第7話 コトリ
文字数 2,916文字
アオバラを伴 って、セキレイは天翔楼の外に停めてあった馬車に乗り込む。
向かい合って座って余裕があるくらい広い馬車だった。
「荷物はそれだけなのか?」
「ああ。特に大切なものもなかったし」
アオバラの荷物は片手で抱えられるほどの風呂敷つづみ一つだった。
「俺、こんな豪華な馬車に乗るの、初めてだ」
「そうか。これからは良く乗ることになるだろう」
きょろきょろと馬車の中を見るアオバラが、セキレイには少し可愛く思えた。
夜に会うときは、ともすればセキレイよりもずっと大人の雰囲気を漂わせているアオバラだが、昼間は自分と同じ年相応の青年に見えた。以前アオバラの歳を聞いたとき、セキレイよりも一つ年下だった。セキレイと大して歳は変わらない。
「なあ、アオバラ」
「なに?」
「城でアオバラ、と呼ぶのは気が引ける。それは源氏名なのだろう? 本当の名前を教えてくれないか?」
「……本当の名……?」
アオバラはもう何年も呼ばれていなかった本名を思い出し、くすぐったい気分になる。
「コトリ」
「コトリか。いい名前じゃないか」
にこりとほほ笑まれて、顔が赤くなるのがわかる。何年振りにコトリと呼ばれただろうか。
照れくさくて、面映ゆくて、アオバラの顔はどんどんと熱を持っていく。
セキレイはアオバラの心のみぞに、いつも足跡を残していく。
他の客とは明らかに違う、忘れられないような優しい愛撫や口づけも。
自分の身体に愛を教えてくれたセキレイが、アオバラは好きだった。
それが自分に向けられたものではないと分かっていても。
彼に抱かれると、泣きたくなるほど悲しくて、幸せだった。
そして、本当の名前を呼んでくれた、今も。
「なんだ、照れてるのか?」
「べつに!」
「ならばこれからはコトリと呼ばせてもらう」
「ああ」
赤い顔をかくすようにコトリは横を向く。
「アオバラという源氏名も捨てがたいがな」
セキレイがにこやかに言うと、コトリはセキレイを見た。
「その名前は天翔楼の頭がつけてくれた。俺が水揚げされるときに。青いバラって自然界にないんだ。だから、この世にないくらい美しい花になれって、そういう意味」
「そうか。名前の通りになったな」
コトリはまた赤くなると、窓に視線を移して黙り込んだ。
その様子を見て、セキレイも馬車の窓から外を眺めた。
そうこうしている内に、馬車は城へつく。
木でできた荘厳な門を超えて、城の敷地内部へ入ると、王太子宮の入口の前で馬車は停まった。
王太子宮の会議の間 には、ハヤブサや大臣、近衛隊長などがそろってコトリを待っていた。コトリがどんな人物なのか確かめておかないと、今後に支障がでるからだ。
セキレイに連れられて会議の間に入ると、二十人ほどの目がコトリを射た。
それは、セキレイがコトリに向ける目とは、明らかに違っていた。
少なくともセキレイはコトリをきちんと人間扱いしている。
けれど、ここにいる大臣たちは、コトリを人格のある一人の人間としては見ていない目付きだった。
「よく連れてきてくれた、セキレイ。そちらがアオバラ太夫か」
一番さきに声をかけてくれたのは、コトリと同じ姿の青年。
この人の目はまだ他の人の目よりもマシだった。
きっと、この方がハヤブサ殿下だろうとコトリは察しをつけた。
「はい、この者がアオバラ、本名をコトリといいます。コトリ、ハヤブサ殿下に挨拶を」
セキレイに促されてコトリはハヤブサに頭をさげる。
「……コトリです」
それだけしか、言えなかった。
よろしくお願いします、も、お世話になります、も何か違う。
コトリはこの人物の代わりに死ぬのかもしれないのだから。
ハヤブサに頭を下げると、金の髪がさらさらとコトリの身体の前へと流れた。
大臣の一人が感嘆の声をあげる。
「まことにハヤブサ殿下にそっくりでございますな」
「これなら敵の目もあざむけよう」
口々にそう語るのが聞こえてくる。
コトリはうつむきそうになるのを堪えて、前を向いた。
希代の傾城であるアオバラゆえの度胸だった。
「ではコトリ。これから犯人がつかまるまで、よろしく頼む。頼りにしている」
ハヤブサにそう言われ、コトリは「はい」と軽く頷いた。
ここはセキレイの執務室。
陽の落ちた畳敷きの部屋には薄茶色のカーテンがひかれ、窓辺には大きな執務用の卓と椅子があった。その横の台には水差しが。応接のためのテーブルとソファもある。
コトリはそのソファに腰をかけて背もたれにぐったりと凭 れた。
