第9話

文字数 5,788文字

 私達が普段から「繁華街」と呼ぶ、島の南部でも都会の街並みが広がる一帯。そこには表通りと裏通りという二つのエリアが存在していた。
 西側にある広場から住宅街を抜け、東に進むことで入れるのは、繁華街のメインともされる表通りである。すれ違ってもぶつかることのない歩道の左右にはショーウィンドウが立ち並び、流行りの服や小物などが見目麗しく飾られていた。身に付けられているマネキンも、どこか誇らしげに見える。きっと今日の夜にはネオンサインやイルミネーションが、表通りを華やかに照らすことだろう。娯楽施設の少ない六稜島で過ごす島民にとって、この辺りは退屈さを凌げる唯一の社交場であった。
 一方でその奥に隠れたように存在する裏通りは、表通りと異なりカジュアルな雰囲気だった。洒落た店や観光名所がほとんどなく、人通りも少ないためか閑散としている。しかしそれが集中しやすい環境として魅力的に感じられたのか、この通りはオフィス街として機能していた。またこの場所はすぐに表通りに出られるため、マンションやアパートも入居者が多い。並んだ外壁や建物全体の様子を伺うだけで、私の住むアパートよりも数段ランクが上だと分かった。
 私がそんな風にきょろきょろと辺りを見渡していると、ツバキが「先に言っておくけれどね」と釘を刺した。
「君は花村と初対面だろう。話す際は最低限の会話に留めて、自分からは口を開かないほうがいい」
「お前からまさかそんな忠告がもらえるなんて」
 率直なことを言い過ぎた。即座に肘で溝打ちを小突かれ、思わず「うぐ」と呻き声が漏れた。
「あとで泣きついても知らないからな」
「分かった、悪かったって! 有難く肝に命じるよ」
「全く、とんだ隣人だよ」
 ツバキは軽度ではあるが悪態をついた。苦手な人間と関わる直前で、早くも警戒しているのかもしれない。
「とにかく。たとえ気になることを言われても、あの男には絶対尋ねないほうがいい。金をせびられることは無いけれどね。ろくな事にならないのは目に見えている」
 ため息をついてからツバキは私に忠告し終えた。今度は私もちゃんと頷いてみせる。
 情報屋の構える事務所は、裏通りの中でもさらに人気のない場所にあった。四階建てのうちの一階と二階には、別のオフィスや店が展開されている。花村は三階を事務所、四階を自室に利用しているとツバキから聞いた。
 築年数は私達の住むアパートと同じぐらいか、所々壁に軽微な傷や汚れがある。お世辞にも綺麗とは言えず、寂れた様子が明らかだった。
 ツバキが再度私の方へ振り向き、無言で注意を促した後で扉のハンドルをゆっくりと引いた。
 事務所の中は見るからに「情報屋」の名に相応しかった。足元から天井まで、本やファイルの詰まった本棚が左右の壁に並び、奥の窓枠すら少し埋まるほどだ。入ってすぐ右側にある応接スペースは一応の整頓がされているが、それも周囲の書類にいつ侵略されてもおかしくはない。
 この部屋の主は整理整頓が苦手なのかと分析しかけたところで、積み重なったノートを両手に抱えて運ぶ、赤い髪の女性と私は一瞬目が合った。
「あらツバキさん、こんにちは!」
 黒のベストを着用したボーイッシュな女性は、焦げ茶色の髪をした青年を一目見て挨拶をした。ぱっちりとした目をして作る笑顔は、明るく愛嬌がある。
「こんにちは双葉さん。相変わらず今日もお綺麗ですね」
 ツバキは入ってすぐの段を降りながら、スマートにこれを返した。
「そんなお世辞はやめてよ。大して歳も変わらないでしょう?」
「おや、僕は素直な気持ちを口にしただけだよ。冬の朝は美しい女性をより魅力的に見せると、どこかの名探偵も言っていたからね」
「あら。そんなこと言ったって、依頼料を安くしたりはしませんからね」
「それは残念だ。まけてもらった後で、君と買い物にでも行きたかったのに」
「はいはい、冗談はそこまでにしてちょうだい」
 会話だけだとツバキが一方的に断られているようだが、笑い合った様子から仲は悪くないと感じられた。くだけた調子で話すことから、むしろ親しみやすく割り切った関係らしい。
「ところで双葉さん、ここの探偵はどこにいるんだい?」
「葉ちゃん? あそこの整理整頓ついでにゴミ出しよ。すぐに戻ってくると思うわ」
 双葉と呼ばれた女性は、奥のデスクの上に積まれた書類の山を指差した。室内に幾つか出来上がった山の中で一番の高さを誇っている。今時こんなに沢山の紙を見ることもないだろうと、私は鑑定士のようにまじまじと見つめていた。すると双葉がそんな私についてツバキに尋ねる。
「ねえツバキさん。こちらの方はご友人?」
「同じアパートの隣人だよ。付き添いという形で来てもらった」
「そうなの! それじゃあご挨拶しなきゃ」
