどドア越しにとか、階段越しに、とかではあるけれど慶と会話するようにはなって来てる。
「わかったー」
 ここ最近はまた乱暴な言葉遣いの減った慶の返事を聞いて、再び模試対策を進める。

 しばらく集中していると階下から物音がする。あれから家の中に誰かが入って来た雰囲気も人の気配も感じないから慶が何かをしているのだとは思うけれど、中々物音が止まない。
 気になった私は、暑いけれど上に一枚羽織って下の様子を見に顔を出す。
「何か探してるの?」
 するとあちこちの引き出しを開けては探していたみたいだけれど、
「うるさかったら悪い」
 こっちを向いた慶の顔を見て何を探していたのかすぐに理解する。
 見てしまったからには、自分の弟と言うのも助けて思う事はあるけれど、放っておくわけにもいかず
「ちょっと座って待ってなさい」
 階段下の収納棚から救急箱を持ってくる。
 取り敢えず座らせた慶に、腫れている所にはクリームを塗って、
「慶、あんたこの顔どうしたの? ケンカ?」
 自分ですると言う慶を聞き流しながら、傷になっている所はいったん消毒をする。
「いっ?! ねーちゃん痛いって。もっと優しく出来ねーのかよ。そう。ケンカ」
 その後自分の顔だと見えないから貼りにくいだろうからと、傷テープを貼ってやる。
「男だったら文句言わない。ケンカ相手の子、ケガさせてないでしょうね」
 まだ慶も私も、もう少しだけ小さかった頃、慶がケンカ相手の子を怪我させて、私が代わりに謝りに行っていたのを思い出す。
 ただその時は慶はこんな怪我を作ってはいなかったように思う。
「そんな時だけ男だとか、ねーちゃんがそれを言うのかよ……そんなねーちゃんは俺の心配はしてくれねーのかよ」
 だからこそ気になる部分だったりする。
「あんたも傷を作って帰って来てるんだから、心配するに決まってるでしょ。痛いのは自分で作って来た傷なんだから我慢しなさい」
 慶の方は恥ずかしいのか、思う所があるのかあまり私に視線を合わせないと言うか、こっちを見ようとしない。
 まあ、あまり変な事を言ってあの視線を感じるのも嫌だし、あまり気にしないようにする。
「サンキュ。ねーちゃん」
 一通り手当は済んだと判断したのか、そのまま自分の部屋へ入ろうとするから
「明日お母さん帰って来たら心配するだろうし、お父さんに帰って来てもらう?」
 男同士の方が相談しやす事もあるかと思って聞いたのだけれど
「別にいい。ただの喧嘩だって。明日俺からおかんに言う」
 私に背を向けたままそう言って自分の部屋へと入ってしまう。
 慶を見届けた後、せっかく下に降りて来たと言う事もあって、慶の食器を洗ってリビングの整理を少ししてから
 模試対策の続きをもう少ししようと、私も自室へと向かう。


