第12話 美人タレントを引き寄せるに十分な存在感と魅力

文字数 1,322文字


 所沢球場での調整練習を終えた若葉は、スタンドの僕を見つけると、
「ロッカールームの前で待っててくれる? シャワー浴びてくる」
 と汗ばんだアンダーシャツをいまにも脱ぎそうにして声をかけてくれた。僕は笑顔で、
「慌てなくていいよ。ゆっくりやって」
 と返した。
 若葉も笑顔で、
「サウナまではやめとくよ、今日は」
 と冗談交じりに言った。その表情にプロはやはり実績なんだなと思った。どれだけ練習してもどれだけ努力しても結果を出さないとこの世界では大きな顔できない。勝利インタビューでくだらないことしか言えなくても結果を残せばそれが言葉より大きな説得力を持つ。実績のある選手は存在感だけでものを言える。
 その存在感が既に若葉にはあった。彼のゆったりとした余裕は、彼が何を言おうと意味があるように思えた。名投手、大打者が放つオーラとはこういった存在感なんだと改めて思った。
 スワローズにもそういった存在感を持つ選手がいたが、同じチームでも、いや寧ろ同じチームだからこそ近寄れない威圧感みたいなものがあった。こうなりたいと思うわけではないが、結果こうならないと長くこの世界で食っていけないんだ。いまの僕には技術より遥か先にある幻の世界のようだった。
 1つ歳下の若葉に、こんなにも存在感があるのは、今シーズンの実績があればこそなのだが、わずかの間にそれを身に着けた彼に僕は激しく嫉妬した。どんなに嫉妬しても僕は恭(うやうや)しく彼から聞かねばならない。何をすれば変われるのかを。それさえ聞ければどうでもいいことだった。
 若葉がシャワーを終えてロッカールームに出てきた。
「お待たせ」
 ポロシャツにカジュアルなジャケット姿も一流選手らしく見える。
「ごめんよ。こんな大切な時期に」
「いいよ。試合には何にも影響しないから」
「だったらいいけど」
 若葉は廊下の向こうで待ち伏せしている記者を意識して、僕に小声で囁いた。
「ここでは話しづらいよな」
 クビになったとはいえ、僕もかつてのプロ選手だ。メディアからすればこの取り合わせは興味あるだろう。もっとも若葉に擦り寄る戦力外通告を受けた未練がましい男、くらいにしか書けないだろうが
「うちくる?」
「えっ? かまわないけど、いいのか?」
「平気平気」
 詮索するつもりはないが彼には最近になって噂されている彼女がいる。人気絶頂のアイドルグループのセンターを常に競っているセクシー系タレントで、事務所では男性との交際を禁止しているのに、彼女はこの掟を破って野球選手である若葉と付き合っているとのことであった。
 噂が本当ならば、この点も僕とは大違いだ。ヒモになってる僕と売れてる芸能人と付き合えるスラッガー。あかねが言うようにプロでない野球人は、女にとって何の魅力もないのだろう。日本シリーズで戦えるライオンズの5番バッターには美人タレントを引き寄せるに十分な存在感と魅力があった。
 若葉は僕の表情を盗み見て言った。
「今日はたぶんいない」
 その言葉で真相がわかった。しかしその愛の巣に僕が足を踏み入れていいのか?
「とりあえずここを出よう」
 そう言って、若葉は僕の肩をポンとひとつ叩いた。その時の彼の表情からは少し自信が薄れているようだった。
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