第9話 ダンスの練習
文字数 2,292文字
コトリの身代わり生活は始まった。
まず、一般的な作法を一日でセキレイに叩きこまれ、その日は疲労困憊した。
散々怒られながら大体の作法を頭に入れたコトリは、歩き方だけはとてもいいとセキレイに褒められて少し嬉しかった。
「明日はダンスの練習をしよう。宴は一週間後だ。それまでに習得してしまおう。なに、コトリは歩き方がとても綺麗だし、小さいころから舞踊をやっていたならすぐに踊れるようになるさ」
「ダンスって男役と女役がいるんだろ」
素朴な質問をしたコトリにセキレイは「ああ」と返事をする。
「俺が女の子と踊るために訓練するなら、セキレイが女役で踊ってくれるのか?」
「……」
あまり考えていなかったが、教師を見つけないとそういうことになる。
しかし、コトリがダンスを踊れないという事実は公にはできないことだった。
コトリはハヤブサの身代わりなのだから。
「……俺が……女役で教えてやる」
「そうか。良かった」
セキレイの返事にコトリはにこやかに笑った。
まったく知らない相手に教えてもらいながら踊るより、気心の知れた相手の方が気楽だと思ったから。
「まず、こう手を握って、相手の女性の腰をこうやってとる。やってみろ」
練習用ダンスホールで、実践でコトリ相手にセキレイは教える。コトリよりも身体の大きいセキレイの腰をとる、というのも体勢的にわりと大変だった。
「それで、ターンしたり、まわったり、型があるからちょっと見てろ」
セキレイが男役の型を踊って見せると、コトリはすぐにそれを覚えた。
「ああ、なるほどね」
それをセキレイ相手に実践する。多少の間違いはあったが、コトリは覚えが早い。
「作法を教えたときも思ったが、コトリは頭がいいな」
「まあね。大体のことは覚えるのは早いよ。そうでなきゃ、太夫にはなれないよ」
「そうか」
男二人でダンスを踊る。
一通り通して踊ったところで、椅子に座って水を飲む。
この水はセキレイが自分で井戸から汲んできた水だ。
「ああ、うまい」
「うん、おいしいな!」
二人でしばしの休憩。汗をかいた後の水は、何よりも美味しかった。
「なあ、セキレイ。今度は俺が女役になるからそれで踊ってみようよ」
「え? コトリには女役の型を教えてないだろ」
「セキレイのを見てたら、覚えた。だから踊ろう!」
コトリはセキレイの手を引いて、またホールの中央へと舞い戻る。
「手はこう握るんだろう?」
しなやかな手がセキレイの手を包む。
セキレイはコトリに連れられて一緒にホールの中で舞う。
コトリははしゃいでセキレイとのダンスを楽しんでいた。
セキレイも楽しそうなコトリを見て、自然に笑顔になる。
「ダンスって楽しいな」
コトリが言うと、セキレイは困った顔をした。
「実は俺はダンスが苦手だ。相手の足をふみそうになる」
「俺はまだ一度も踏まれてないけど? 相手がヘタなんじゃないか?」
笑顔でダンスを楽しむコトリは、ハヤブサとは全く違う魅力を放っていた。
ハヤブサはこんな風にセキレイとダンスなんてしないし、無邪気な顔を見せることもしない。
自分のことを俺とは言わないし、なによりもコトリといるのは気が休まる。
セキレイは苦手なはずのダンスでも自然に笑顔になって、コトリとの雰囲気に心が安らぎ、名状しがたい不思議な気持ちになった。
ダンスの練習が終わり、ホールから出ると、黒髪の気の強そうな少女が外にいた。コトリと目があうと、きろりと睨 んでくる。
赤い花柄の振袖を着た、冷たい視線を送って来る少女。
その少女の目はとても冷酷で、コトリは背筋がぞっとした。
コトリがセキレイを見あげると、彼も緊張しているようだった。
「こんにちは、アオイ様。貴女もダンスの練習ですか?」
そう聞いたセキレイにアオイと呼ばれた少女は冷たい視線を彼に向けた。
「この恰好でダンスが踊れるわけがないでしょう」
そして、その視線をコトリへと向ける。
「見てましてよ。セキレイと随分と仲がよろしいのですね。聞けばあなたは男の身で娼妓だったとか。その顔で男をたぶらかすのはやめて欲しいですわね」
「アオイ様! それはあまりにも彼に失礼です!」
あまりの言葉にセキレイが厳しい大声を出した。
「本当のことでしょう?」
変わらない冷たい視線でアオイはコトリを射抜く。
「……ええ。お姫様には理解しがたい世界だと思います。なので、俺には関わらず、無視してくださってかまいません」
コトリは怒ったりせずに、まじめな態度でアオイに接した。
「なので、これで失礼させていただきます」
あっけに取られたのはセキレイだった。
てっきり激怒して怒鳴るかと思いきや、コトリは冷静だった。
「コトリ……」
小さく声を掛けたセキレイにコトリは苦笑する。
「あれくらいで怒ってたら太夫なんてやってられないって」
アオイが見えない場所までくると、コトリは肩をすくめた。
「あの女の子、すっげー怖い。どこのお姫様?」
「ああ……。あの方は公爵家の令嬢で、ハヤブサ様の結婚相手の第一候補、実質上の婚約者だ」
「結婚相手……」
セキレイの気持ちを考えて、コトリは言葉が詰まった。
あの気の強い少女が、セキレイの大事なハヤブサを奪ってしまう相手なのだ。
「俺、あのお姫様、苦手だ」