 自室へ入ってしばらくすると少し遅めの時間に携帯から通話の方の着信が鳴り始める。
 平日私の家に両親がいない事を知っている蒼ちゃんかなとも思ったけれど、携帯だからそれは無いかと思いなおして携帯を手に取ると
「誰?」
 全く記憶にない固定電話の番号からの着信表示がされている。
 この時間からの知らない番号。電話を取らずに見送る事にする。
 着信音が鳴り始めてから三分弱、やっと携帯が静かになる。体感だとだいぶ長く感じた時間ではあったけれど、やっぱり三分ほどでしかなった。
 私が携帯の履歴を確認すると
「本当に誰?」
 階下の物音を私が気になって下へ降りてから今の分と合わせて四回着信があったみたいだ。
 同じ電話番号で立て続けに四回の着信。あからさまないたずら電話ではない気がする。そうこうしているうちに再び携帯から五回目の着信音が鳴り始める。
 ただこの調子で携帯が鳴られると勉強もやりにくいし、いつまで続くかも分からないと寝るのですら大変かもしれないと言うか、怖い。
 そこまで考えて半ば諦め半分で通話を始めると
『やっと繋がった。愛美ちゃんだよね?』
 明らかに私の事を知っている口調だった。
『知らない番号からでびっくりしたよね? 私が誰だかわかる?』
 こっちは正直誰だか分からない。ただどこかで聞いた声のような気はする。
『えっとすみません。どちら様でしょう』
 他人と間違えると言う失敗は相手に失礼だから、知ったかぶりはしない。
『私は祝ちゃんの母です。よろしくね愛美ちゃん』
『お姉さんですか?! どうしました?』
 まさかの相手に私もびっくりする。
『電話口でもお姉さんって言ってくれるなんて、愛美ちゃんはやっぱり良い子ね』
 お姉さんは相変わらずなフランクさで喋ってくれるけれど、急ぎの用事ではなさそうだ。
 そして私の家の事情を知らない人からしたら、電話をするには少し遅いもう少しで深夜帯に差し掛かる時間22時。
 しかもお姉さんはどこまで知っているのか分からないけれど、あの日以来実祝さんと喋っていないから私の中に気まずさが広がる。
『愛美ちゃんは今、学校楽しい?』
 お姉さんから柔らかい雰囲気はそのままに笑いは消えた気がする。
『受験生なので、笑ってとまでは言えませんけれど、それなりには楽しんでますよ』
 実際にはクラスの事、統括会の事、男女の事、ひょっとしたら目の届かないところで行われている暴力、そして事、今に関して言えば実祝さんの事。
 人がたくさん集まる場所だからか、私も含めて多感な年頃の人間が集まる場所だからか、周りには表面化していないトラブルも多い。
 実祝さんの性格だとお姉さんに心配を掛けたくなくて何も言っていない可能性の方が高いと思ったのだけれど
『私は、今の学校生活を愛美ちゃんが楽しいって言うなら、残念かな』
 私の考えなんてスパッと斬るように切り込まれる。
『私、愛美ちゃんはそんな子じゃないと思ってるんだけどな』
『……実祝さんから何か聞いてるんですか?』
 その言い方だと私と実祝さんの事を知ってるっぽい。
『その言い方で少しは安心できたけど、祝ちゃんからは何も聞いてないわよ』
 私の質問に先回りするように答えるお姉さん。
『祝ちゃんと何かあったんでしょ』
 もったいぶらずに確信をついてくるお姉さん。
 ただ、話すとなるとあの時のお姉さんの気持ちが届いていない事も話さないといけなくなってしまう。
『祝ちゃんが話してくれなくて、私に隠そうとしても私は祝ちゃんの母親だもの。口数も少ないし、愛美ちゃんの話も出ないから嫌でも気づくわよ』
 私が喋れないでいると実祝さんとの事を隠そうとしたと勘違いをされたような気がする。それにしてもやっぱりこのお姉さん。実祝さんの事を本当に可愛がっているのが分かる。それとも普通の親なら、一日中いてくれる母親なら、このくらいの事は分かってくれるものなのかな。
『今。実祝さんとはケンカしてます』
“誰と” とか、“何で” とかそう言う原因みたいなのは言わないようにする。
 これを言い出してしまうと「友達との時間を大切にして欲しい」「友達とたまにはバカ騒ぎをして欲しい」って言うお姉さんの気持ちが届いていない事を露呈してしまう事になる。
 私がそう思って言葉を濁しているのに
『喧嘩の原因は何?』
 ここでも無遠慮にお姉さんが切り込んで来る。
 それでもお姉さんがどれほどに実祝さんの事を大切にしているのかは分かってしまっているから、私も簡単には口を割れない。
『そんなに大した喧嘩じゃないですよ』
 だから今の私にはこう返すしか思いつかない。
