第10話

文字数 1,603文字

「それにしても人助けとはねえ。上手く言ったもんだ」
 机を挟んだ向こうにいる花村は、私の隣にいたツバキに向かって言った。双葉は私達の後方で書類の山の整理整頓を再開している。黙々とこなしているが、恐らく今日中に全てが片付くことはない。
「……やれやれ、それはどういう意味ですか」
 ツバキは仕方なしに尋ねた。こちらが反応するまで別の話をさせる気はないと、花村の明らかな意思表示があるように感じられたからだろう。
「決まっているだろ? 独り善がりなお前さんが、他人にそうそう救いの手を差し出すわけがない。綺麗なツラしておいて、中身は挑発的な皮肉屋だからな。いつも人を馬鹿にしている」
 ツバキには悪いが、花村の言葉に内心私は頷いていた。ツバキは飄々としていて口が上手い分、相手を翻弄するのに長けている。「あくまでも他人」と言われている私も実際、それで苦労してきた部分があるのだ。最近は慣れてきたが。
「何が言いたいんだか」ツバキは微笑みながら肩を竦めた。「僕にだって人を助けたいと思う気持ちはありますよ」
「二年前は身近な仲間の状況にも気付かなかったくせに、薄っぺらな言葉がよくも吐けたもんだ」
 ツバキは灰色の瞳を改めて花村に向ける。その時の感情は、私には読めなかった。
「花村さんには関係のないお話でしょう」
「ああそうだな。けれど一応、俺にも調べておく必要がある。仕事を頼んできた人間が、とんでもない奴なら御免こうむりたいからな。……お前がそうとは言わねえが、それでも悪人であることは確かだ」
 ツバキは眉をひそめた。
「二年前、島を訪れた劇団〝窓烏〟のメンバーに起きた連続殺人。お前がそれを生き延び、最近になって何事もなく過ごしているのは謎だが、他を調べ上げて知ったこともある。あの惨劇があったのは全てお前のせいだ。そうだろう?」
 花村は指を差して追求した。
 劇団〝窓烏〟。初めて知った、かつてツバキが演出家として所属していた劇団の名前だ。
「人の欲で成り立つ自由業は、お暇でいらっしゃる」
 ツバキは傍の本棚に寄りかかり、皮肉で返すことで認めるかのような態度を取った。
「今ここで僕の過去を詳らかにしても、喜ぶ観客は一人もいませんよ」
「そうか? 少なくとも俺は今楽しんでるぜ。常に生意気なお前を追い詰めることにな。おっと! そうカリカリするなよ。忘れ物のキャビンでも吸うか?」
「お構いなく」
 ライターを差し出した花村の手を、ぴしゃりとツバキは払いのけた。強めた声色から彼が苛ついているのが分かる。一方で花村の言った〈忘れ物〉の意味が、私にはよく分からなかった。
「聞くべきことは既に聞いた。僕達は帰らせてもらうよ」
「行こうサクマ」と足早にツバキは背を向けて扉へと向かう。双葉が無言ながらも私達に心配の視線を向けていた。ツバキが不快感を露骨に顔に出すのもそうだが、ここまで彼に余裕がないのも珍しい。
「自覚したほうがいいんじゃねえのか? お前は多くの人間から愛される割に、それを不幸という仇でしか返していない」
 段を上がるツバキの足がぴたりと止まった。
「人助けと称した仕事も、お前個人の問題を解決するついでなんだろう? 素直に認めろよ。繊細な心が分からないお前に、人と友好的に関わる資格なんざない」
「葉ちゃん!」
 書類の束を下ろした音と共に、遂に双葉が声を上げた。
「ツバキさんは葉ちゃんの力を頼って来てくれたんだよ? お客様でもあるのに、そんな事を言わないで!」
「お前は黙っておけ双葉。こいつはそんな生易しい奴じゃない」
「でも!」
「大丈夫ですよ双葉さん。この人は元刑事だ。悪を許さないという気性が抜け切れていないのでしょう。それに……」
 ツバキは振り返ると終始感情のない口調で言った。
「僕の周囲にいた仲間達は皆、僕のことを恨みながら死んでいった。それは確かな事実だからね」
 そしてそのまま、彼は音を立てて扉から外へと出ていってしまった。
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