 空気を読んでそれまで黙っていた私に、双葉はそろそろと近付いてきた。鮮血のような髪の色に改めて驚かされる。直視しすぎると目がチカチカとしそうだ。
「初めまして。佐久間稜一と言います」
「初めまして! 五十嵐双葉って言います。良ければ名前のほうで呼んでほしいな。堅苦しい苗字が嫌いなの」
 双葉は「よろしく」とにこやかな笑顔を見せた。奇抜な見た目だが明るく素直な性格のようである。先程ツバキが口説くような言葉を掛けていたが、それもお世辞ではないと断言できるほどの美人だった。親しみやすい笑顔が彼女の魅力をさらに引き立て、多くの依頼人を故意でなくても惑わせることだろう。
「葉ちゃんがいつもお世話になっています。……って、サクマさんはまだ会ったことがないんだよね」
「ええ、そうですね」
 私も冗談で「ツバキが世話になっています」と言ったほうがいいだろうか。少し迷ったがやめることにした。余計なことをするなと彼に言われかねない。双葉が右手を差し出してきたので、私はすぐに握手をした。彼女は情報屋の秘書か助手、といった立場なのだろうか。
 すると私の後方で扉の開く音がした。先程私達が入ってきた入口の扉である。欠伸をしながら男が一人、室内へと入ってきた。
 花村は最近剃ったばかりの顎髭にハンチング帽を被っていた。着古した上着を羽織り、全体的に見ればだらしなく感じるが、体格の良さがそれをカバーしている。確か先程、ツバキが彼を「元刑事」だと言っていたか。
「双葉、今日の昼飯はどうする。サリアでマスター特製のサンドイッチでも食べに行くか?」
 再び花村は欠伸をする。まだ私達には気付いていなかった。
「もう葉ちゃん! お昼ご飯は仕事が終わってから! お客様よ」
「ん?」
 双葉に言われてようやく、花村はツバキの姿を捉え、次に彼女と握手したばかりの私を見る。
「……へえ。これは珍しい」
 そして不敵に笑うと、花村は数段降りてからツバキに話し掛けた。
「よう王子様! 珍しく人を連れているじゃないか。お前の家来か何かか?」
「その話は既に君の助手にした。気になるなら後で彼女に聞いてみなよ」
「相変わらずつれねえ態度だなあ。そんなんじゃ周りから嫌われるぞ?」
「既に嫌われているから平気さ」
 ツバキは見事に花村の発言を突っぱねた。双葉と話していた様子とは大違いである。しかし花村は懲りた様子を見せず、冷静だった。
「それはどうだか……。まあいい、話を聞こう。今日はいったい何の用だ」
「先日僕が頼んだ調査の回答と別件の追加さ。情報が欲しい」ツバキの目は真っ直ぐと、窓を隔てた灰色の景色を見つめていた。「報酬なら合わせて既に持ってきた」
「ほう、それは有難い。双葉、貰っておいてくれ」
 花村の言葉に従って近付いてきた双葉に対し、ツバキはコートの裏から分厚い封筒を取り出して渡した。双葉が中身を確認しているが、かなりの額ではないか。そのうちの何割がツバキ個人の依頼に対する見返りなのだろう。いや、それ以前にあれほどの金額を簡単に出せるのも不思議である。演出家とはそこまで羽振りのいい職業なのか。私の頭の中は疑問符だらけだった。
 一方の花村はいつの間にか私の目の前に来ると、大雑把に名刺を差し出していた。
「挨拶はちゃんとしておかなきゃ、この商売は成り立たないんでね。どーぞ」
 私は「ありがとうございます」と礼を言ってから名刺を見つめた。真っ白で味気ないデザインである。

――花村探偵事務所 探偵 花村葉一

「お前さん、名前は?」
「佐久間稜一と言います」名乗るくらいなら問題はないだろう。「ここの事務所は、お二人だけで切り盛りしているんですか?」
「ああそうだな。情報屋と助手の関係、それ以上も以下もない。情報を売るだけにも関わらず『探偵事務所』って名前なのは、客に胡散臭く思われないためだ。情報屋だなんて、あまり耳にすることもないだろうからな」
 名刺をさらにじっくりと見れば、住所と電話番号まで記載されている。
「用があればいつでも連絡してくれ。料金は頂くが仕事はきっちりこなすぜ? 親友の捜索とかな」
 驚き、思わず身がすくんだ。親友とはアイハラのことだろう。初対面のはずなのに、どうして知っているのだ。
「そんな顔するなよ、親の仇でも見つけたみたいに。むしろ俺とあんたで、ウィンウィンの関係が築けると思ってるんだがな」
 花村は変わらずへらへらとしている。まるで私の反応を楽しむかのように。
「……名刺は頂いておきます」
「おう、そのほうが身のためだ。この島で利用できるものは、とことん利用したほうがいい」
 そんなつもりで言ったのではない。私は早く花村との会話を終わらせたかったのだ。ツバキの言葉通りで、この男は油断ならない。
「ところでお前さん、家族との仲があまりよろしくないみたいだな」
