第28話

文字数 1,549文字

 私は話の継ぎ穂を思いつくことが得意でもなければ、ちょうど良いタイミングで相槌を打つこともできない。それで静けさの重みに耐えかねてスコーンに手をのばした。
 スコーンを半分に割り、クロテッドクリームとジャムをのせる。ジャムは瘡蓋のように赤黒い色をしている。スコーンの熱でクリームが溶けだし、ジャムの赤みと混じり合ってゆく……私はなぜか目眩を感じた。
 いつか、どこかでこれと似た光景を目にしたことがある。
 そう、あれはスコーンではなく、シュークリーム……それも白鳥の形をしたシューで、羽根の間には生クリームとカスタードクリームがはさまっていた。そして、目の前にはやっぱり椿がいて、微笑みながら紅茶を飲んでいた。
 でも、どこで?
 スコーンを一口かじってお皿に置くと、椿が私の額にそっと触れた。
「大丈夫? 熱はないみたいだけど」
「大丈夫」私は笑みを浮かべた。「一瞬ふらっとしただけ。きっと、耳石がずれたんだと思う」
「耳石?」
「知らない? 海辺でイルカの耳石を拾ってお守りにすると良いことがあるって」
「イルカの石がずれるってどういう意味?」
「ずれたのは私の耳石」私は今度は声を出して笑った。「気にしないで。今は何だかおかしなことばかり言ってしまいそう」
「気にするわけない。さっきからみんなおかしなことばかり喋ってるもの」
「ママの手紙の威力は絶大だね」百合香がため息混じりに言った。「内容がどす黒くて、撫子は気分が悪くなっちゃったみたい。魔女様はご満足?」
「満足よ」飯桐の妻は微笑んだ。「無垢な女性を悪漢の手から救えるなら。ショックを与えてしまったとしても、本当に取り返しがつかなくなるよりましだもの」
 すると、椿は黒いフードをかぶった魔女を見つめ、いびつな笑みを浮かべた。
「何の見返りもなしに、そんな恩恵を与える人がいるとは思えないけど」
「人は自分を基準に考えるものね。貴方が信じなくても仕方ない」
 そこで飯桐が面頬を上げた。しかし、彼の口調はどこか上滑りで、二人をなだめるというより面白がって焚きつけようとしている風情があった。
「思うに、先ほどの手紙は一筋縄では読み解けんな。大体、書いている当人を本当に信頼してよいものかどうか……自分のことを無学だと称しているが、文章自体はしっかりしたものだし、実際は随分と自分に誇りを持っているらしい。だが、その誇りってやつが一番厄介でね。お嬢様ってのがいただろう、その子に肩入れしすぎて、元公爵令嬢の方を読み違えてる可能性があるな。わざとじゃないんだろうがね、お嬢様を守る女騎士って役に憧れるあまり、元公爵令嬢は悪辣な女だって考えに取り憑かれてるんだろうな」
「どういう意味?」魔女の声は鋭く尖っていた。「この手紙は真摯なものだと思うけど」
「真摯だからこそ怖いんだよ。言っちゃ悪いが、この乳母は誇大妄想狂だね。もう一度ゆっくり目を通してごらん。元公爵令嬢は、考えようによっちゃ没落したにもかかわらず、健気に働く良い子じゃないか。両親とも自殺したんだろう? 普通なら自分も首を吊りかねんだろう」
「もしかしたら」と支配人が口をはさんだ。「乳母が思ったのとは違う思惑があったのかもしれませんね。彼女が新興華族の家を潰そうとしたのは、単なる嫉妬のためではなく……」
 魔女の瞳が支配人を捉えると、彼の薄い唇には狡猾な笑みが浮かんだ。
「いやいや、余計なことを申し上げたようですね。文学論は大いに結構ですが、残念ながら私どもには夕食の支度がございまして……次で最後にしましょう。スペードのジャックを引かれた方」
 すると、給仕係の紫苑が手を挙げてカードを見せた。
「人の心の不思議というなら」と紫苑は言った。「僕の妹の話を披露しましょう。幼いころから、彼女は非常に変わっていましたから」
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