第3話

文字数 3,928文字

「えっと……まずは自己紹介からですかね」
 私は身を固くしながら口を開いた。上等なソファに座って、人と向かいあうことに慣れていなかったからである。
 向かい合った革張りのソファは新品同然で、加えて落ち着いた木目色のカーペットには汚れが一つも見当たらなかった。室内の隅々から朝美医師のまめな性格が伺えるだけでなく、私達を出迎えるために最近になって掃除をしたことは明らかだった。決して私達は――少なくとも私は――そんな身の上ではないのだが。
「私は佐久間稜一と言います。ガトー達から名前は聞いたことがあるとは思いますが、この夏に友人を探して六稜島に来たばかりで……」
「作家志望とは言わないのかい」
「今日は関係がないだろ」と私は隣に座るツバキを小突いた。正直付き添いで来た私の話なんてどうでもいい。朝美医師は間違いなく、秀でて頭の回転が早い彼の能力を買っているのだから。
 そして恐らく職業柄、ツバキはコミュニケーション能力も私より抜群に優れているはずである。だから私は「お前から話すべきじゃないのか」と視線を送った。当の朝美医師はそれに気付かない上に器が広いのか、寛容に相槌を打つばかりである。
「わざわざ今日はお越しいただいて、ありがとうございます。私は朝美聡と言います。最近はこの島も物騒ですから、昼時でも警戒しないといけませんね」
「物騒……ですか?」
 私はいまいちピンと来なかった。六稜島の北部のことは知らないが、少なくとも私達のいる南部は至って平和である。
 すると朝美医師は眼鏡の奥に映る目を丸くした。
「ご存知ではありませんか? 狩人シックスという殺人犯ですよ」
「狩人シックス?」
 反芻してみたが、そんな頓珍漢な名前は聞いたことがない。
 私が隣を見ると、ツバキは真っ直ぐ前を見つめたまま説明を始めた。
「狩人シックスとは、六稜島の南部に最近現れた通り魔さ。被害はこれまでで三人、いずれもボウガンで心臓を射貫かれて殺されている。性別も年齢も不明で、現在も何処にいるのか分からない。ただ彼は決まってある共通点を持つ人間を標的にしているらしい」
「ある共通点って?」
「それは……」
 ツバキは言いかけた後に朝美医師を見た。依頼人を無視して雑談を始めてはいけないと思ったのだろう。朝美医師は慌てて両手で壁を作った。漫画の表現が叶うなら汗が飛びまくっていることだ。
「た、大変失礼致しました! 私が変なことを言ったばかりに……。すみません」
「い、いえ」
 私は曖昧に首を振った。そもそもの発端は朝美の言葉を聞き返した私にある。狩人シックスとやらの話は後でツバキに聞いてみようと思いながら、私は彼に「ほら、挨拶しろよ」と促した。
 ところがツバキは自分から話すことなく、細長い足を組んだまま、部屋の様子を見回したり朝美医師をじっと観察したりするだけだった。やる気があるにも関わらず、依頼者と交渉する気はほとんどない。
「おい、どうして黙っているんだよ」
「君から紹介してくれ」
「はあ?」
「聞こえなかったかい?」
「意味が分からないから聞き返したんだよ。どうして俺がわざわざ」
「いいから」
 さっきまで普通に話していたのに、私は何がしたいのかと戸惑いを隠せなかった。しかしツバキは呆れて溜息を吐いて以降、口を開こうとしなかった。仕方なく待ちかねた私が彼を紹介する。
「ええと、それで隣の彼がツバキです。演出家……らしくて、フルネームは私も知りません」
「余計なことは言わないでくれよ。君の言い方はかなりハラハラする」
「だったら最初からお前が話せばいいだろ」
「余計な体力は使いたくなくてね」
「嘘つけ、普段からお喋りのくせに」
 私が文句を言うとようやく――面倒な様子を隠して――ツバキは自ら話し始めた。座り直したソファの動きが僅かにこちらにも伝わる。
「……同じアパートの隣人であるサクマからお話は伺いました。教会の方々に人探しを依頼したい旨を伝えたそうですね。先に忠告させていただきますが、僕はプロの探偵でも警察でもない。隣のサクマだって僕と同様、ただの一般人です。朝美医師が真剣に人探しを望むなら、僕達ではなく適任な方に頼むことをお勧めします」
 滑らかに話し慣れた口調だった。最初からそうすればよかったのに。
「は、はあ。」と朝美医師は初め、ツバキの言葉に曖昧な反応をした。しかしすぐに彼は恐縮して背筋をピンと伸ばす。
「い、いえ! 他にあてなど私には到底ありません。北部から慌てて逃げてきた元浮浪者ですから、こんな私の話を聞いていただくだけでも有難いのです」
「ちなみにだがツバキ、他に適任の人間って誰がいるんだ? この島には警察もいないんだぞ」
 私は忘れがちになる六稜島の特異な点を会話に持ち出した。しかし彼はあっさりと首を横に振った。そんなことは百も承知と言いたいのだろう。
