第22話 わざの原水『双竜』

文字数 1,090文字


 兵助さんが奥の座敷から出てきた。手に小瓶を掴んで。
 兵助さんはそれを僕に見せて言った。
「わざの原水じゃ。わしらは『双竜(そうりゅう)』と呼んでおるがのう」
 そうりゅう? げんすい? みず? 確かに見たところ普通の水みたいだった。
 兵助さんは言った。
「この水はどんな達人のわざも吸収する。これを飲めば達人のわざを完全に会得できる」
 ついに出会った本命に、僕は興奮を抑えきれなかった。
「そ、それが・・・」
 兵助さんは座してからこの水を僕の前に置いた。透きとおったガラスと水は、離れゆく兵助さんの熱い手のひらを名残惜しそうに映し出していた。
「この水は、熊本のある場所で採取した

じゃ」
 だろうな。まさか蛇口を(ひね)って出したわけがないよな。しかし特別とは何が特別なんだ?
 兵助さんの話に僕は耳を澄ます。
「熊本で有名なもの、おぬし当然知っておるな。それはなんじゃ?」
 水の話かと期待したら、いきなりご当地クイズかよ。なんだよ、焦らす気か。
しかし黙っているわけにもいかず僕は面倒くさそうに答える。
「熊本ですか? 熊本って言えば、阿蘇山か馬刺しくらいしか・・・」
 当てる気なんかさらさらなかったが。
「大正解!」
 どっちがだよ?
「阿蘇山には肉質のよい馬がたくさん放牧されておるからのう」
 両方正解ということか・・・。そういや山麓には牧草地がいっぱいあったよな。
 しかしこの後兵助さんは気になることを呟いた。
「ただ食用ばかりではないぞ。良馬はたくさんおるが、面白い馬がおっての」
 面白い馬? 落語でもするのか?
「木登りができる馬じゃ」
「はあ?」
 思わず叫んでしまった。落語より全然面白くない。僕をからかっているのか?
「いるわけないでしょ、そんな馬。馬じゃなくて狸かきつねの間違いじゃないですか!?」
「いや、馬じゃ」
「馬は木に登りません」
「普通の馬はな」
 一体兵助さんは何を言いたいんだ。
「だったら、どんなふうにして登るんですか? 飛び上がるんですか、木の上に。それならわかりますが、馬がとまれる木なんてまずない」
 兵助さんは怖い顔して僕を睨んだ。
「飛び上がるのではない。しがみついて登るんじゃ」
「ばかな! サルじゃあるまいし」
「サルのわざを会得したんじゃ」
 僕は目の前のわざの原水、『双竜』をまじまじと見つめた。
「まさか、これが・・・」
「左様、この水を飲んだ」
「そんなことまでできるようになるんですか、この水は?」
「なる」
「その馬、いまは?」
「無論、いまはおらん。兵乃進の時代じゃからのう」
「つまり、この水はその当時からあったと?」
「兵乃進が最初に見つけたんじゃ、阿蘇の麓で。木に登る馬を発見した直後に」
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