第12話

文字数 3,055文字

 短くも長く感じた議論を終えても尚、私達の電車が動くことはなかった。どうやら停電のダメージは思った以上に深刻で、まだ進展がないらしい。
 気付けば向かいの席のツバキは、窓際に寄りかかるようにして眠っていた。私が声を掛けても起きる気配がない。満足のいくまで語ることができたからではなく、動き出すことの無い状況に退屈になったからだろう。私は静かな車内で一人になった。
 電車が動かない以上は目的地に辿り着けるはずもなく、ひたすらに手持ち無沙汰である。携帯電話のメール機能で小説の続きでも記そうかと思ったが、何となく気分が乗らず、すぐにやめた。
 私は先程の会話を自然と思い返した。アイハラはこの島で何をしようとしているのだろう。ツバキが言っていたように、自殺や復讐といった破滅的な行為を計画しているのか? 絶対に有り得ないとあの時私は断言したが、可能性はゼロではない。私は相手の心情を読み取れる能力者では決してないのだから。
 私は手に持ったままの青い携帯電話を見つめ、すぐに登録されたアイハラの番号に掛けた。電車の車内で明らかなマナー違反だが、私とツバキ以外に客はいないから少しは許されるだろう。窓や扉の隙間から漏れているのであろう外気の冷たさが、徐々に閑散とした車内の室温を下げていった。
 等間隔に鳴る着信音。やがて留守電メッセージを促す聞き慣れた声が聞こえた途端、私はため息をついて携帯電話を閉じた。どれだけこちらから応答を求めても、向こうに届かなければ意味が無い。やはりアイハラの思いに関係なく、私から足を運んで彼を探すべきだろうか。
 そろそろ暖房が恋しくなり、私は丸まるように身を縮めた。特に意味もなくツバキの顔に視線を移す。目を瞑った姿を見るのは最初に出会った日以来だ。向こうは死体で、それも初めは首だけという衝撃的な状態だったが。
 今もツバキが着ている紺のタートルネックの下には、首を一周する大きな縫合の跡があるのだろう。ぼんやりとそんなことを考えていた一方で、私は彼の目元の隈に気付いた。
 ……寝不足なのだろうか。
 白皙の美青年であるが故に、私はツバキの疲れて見える目元がやけに気になった。自身の身嗜みが乱れることなど、普段なら神経質になるレベルで許さないだろうに。
 生活習慣が元から悪いのか? いや、それはない。彼はどちらかといえば朝型の人間だった。夜型で尚且つ夜更かしを好む私とは違い、朝のゴミ出しを忘れたことなど一度もないではないか。ツバキが規則正しい時間に部屋を出る足音を聞いて、隣の部屋にいる寝ぼけ眼な私が失態に気付くのが恒例だった。
 日常生活を振り返りながら理由を考えていた私だが、結局は「そういうこともあるんだろう」と楽観的な考えに落ち着いた。本人が寝ている限り答えは分からないし、もし今起きたとしても尋ねることはない。「そんなことを知ってどうする」と言われるに違いないからだ。
「別にどうもしない」「だったら関係ないだろう。僕と君はあくまで他人だ」「ああ分かってるよ」云々……。
 きっとこんな具合だろう。すぐに思い浮かぶ光景に、くすりとした笑いが込み上げた。
「はあ、せめて空調だけでも動けばいいのに」
 すると突然、ガタンと車内全体が音を立てた。「おっ」と私が思う間もなく電車が前へと進む。ようやく動き出したのだ。
「やっとか」と私は小さく声を発した。そして待ち望んだ車内放送が流れる。あと数分もすれば目的の駅だ。
 しかし車内の照明は明るくならない。空調もまだ暖かな風の流れを感じない。本調子じゃないのかとも思ったが、
「ツバキ、そろそろ電車が――」
 私は突然、そんな疑念がどうでもよくなるほどの焦燥感に襲われた。
 ツバキの様子がおかしい。目を瞑ったまま眉を顰め、車窓の方へと首を捻りながら、彼は掠れた呻き声を上げていた。苦しそうな息遣いで、華奢な体が僅かに震えている。
