第8話

文字数 2,937文字

「……それでこの後はどうする?タイムリミットは特に言われなかったが」
 朝美医院を出た後、私はツバキに尋ねた。朝美医師は今日の午後から診療を控えていた。この近辺に医者がいるという話は聞いたことがない。そのためこの冬に開いたばかりの朝美医院は、島民からの需要も高まるだろうと予想がついた。
「君も僕も偶然今日は予定がないのだろう? だったら依頼をこなすまでさ。広い島で一人の恩人を探すというのは、中々骨が折れそうだね」
 私は得意の連想からすぐにアイハラの顔が浮かんだ。友人であるアイハラは今、何をしているのだろう。彼の秘められた事情はさておき、この時間帯だと昼食でも食べているのだろうか。
 一方で触れたばかりの冬の外気に一瞬体を縮めて、ツバキは灰色の曇り空を見上げた。
「……雪が降りそうだ」
「確かにそうだな。雪なんて久々だ。地元では降ることが殆どなかった」
「六稜島では年に一度は必ず降るらしい」
「そうなのか?楽しみだな」
 ツバキは何も答えなかった。一人でいたならば孤独を感じさせる、閑散とした雰囲気である。
「それにしても、島の北部で本当にあんなことがあったのか?」
「あくまでも朝美医師が連れ去られてすぐの出来事さ。一緒に逃げてきた幹部の男のおかげで、今の北部にはそんな組織もないのかもしれない。それとも君は朝美医師の話を疑っているのかい?」
「そうじゃない。ただ実感が湧かないだけだ」
 私は慌てて断言した。
「北部の話だなんて魔女からもこれまで詳しく聞いたことがない。だから朝美先生の話のには驚いて……おい、聞いているのか」
「え? あ、ああ」
 ツバキはわざと私を無視した訳ではなく、完全に上の空であった。私はこれまでのこともあり、思わず文句を言った。
「なんだよ、今日は調子が狂うなあ」
「何が」ツバキは全く気付いていない。私は真正面から指差した。
「お前だよ。依頼に乗り気だったり、そうかと思えば突然口数が減ったりしているじゃないか。加えて天を見上げて感傷に浸るだなんて。珍しいことだらけにも程がある」
「不審な行為は何一つしていないじゃないか。君が今日は神経質なだけで、僕は普段からこうさ」
「そんなわけあるか」
 今日の私は原稿も書き上げて好調である。気分が高揚して大雑把になることはあれど、神経質になることは有り得ない。
「しかし君の言い分も多少は理解できる。曖昧な返事をして悪かった、僕に非があったのは認めるよ。……だから話を元に戻そう」
 ツバキはこれ以上無駄な口を挟みたくないのか、宥めるように私に謝った。
「ひとまずは第一段階だ。本来ならば僕達はこれから、朝美医師と元幹部の辿った道をなぞる必要がある」
 ツバキはポケットからわざわざ右手を出し、人差し指を立てた。昼頃とはいえ寒いにも関わらず、こういう点は相変わらず気障ったらしい。
「だったら、前に歩いたあのトンネルへ向かうのか?」
「そう言いたいところだけどね。それだとあまりに時間が掛かる」
 するとツバキはゆっくりと、東の方向へ歩き始めた。確かにそうだ。以前歩いた時は一度も曲がることがなかったが、それでもかなりの距離を歩いた気がする。
 行く宛でもあるのか、私はツバキのすぐ隣を歩いた。
「あの廃れた場所を片っ端から調べて歩いても、ユウマという男を見つけられる確率は極めて少ない。そもそも人に出会う機会すらないと思うね」
「それはそうだ、通り道として全く機能してないんだから。だが朝美先生は約束したんだろう?男が戻るまで待っているって」
「ところがそこでしばらくして朝美医師は僕達に遭遇した。そして浮浪者同然の生活も限界だった彼は、居候という形で短期間だが教会で保護された。もしも約束の男が、この間にトンネルに向かったとしたらどうする?朝美医師がかつて隠れていたスペースは勿論、もぬけの殻だ」
「そうだな……俺だったら分岐点にある小さな集落へ行ってみるか、もしくはさらに南下して、賑やかな繁華街で人に尋ねてみるだろうな」
「僕がもしも恩人である男だったら、後者はたとえ行動に移したくても選ばないだろうね」
「どうしてだよ。非合理的でもない気がするけどな」
 私は異を唱えた。しかしツバキはそれにも構わず首を振る。
「サクマ、二人は迷子になった観光客じゃないんだぜ? 北から逃げてきた脱走者さ。街で大衆の目に晒されたら、より詳しく自分の姿が認知される。つまりは組織の人間が南へと尋ねてきた時、多くの島民から目撃情報を提供される可能性が高まるわけさ。命の懸かった危機的状況下で、そんな自滅行為は御免だよ」
 すなわち、島の南部で最も人通りの多い繁華街はリスクが高いということか。
 私が訊くとツバキは「そういうこと」と頷いてみせた。しかし本当に彼の言葉通りとなれば、私達にとっては余計に困った事態になる。
「それなら分かれ道の先にある集落や、繁華街の人達に尋ねるのは悪手ということになる。島民に目撃されないように恩人の男が動いているとするならな。そうなると初めに言ったトンネル探索しか方法がない」
「しかしあんな暗い場所に、いつまでも一人の人間が居着けるわけも無い」
 これでは堂々巡りではないか。
「それじゃあいったい、どうすればいい?」
「決まっているだろう。ほとんど存在しない情報から探るしかない」
「もっと具体的に言ってくれ。繁華街でひたすら歩く人間に尋ねて回るのか?」
 ツバキが歩く先に当の場所があるのは既に分かっていた。離れた郊外の広場とは打って変わり、高い建物が並ぶ都会の街並みが見えつつある。
「貴重な情報にはそれなりの価値がある。地道に足で稼ぐよりも、簡単な方法で手に入れよう。聞き込むんじゃなくて、買うのさ」
「それってまさか、情報屋から?」
「ご名答」
 ツバキは簡単に認めた。依頼を受けた人間が第三者に同じ依頼をするというのは聞いたことがない。反則すれすれの行為ではないかと私は肝を冷やした。
「正直に言うとねサクマ。情報屋には僕個人で頼んでいた依頼があるんだ」
「そうなのか?」
「うん、その回答をもらうついでさ。詳しい中身については言えないけどね」
 ツバキは慣れた足取りで、情報屋を営むという花村の事務所へと向かう。彼は何度も訪れたことがあるようだった。
「かなり懇意にしているのか?」
「いいや。どちらかと言えば常に警戒しているよ。本音を言えば、あまり関わりたくはない」
 やけに慎重な発言だった。しかし普段から自分のことを明らかにしないツバキにとって、それも当然のことのように感じられる。
 情報屋――私にはあまり聞き馴染みのない職業だった。簡単に言えば商品の代わりに相手の求める情報を売るのだろう。時にはあらゆるメディアから調べ上げ、またある時には自分の足で掴みに行く。手持ちの情報があればあるほど、より高い価値で交渉が出来るのだ。ほんの些細な情報まで持っていてもおかしくはない。
 自分の嫌な過去や弱みまで握られている可能性もあると思えば、誰もが接触を避けたくなるのも道理であった。
「けれど花村はこの近辺で有益な情報を多く取り扱っている。背に腹はかえられないよ。元刑事というだけあって、腕も確かだからね」
 そして私達は、繁華街の中心から離れた裏通りへと進んだ。
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