第21話 僕は若葉以上のわざをここで身につけて帰る

文字数 1,739文字


 藩主を納得させたが、兵乃進は父から盗んだこのわざをどうすべきか悩んだ。世はすでに徳川の治世。戦で使うこともなかろう。単なる武芸だけで終わらせるにはもったいなすぎる。
 そこで兵乃進は、一度きりしか使えなかった父のわざに固執せず商いを思いついた。他人の優れたわざを盗み、それを売ることに執心した。
 兵乃進は里でその商いをはじめた。「伎売(わざうり)」の暖簾(のれん)を上げて。


 柱に掛けてあった「伎売」の暖簾を降ろし宮藤兵助さんは背中越し言った。
「もう商売はしとらんが、安心せい、おぬしの分はとっておる」
 これを聞いて熊本まで来たことが徒労に終わらず済んだことに安堵した。安堵したが、僕には宮藤兵助さんに聞きたいことが山のようにあった。それが一瀉千里(いっしゃせんり)に出てしまった。
「あのう、僕とあなたが宮本武蔵の子孫だとういのは本当ですか?」
「そのとおりじゃ」
「若葉も?」
 兵助さんは頑丈そうな(おとがい)を下げた。
「わしらは皆兵乃進の傍流よ。武蔵の知らぬところで達人のわざを売って商いをしてきた」
「そこ。そこなんですよ。わざを売るってとこ。宮本武蔵や落谷さんの超人的なわざがどうして他の人に渡せるんですか? 無形のわざをまるで品物にみたいに売るって意味がどう考えてもわからない」
 兵助さんはもっともとばかりに頷いている。
「一時的に運動能力を高めるならわかりますよ。例えばステロイドとかドーピングとか。飲めば筋肉が強くなりますから。でもそれも自分のパワーを高めるだけで他の人のわざを真似できるわけじゃない。だけど若葉も、兵之進さんもとんでもない人の神業を真似できているんですよね。兵之進さんは武蔵の子ですから遺伝という可能性をわずかに残していますが、若葉は違う。落谷さんと若葉には何の関係もない。どうしてそんなことが可能なんですか?」
 この期に及んで僕はまだ疑っているのか? そうかもしれないし、自分の番がまわってくる安堵に刻むほんのわずかの不安がこんな詰問に似た非礼を宮藤兵助さんにぶつけたのかもしれない。
 兵助さんは笑って言った。
「だったらやめておけ」
 僕は焦った。
「いえ、そんなつもりで言ったんじゃ・・・」
 兵助さんは僕を試すように逆に問いかける。
「ならば聞く。おぬしは人のわざを買うてどうする?」
 どうする? 改めて問われると困る。若葉と出会うまでは買うなんてこと考えてもみなかったから。ただ僕は成功している選手が羨ましかった。若葉みたいに成功してみたかった。それとあかねをつなぎ留めておきたい。たとえ他人のわざを借りようとも。
「言っとくが、なんの努力もいらんぞ」
 兵助さんは僕を(あお)るように言う。それは若葉も言っていた。何の苦もなく身につけたと。力の無い者が歓心を得ようとするように僕は口先ばかりで語る。
「必要とあらば努力はします。もしその力が入るなら」
「嘘をつくな。人は楽して手に入るとわかった時点で無駄な努力はせん」
 兵助さんは見透かしたように言った。
「しかし、そのおかげでわしらは商いをやってこられた。人の虚栄心と安逸を(むさぼ)る欲によってな。じゃがその商いももう終わりじゃ」
 兵助さんの言葉には後ろめたさから解放された自由のようなものがあった。僕は思った。この人からわざを買ってほんとうにいいのだろうかと。
 するとこれも見透かしたかのように兵助さんは言った。
「安心せい。おぬしの楽はもう取ってあるわい」
 二度言われて、さっきより安堵しなかったのは何故だろう?

 兵助さんが座を立った。降ろした暖簾の向こう座敷に入っていく。僕は黙って兵助さんの後ろ姿を追った。兵助さんの縮れたおくれ毛がなんだか僕に問いかけているように思えた。
 だが僕は思い直して頭を振った。
(ここまできてなにをためらう?)
 僕は僕自身を叱りつける。
(戻りたいんだろ? プロ野球のあの煌びやかな世界に。トライアウト受けるんだろ? そのために一流のわざを身につけるんだろ? 大仁田翔星の二刀流みたいな凄いわざを。そしてだ、あかねに認めてもらうんだろ? 料理も家事もできるプロ野球選手として・・・)
 当初の目的を僕は必死に呼び起こしていた。兵助さんがいない間に。その時間は僕に改めて引き返せない決意をさせた。
(うん。僕は若葉以上のわざをここで身につけて帰る)
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