第2話 特別な相手

文字数 1,828文字

天翔楼(てんしょうろう)』の二階へつづく階段を、セキレイはアオバラの腰をとって上に向かう。
 二階にある最上級の部屋が、アオバラ太夫(だゆう)の部屋だ。
 彼は客であるセキレイのことを、セキレイ様、とは呼ばない。先ほどのように呼び捨てで呼んでいた。
 それは、ほかならぬセキレイの望みだったから。
 ここは遊郭。
 相応のお金を払えば一夜の望みは思うまま。

 部屋の中は、二間になっている。奥が寝室、手前が応接室のようなもの。
 そこでアオバラは酒をうつわに注ぎながらセキレイに話しかけた。

「すいぶんここに来てなかったね」

 とぽとぽと酒が小さな器になみなみと満たされる。

「待ちくたびれちゃったよ。そんなに大変な仕事だったんだ」
「ああ。今までで一番大事な仕事だな」
「難しいことは分からないけど、今日はここに来て正解みたいね。目の下に隈ができてる」

 アオバラはほほ笑んでセキレイへ酒の入った器を差し出した。
 セキレイはそれを飲み干すと、ふっと息を吐く。
 火酒が胃の腑をかっと焼く。

 アオバラは細くて整えられた指で、セキレイの顔の隈をなぞった。

「こんなになるまでこき使うなんて、セキレイの上司は横暴だね」

 上司、と聞いてハヤブサを思い出してしまったセキレイは、目の前の彼にそっくりなアオバラに情欲がわいた。

「俺の上司は聡明で賢くて優しい方だよ。俺が勝手に仕事を完璧に仕上げたんだ」
「……良く判らないけど、セキレイはいい部下なんだね」
「まあな」

 そこまで言葉を交わすと、セキレイは彼の顔を両手で覆う。
 程よく身体に効いてきた火酒が、彼を酔わせていた。

 そして、とても優しい口づけをアオバラに贈る。
 
 いや――本当は、アオバラを通して、決して想いが報われぬ人へと向けて。
 想いのたけを込めた口づけ。

 初めてアオバラを見たとき、彼は豪奢な着物を着て店の外の格子の中に座っていた。
 滝のような腰までの金髪、青い目、すべらかな肌、そして整った顔立ち。
 その顔は、セキレイが幼いころから良く知る人の風貌にそっくりだった。
 
 なぜ、あの方がここに。

 初めはそう思った。
 ここは遊郭。あの方がここにいるわけがない。ましてや傾城(けいせい)として。
 しかし、傾城なら、お金で一夜を買えるのではないか。
 あの傾城を。
 
 セキレイはだんだん胸が高鳴っていくのを感じた。

 ずっと、ずっと好きだった。
 しかし、決して指を触れてはいけない相手だった。
 その方を――似ている人だが思う存分抱ける。

 セキレイは、その格子にいた傾城、アオバラをそれからずっと買い続けた。



 セキレイの口づけは、いつも優しい。
 想いのたけが伝わってくるような。
 それはアオバラがセキレイと会った当初から、ずっと変わらない。

 だから、アオバラはすぐに分かった。

 自分はこの人の想い人の代わりなのだと。
 セキレイの指は優しくて甘い。
 肌を撫でられるそれだけのしぐさでも、指先から想いが身体に入ってくるようだ。

 本物はよほど大事な相手なのだろう。

 初めての夜、アオバラはそれが分かったとき、セキレイを突き飛ばそうかと思った。
 なによりもセキレイの想いの重さが、身代わりにされているアオバラの心を傷つけた。 
 乱暴に抱かれたならばまだ我慢できた。そんな客はたくさんいるから。
 でも、今まで経験したことのない泣きたくなるような優しい愛撫が、自分ではない別の人に向けてのものだという事が、アオバラの自尊心を傷つけた。

 太夫(だゆう)であるアオバラには、ある程度客を選ぶ自由がある。
 
『天翔楼』の頭に、あの客は嫌だ、と言えばそれで済むことだ。
 しかし、セキレイが帰ったあと、彼に抱かれたアオバラはセキレイが気の毒に思えた。

 あの人は、決して手に入らない人を好きになった人なんだ。
 だから、俺を抱くんだ。
 きっと俺とあの人の想い人は、とても似ているんだろう。

 そう思うと、何故かセキレイに対して優しい気持ちが湧いて来て、無碍にできなかった。

 セキレイは次の日も『天翔楼』へアオバラを買いに来た。
 アオバラは笑顔で彼を迎えた。

 ゆるく繋がれた手が、お互いの心を探るように撫で合う。
 アオバラにとって、セキレイは上客の一人。
 でも、とても特別な相手だった。

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登場人物紹介

主人公【セキレイ】

陽明国の王太子ハヤブサに仕える侍従。

剣術にもすぐれている。


【ハヤブサ】

陽明国の王太子。セキレイが仕える人で幼馴染。

セキレイが焦がれてやまない人。

しかし、王族なのでセキレイには決して手に入らない。

【アオバラ(コトリ)】

陽明国城下町にある遊郭『天翔楼』の一番の売れっ子太夫。

容姿が王太子ハヤブサにとても似ている。

そのためにセキレイに気に入られ、数奇な運命をたどることになる。

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