『愛美ちゃんがいくら私の事をお姉さんと言ってくれても、私は祝ちゃんを産んでこの年まで育てて来てる分、年は取ってる。だから私の娘に関する事だったら、愛美ちゃんの考えてる事も分かるよ』
 そんな私に年の功の話をしたお姉さんが一呼吸開けて
『祝ちゃんに原因があるのね』
 ズバリと最後まで切り刻まれてしまう。
『せっかく私の親友が実祝さんと仲良くなるために作ったクッキーを、地面に投げつけてしまって』
 だから仕方なく私は原因の話をせざるを得なくなってしまった。
 それにしてもあれから時間が経った今でもあの話をするのは辛い。
 それにしても私の周りにいる女性はどうしてこう勘が鋭いのか。
『それは祝ちゃんが悪いわね。友達は大切にしてっていつも言ってるのに』
 言葉とは反対にお姉さんからは穏やかな雰囲気を感じる。
 だからって訳じゃ無い。弛緩した空気に気を抜いていたわけでもないと思う。
 と言うか自然体で話していたはず。だから予想できなかった次の
『だから祝ちゃん今一人で部屋で泣いてるのね。自分が悪いって分かってるから』
 今日二回目の私にとって辛い一言に、小さく私の息が止まる。
 私が実祝さんを泣かせている。
『ごめんね嫌な言い方をして。でも私は祝ちゃんの親だから。祝ちゃんに非があっても私は、祝ちゃんの味方だから』
 でも私の親友に対してのあの行動はどうしても許せなくて。
『でも勘違いしないでね。祝ちゃんとケンカしてくれてる愛美ちゃんには感謝してるのよ。学生の間にしか経験できない事を経験させてくれて。それだけ祝ちゃんと真剣に向き合ってくれている証拠だから』
 更に私の気持ちにも目を向けてくれるお姉さんに、実祝さんと疎遠になっても良いと一時(いっとき)でも思った私は……しんどくなる。
 朱先輩やお姉さんみたいな女性になりたい私には、やっぱりその背中は遠く霞むようにしか映らない。
『ありがとう、ございます』
 心持ちを悟られない様に私は、お姉さんに気遣ってもらったお礼を口にする。
『お礼を言うのはこっちの方よ。ケンカなら思いっきりして頂戴。だけど最後はちゃんと祝ちゃんと仲直りをして愛美ちゃんの親友と一緒にまた遊びに来てね』
 お姉さんが話を締めにかかる。時間はもう23時に差し掛かろうとしている。
『はい。ありがとうございます』
 再度私はお姉さんにお礼を言うと
『……喧嘩してる時って、もうこいつとは二度と口を利くもんか! もう二度と喋るもんか! とか思ったりする事もあると思うけれど、そう言った辛い気持ち、嫌な気持ちの後に仲直りが出来れば、必ず得られるものはあるから。だから今、祝ちゃんと喋りたくないって気持ちを持っていてもそれだけ真剣に喧嘩してるって事だから、良い事だよ』
 私の気持ちを知っているのかと言うくらい丁寧に説明してくれる。
 その説明だけで私の心はまた救われた気がする。
『それと、今日の電話の事は祝ちゃんには内緒ね。当然私も祝ちゃんがどうして落ち込んでるのかも泣いてるのかも知らないからね』
『分かりました』
『だから愛美ちゃんも今日の事を覚えてさえいてくれたら、明日からもいつも通りの愛美ちゃんで、喋りたくない! って思ったらそのままで良いから。だから、また祝ちゃんと待ってるからね』
 私がお礼を言う前に、おじさんが帰って来たのか男の人の声がしたと思ったらそのまま切れてしまった。

 担任の先生からの実祝さんを気にして欲しいとの話、咲夜さんからの実祝さんについてのお願い、そして今日の蒼ちゃんからは実祝さんに対する私の態度・行動の注意、極めつけはまさかの実祝さんのお姉さんからのケンカの話。
 誰の、何の、どの話を思い返しても私が悪い、間違っているとは誰からも一言も言われてはいない。
 だけれどみんな実祝さんとの喧嘩は

と言う。いや、お姉さんだけは喧嘩はしたら良いって今も言ってくれていたっけ。
 私は今日の勉強はもう切り上げて、明日の準備をして女の子の備えもしてから布団に入ってもう一度今日の事を思い返してみる事にする。



―――――――――――――――――次回予告―――――――――――――――――
             「顔が痛くて目が覚めた」
            原因を口にすることの無い弟
     「そんなに一人だけ優等生ぶって先生に褒められたいのかよ」
              止まらない罵詈雑言
             「副……会……長?」
              動揺の中での呼び声

              「何かあったのか?」

         61話 断ち切れない鎖 1 ~悪意の交差点~
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