「実は俺もだ」
二人は顔をそろえて、苦笑した。
まず、一般的な作法を一日でセキレイに叩きこまれ、その日は疲労困憊した。
散々怒られながら大体の作法を頭に入れたコトリは、歩き方だけはとてもいいとセキレイに褒められて少し嬉しかった。
「明日はダンスの練習をしよう。宴は一週間後だ。それまでに習得してしまおう。なに、コトリは歩き方がとても綺麗だし、小さいころから舞踊をやっていたならすぐに踊れるようになるさ」
「ダンスって男役と女役がいるんだろ」
素朴な質問をしたコトリにセキレイは「ああ」と返事をする。
「俺が女の子と踊るために訓練するなら、セキレイが女役で踊ってくれるのか?」
「……」
あまり考えていなかったが、教師を見つけないとそういうことになる。
しかし、コトリがダンスを踊れないという事実は公にはできないことだった。
コトリはハヤブサの身代わりなのだから。
「……俺が……女役で教えてやる」
「そうか。良かった」
セキレイの返事にコトリはにこやかに笑った。
まったく知らない相手に教えてもらいながら踊るより、気心の知れた相手の方が気楽だと思ったから。
「まず、こう手を握って、相手の女性の腰をこうやってとる。やってみろ」
練習用ダンスホールで、実践でコトリ相手にセキレイは教える。コトリよりも身体の大きいセキレイの腰をとる、というのも体勢的にわりと大変だった。
「それで、ターンしたり、まわったり、型があるからちょっと見てろ」
セキレイが男役の型を踊って見せると、コトリはすぐにそれを覚えた。
「ああ、なるほどね」
それをセキレイ相手に実践する。多少の間違いはあったが、コトリは覚えが早い。
「作法を教えたときも思ったが、コトリは頭がいいな」
「まあね。大体のことは覚えるのは早いよ。そうでなきゃ、太夫にはなれないよ」
「そうか」
男二人でダンスを踊る。
一通り通して踊ったところで、椅子に座って水を飲む。
この水はセキレイが自分で井戸から汲んできた水だ。
「ああ、うまい」
「うん、おいしいな!」
二人でしばしの休憩。汗をかいた後の水は、何よりも美味しかった。
「なあ、セキレイ。今度は俺が女役になるからそれで踊ってみようよ」
「え? コトリには女役の型を教えてないだろ」
「セキレイのを見てたら、覚えた。だから踊ろう!」
コトリはセキレイの手を引いて、またホールの中央へと舞い戻る。
「手はこう握るんだろう?」
しなやかな手がセキレイの手を包む。
セキレイはコトリに連れられて一緒にホールの中で舞う。
コトリははしゃいでセキレイとのダンスを楽しんでいた。
セキレイも楽しそうなコトリを見て、自然に笑顔になる。
「ダンスって楽しいな」
コトリが言うと、セキレイは困った顔をした。
「実は俺はダンスが苦手だ。相手の足をふみそうになる」
「俺はまだ一度も踏まれてないけど? 相手がヘタなんじゃないか?」
笑顔でダンスを楽しむコトリは、ハヤブサとは全く違う魅力を放っていた。
ハヤブサはこんな風にセキレイとダンスなんてしないし、無邪気な顔を見せることもしない。
自分のことを俺とは言わないし、なによりもコトリといるのは気が休まる。
セキレイは苦手なはずのダンスでも自然に笑顔になって、コトリとの雰囲気に心が安らぎ、名状しがたい不思議な気持ちになった。
ダンスの練習が終わり、ホールから出ると、黒髪の気の強そうな少女が外にいた。コトリと目があうと、きろりと
赤い花柄の振袖を着た、冷たい視線を送って来る少女。
その少女の目はとても冷酷で、コトリは背筋がぞっとした。
コトリがセキレイを見あげると、彼も緊張しているようだった。
「こんにちは、アオイ様。貴女もダンスの練習ですか?」
そう聞いたセキレイにアオイと呼ばれた少女は冷たい視線を彼に向けた。
「この恰好でダンスが踊れるわけがないでしょう」
そして、その視線をコトリへと向ける。
「見てましてよ。セキレイと随分と仲がよろしいのですね。聞けばあなたは男の身で娼妓だったとか。その顔で男をたぶらかすのはやめて欲しいですわね」
「アオイ様! それはあまりにも彼に失礼です!」
あまりの言葉にセキレイが厳しい大声を出した。
「本当のことでしょう?」
変わらない冷たい視線でアオイはコトリを射抜く。
「……ええ。お姫様には理解しがたい世界だと思います。なので、俺には関わらず、無視してくださってかまいません」
コトリは怒ったりせずに、まじめな態度でアオイに接した。
「なので、これで失礼させていただきます」
あっけに取られたのはセキレイだった。
てっきり激怒して怒鳴るかと思いきや、コトリは冷静だった。
「コトリ……」
小さく声を掛けたセキレイにコトリは苦笑する。
「あれくらいで怒ってたら太夫なんてやってられないって」
アオイが見えない場所までくると、コトリは肩をすくめた。
「あの女の子、すっげー怖い。どこのお姫様?」
「ああ……。あの方は公爵家の令嬢で、ハヤブサ様の結婚相手の第一候補、実質上の婚約者だ」
「結婚相手……」
セキレイの気持ちを考えて、コトリは言葉が詰まった。
あの気の強い少女が、セキレイの大事なハヤブサを奪ってしまう相手なのだ。
「俺、あのお姫様、苦手だ」
「実は俺もだ」
二人は顔をそろえて、苦笑した。