 私の家庭環境まで知っているのか。私は目を見張り警戒心を強めた。しかし花村の口から出てきた言葉は、紛れもない真実だった。
「姉も勿論非の打ち所がないが、それよりもさらに優秀な兄と比較されるのは辛いよなあ?容姿端麗で社交的。おまけに成績も優秀で、国内随一の名門大学を一発で合格ときた。親は揃って兄のことばかり褒めちぎり、お前のことは陰口混じりに心配するだけ。当の兄貴も劣って見えるお前のことを貶して、さらなる優越感を得ようと必死だ。だがそうするのも無理はない。だってお前さんとその兄貴は――」
「そこまでにしろ!」
 はっと気付いた私は顔を上げた。自分の心の内なる悲鳴が漏れたのではない。ツバキが強引に私と花村の間に割り込んだのだ。
「依頼人は僕だ。ただの付き添いである彼に余計な口出しをしないでくれ」
「おいおい、やけにそいつに肩入れするじゃねえか。俺は自己紹介をしただけだぜ?」
「紹介ついでの脅迫だろう。あんたは本当に抜け目がない」
「依頼の回答を見ながら、盗み聞きでもしてたのかお前は? 俺の事務所にまで連れて来たあたり、こいつのことは余程信頼してんだな」
「ただの成り行きさ」
「白々しい嘘はやめておけ。どうせ劇団のお仲間全員が死んだ後にできた、貴重な御友人なんだろう? 今のお前のキレた顔つきを見れば分かる」
「依頼人を無視する上に、都合の良い解釈を並べられると腹が立ってね」
 両者は睨み合っていた。助手である双葉も、ツバキに庇われた私も、どうしたものかと戸惑うばかりである。
 しかしこのままでは依頼をしに訪れた意味が無い。それに何より私自身が、非常に情けないではないか。やがて私はツバキの腕をそっと掴み、振り絞る声で言葉を発した。
「ツバキ、俺なら大丈夫だ。……邪魔をして悪かった」
「……」
 ツバキは私に振り向くことなく、まだ花村と相対している。だがしばらくして彼は掴まれた腕の力を抜くと、何事も無かったかのようにその場を離れた。
「それなら本題に戻ろう。……ところで花村さん。僕個人への回答はこれだけかい」
 花村はツバキが持つA4サイズの封筒に目を向けた。あまり彼の望むものが入っていなかったのかもしれない。
「ああそうだな。現時点では白とも黒とも言いきれねえ。もっと踏み込む必要もあるんだが、今すぐには無理だ。材料が足りない」
「そうか」
「まあそう焦るなよ。新しい情報が入ったらちゃんと教えてやる。追加料金もないから安心しろ」
「……分かった。それじゃあもう片方の話をするよ」
 私はツバキにその気がないにせよ、ようやく花村から開放されたことに感謝していた。
「島の北部から逃げてきた、ユウマという男を探している。僕と同じ二十代あたりだ。何か情報を持っていないかい?」
「ユウマ? 聞いた事のない名前だな」
「今はどうか分からないけれど、北部に存在した組織の幹部とのことだ」
「……へえ。組織の幹部ねえ」
 花村は含みのある言い方をした。
「詳しいことは知らねえが、今年の秋頃にかけて街に浮浪者が出たという騒ぎがあった。その正体は実は北部からの脱走者である、という説ならあるな」
「彼らは今どうしている。できることなら話が聞きたい」
「さあな、少なくともこの繁華街にはいねえ。偏見の塊みたいな人間が少なからずいるからな。有力な場所といえば……やっぱりあの集落か」
「それって、廃トンネルの途中に位置する場所のことですか?」
「そうだなリョウイチ君。加えてアドバイスするなら、あそこの方面へは真っ暗なトンネルを歩くよりも、電車で行った方が早い」
「この島に電車が走っているんですか?!」
 私はその事実に驚いた。花村から「リョウイチ君」と呼ばれたことよりもだ。
 一方でツバキから鋭い視線を感じて口を押さえた。僕からの忠告を忘れたのかと、精悍な顔つきが訴えている。
「南部の外周を小さな列車が走るだけの、ちゃちなものだけどな。本土で固定のファンが付くような精巧で浪漫溢れるものでは決してない。……もしかして知らなかったのか?」
「ええ。初めて知りました」
 私は手短に回答を済ませる。
「だったら一度捜索ついでに乗ってみればいい。今日はこんな天気で人も少ないだろうし、値段も一律で安いからな」
 花村はそう言うと双葉に一言二言交わし、地図を引き出しから持ってこさせた。先程から物を一つ出すにも助手の手を煩わせているのだから、もはや花村がこの書類だらけの部屋を生み出しているのは明白である。きっと彼女がいなければ、自分がなくした物すら見つけ出せないのだろう。
 花村は地図内の一点に指さし、スムーズに私達に最寄り駅までの行き方を教えた。
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