「ツバキ?」
 さっきまですやすやと眠っていたはずなのに、うなされているのか? 私はすぐに目の前まで駆け寄ると、ひとまず彼を起こすことに専念した。
「おい大丈夫か? しっかりしろよ」
 何度も名前を呼びながら身体を揺するが、ツバキは目覚める気配がない。むしろより苦しさが増したようにも感じられ、彼は顔をしかめながら首を横に振るばかりだった。
「ツバキ起きろよ。もうすぐ着くぞ」
 口では平静を装っていたが、ツバキが尋常ではない状態なのは明らかだった。遂に私は彼の頬を軽く叩いた。薄ら寒い車内であるにも関わらず、冷や汗までかいているではないか。
「おい、起きろって! ツバキ!」
 ぴくりと彼の眉が動いた。もう少しか? そう思ったところで私はツバキに腕を掴まれ、そして彼は呻くように呟いた。
「香澄……」
 誰と間違えているのだ。私はそんな名前ではない。しかしまるで縋るかのように何度も呟くツバキに、私はただならぬものを感じた。
 いったい彼の身に何があったのだ?
「ツバキ!」
 私があらん限りの声で名前を叫んでようやく、彼ははっと気付き目が覚めた。他に乗客がいれば、きっと全員が私達を奇異的な目で見つめていたことだろう。
 目の前のツバキは呼吸で肩を上下させ、状況が飲み込めない様子でいた。
「……サクマ? いったいどうしたんだい?」
「どうしたじゃない。お前が酷く苦しそうだったから起こしたんだろ。びっくりした顔しやがって。驚かされたのは俺の方だ」
「そうか……。それは、悪かったね」
 ツバキはまだ理解が追いついていないようだった。詫びる言葉もどこか浮ついていて、空虚である。
「悪い夢でも見ていたのか? うなされてたぞ」
「……君には関係のないことさ」
「だからってすぐに忘れられるか。こっちは本気で心配したんだぞ」
「……」
 無言ではあるがしおらしかった。怒ったわけではないのだが、余裕のない私を見てツバキは何かを察したのだろう。
 彼は嫌なものでも拭うかのように、下ろした前髪をかき上げながら言った。
「とっくに過ぎたことなんだ。偶に思い出すぐらいで、今からどうこうすることもないし、できやしない。……だから、追求しないでくれないか」
 疲れ切った様子で、しかし真剣にツバキは頼んだ。それを拒むことなど私には出来ない。勿論気になっている自分がいるのは確かだが、誰にだって嫌な過去の一つや二つはある。
 そして何より、私は花村の事務所でツバキに助けられたのだ。そんな彼を裏切ることはしたくなかった。
「……分かった。だけど次はお前を起こす時、本気で殴るからな」
「勘弁してくれと言いたいところだけど、案外悪くないかもしれないね。一気に現実に引き戻してくれるには最適だ」
「本土に沢山いるかもしれないお前のファンに、仕返しされかねないな」私は端正な顔を見下ろしながら言った。
「腕力には自信があるのかい?」
「変なことを聞くなよ」と私は言った。「まあでも学生時代は……」
 不意に電車がスピードを落とし始めた。ようやく私達は外に出られるのだろう。
 私が突然口を閉ざしたので、ツバキは怪訝に思ったのか首を傾げた。
「学生時代は?」
「何でもない。そろそろ立てよ、降りそびれたら馬鹿みたいだろ」
「はいはい」
 落ち着いた様子でツバキは座席から立ち上がった。先程よりも顔色はだいぶ良くなっている。私は内心そのことに安堵すると、先に進んで電車を降りた。
 しかし一方で私は聞き逃さなかった。後ろを歩くツバキが、悔しさの混じった声で小さく発した言葉を。
「いくら君が好きだと言っても、雪なんて大嫌いだ」
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