「僕が知る限りは三人、適任者がいるさ。一人目はこの島の魔女こと堂島紫帆。二人目は教会にいるナナセ」
 ツバキは指を一本ずつ立てながら言った。紫帆の名前が出たのは予想できたことだ。アイハラの連絡先を教えてくれたのも彼女なのだから。しかし二人目については理由が全く分からない。
「罪人を裁く仕事を裏でしているだろ。もしも朝美医師の探す人が罪人であるという限られた可能性の話なら、彼が所有するリストに所在地が書かれていてもおかしくはない」
 なるほど、そういう手があるか。そういえば過去に私が彼らの仕事に同行した時、ナナセは書類らしきものを持参していた。
「そして三人目はあまりお勧めしないけれど……情報屋の花村さん」
「情報屋……。そんな職業の方がこの島に?」
 朝美医師にとっては初耳のようだった。
「ええ。そのような人物がいることは確かです。ここの近くの喫茶店サリアに彼は何度か来店している。人探しの情報なら沢山持っているでしょう」
 私が初めてこの島を訪れた夏の日、ツバキが案内した店である。そんなことも話していたっけと私の中に懐かしい気持ちが蘇った。あの日から既に二回、季節は変わったのだ。
「そうなんですか。それは知りませんでした」
 朝美医師はまだ喫茶サリアを訪れたことがないようだ。是非一度は行ってほしい。あそこは誰にでも勧められる快適な店だ。
「依頼しようという気持ちは変わりましたか」
 ツバキは穏やかに相手に尋ねた。心変わりを確認したのは、あくまでも朝美医師のためを思ってのことだろう。
 しかし依頼者は今日のことを取り止めにしようとはしなかった。眦を決して、彼は真正面から私と向かい合った。
「いいえ。それでもやはり、私はあなたにお願いしたいと思います」
 しかしすぐに朝美医師は、自分の膝元へ視線を移した。多少は分かっていたことだが、彼は思い切った行動を取る事が苦手なタイプのようだ。
「この間まで居候していた教会の方々を見て、私は決めたのです。私があなた方に見つかったあの日以降、ナナセさんが少し笑うようになったとガトーさん達が仰っていました。それはきっと、あなた方の協力のおかげだと思うんです。だから私はやはり、あなたにお願いしたい。たとえ私の望むような結果にならなかったとしても」
 ぽつりぽつりと朝美医師は告白した。教会にいる面々のその後を、私はこれまで詳しく聞いたことがなかった。あの無愛想なリーダーにそんな変化があったとは。
「……そうですか。でしたらお手伝い致します」
 ツバキはかなりの間を置いた後、ようやく口を開いた。
「しかし再三言うように僕達は一般人です。高望みな期待はしないでください」
「ええ、分かりました。結果はどうであれ、お礼は必ず致します」
 そして朝美医師は丁寧に頭を下げた。長めの白髪が、やはり実年齢にそぐわない気がする。
 と、ここで私はあることに気付き、小声でツバキに尋ねた。
「おい、本当に俺も関わって大丈夫なのか。大して役に立てる自信がない」
「いいじゃないか。僕も多少は手伝ってやるよ」
「『手伝ってやる』って、この人はお前を頼っているんだろう? 付き添いの俺はただのおまけだ」
 いい加減な物言いに、「不真面目な奴め」と私は口を尖らせる。しかし何故かツバキのほうが私よりも呆れ顔だった。
「サクマ……君は本当に分かってないんだな」
「何が?」
「もっと観察力を養いなよ。朝美医師に対してだけじゃない。元々はガトーが君に頼んだのが発端だろう」
「ああそうだ。それがどうかしたか?」
「推測だけれどね。君はあの赤毛の少年の話をまともに聞いてなかったのさ。……まあいい。それは依頼が終わった後で説明するよ」
 ツバキは「仕方がないなあ」と言って肩を竦めた。大袈裟なジェスチャーに一瞬腹が立つ。しかし微笑んだままの彼はすぐに姿勢を正すと、大きな灰色の瞳で私をそっと見つめた。「予定がないなら来てくれ」
 この時の私は不思議な気持ちでいた。私達はあくまでも赤の他人というスタンスで、これまでは奇妙な偶然によって行動を共にしてきた。次はない、次はないと互いに示し合わせて、アパートの廊下ですれ違う時も挨拶と最低限の話しかしていないつもりだった。そんな男から「来ても構わない」ではなく「来てくれ」と言われた。ちょっとした言葉の差異かもしれないが、それでも私にとっては大きな変化に感じられた。
 そして気付けば私は「分かった」とツバキに了承していた。今日の優先事項である物書きの依頼は今朝方終えたばかりだ。仕事終わりに多少は羽を伸ばしてもいいだろうと、私は楽観的に考えた。
 そして私が頷いたのを彼はどう捉えたのだろうか、ツバキはそれを横目に朝美医師に言った。
「それでは説明をお願いします。あなたが見つけてほしいというのは、いったいどんな方ですか」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み