セキレイがコトリを気遣って水差しから器に水を注いで彼に差しだす。
「疲れたか?」
「ああ、すごく、ね」
ぐったりとしてセキレイの出した水をいっきに煽る。
「酒が飲みたい。強いやつ」
「やめておけ。いつ何時 狙われるかわからんからな。それと、水も俺が持ってきたもの以外は飲むな」
「はあ?」
コトリは首を傾げてセキレイを見た。
「なんで?」
「毒がはいっているかもしれない」
それを聞いて、また一気にコトリは疲れた。
「もう寝たい。本当に疲れた」
「もう少し待て。身代わりは今日からだからな。今日からは王太子宮の寝室でお前は寝ることになるんだ。仕度 が整うまでここで待機だ」
「仕度って?」
「着替えるんだ。ハヤブサ様の服に」
コトリはもう一度盛大に溜息をついた。
しばらくすると、白い着物を持った城のメイドがやってきた。
セキレイがそれを受け取る。
「着替えを手伝ってやる」
「いいよ、ただの寝間着だろ?」
「いいから」
セキレイは手早くコトリにハヤブサが普段来ている寝間着を着つけた。
侍従だけあって、白い着物は綺麗に着せられ、コトリには窮屈に感じられる。
「ちょっときついかな」
そう言ってセキレイを見上げたコトリがあまりにハヤブサに似ていて。
セキレイは真顔でじっとコトリを見つめてしまった。
「セキレイ?」
そう聞くコトリの声は、普段なら聞き間違えることなどないのに、ハヤブサの声に聞こえてきて。
セキレイは衝動でコトリの唇を奪った。
「ん……」
コトリの鼻から抜ける息が、またセキレイの情欲に火をつける。
一度でいいからハヤブサに口づけたかった。願いが叶ったような錯覚。
甘く苦い口づけをしながら、コトリをきつく抱きしめる。
舌を絡めて唇を味わうと、少し身体を離して小さく謝った。
「すまん」
コトリは哀れなものを見る目でセキレイの瞳を見ていた。
「セキレイは……本当にハヤブサ殿下が好きなんだね……」
息が詰まる。泣きたくなるような優しい声だった。
「ああ」
ハヤブサの姿をしたコトリをまた抱きしめて、セキレイはふいにこみあげてきた涙をこらえる。
コトリもセキレイの背に手をまわし、それを泣きたくなるような想いで受けとめていた。
向かい合って座って余裕があるくらい広い馬車だった。
「荷物はそれだけなのか?」
「ああ。特に大切なものもなかったし」
アオバラの荷物は片手で抱えられるほどの風呂敷つづみ一つだった。
「俺、こんな豪華な馬車に乗るの、初めてだ」
「そうか。これからは良く乗ることになるだろう」
きょろきょろと馬車の中を見るアオバラが、セキレイには少し可愛く思えた。
夜に会うときは、ともすればセキレイよりもずっと大人の雰囲気を漂わせているアオバラだが、昼間は自分と同じ年相応の青年に見えた。以前アオバラの歳を聞いたとき、セキレイよりも一つ年下だった。セキレイと大して歳は変わらない。
「なあ、アオバラ」
「なに?」
「城でアオバラ、と呼ぶのは気が引ける。それは源氏名なのだろう? 本当の名前を教えてくれないか?」
「……本当の名……?」
アオバラはもう何年も呼ばれていなかった本名を思い出し、くすぐったい気分になる。
「コトリ」
「コトリか。いい名前じゃないか」
にこりとほほ笑まれて、顔が赤くなるのがわかる。何年振りにコトリと呼ばれただろうか。
照れくさくて、面映ゆくて、アオバラの顔はどんどんと熱を持っていく。
セキレイはアオバラの心のみぞに、いつも足跡を残していく。
他の客とは明らかに違う、忘れられないような優しい愛撫や口づけも。
自分の身体に愛を教えてくれたセキレイが、アオバラは好きだった。
それが自分に向けられたものではないと分かっていても。
彼に抱かれると、泣きたくなるほど悲しくて、幸せだった。
そして、本当の名前を呼んでくれた、今も。
「なんだ、照れてるのか?」
「べつに!」
「ならばこれからはコトリと呼ばせてもらう」
「ああ」
赤い顔をかくすようにコトリは横を向く。
「アオバラという源氏名も捨てがたいがな」
セキレイがにこやかに言うと、コトリはセキレイを見た。
「その名前は天翔楼の頭がつけてくれた。俺が水揚げされるときに。青いバラって自然界にないんだ。だから、この世にないくらい美しい花になれって、そういう意味」
「そうか。名前の通りになったな」
コトリはまた赤くなると、窓に視線を移して黙り込んだ。
その様子を見て、セキレイも馬車の窓から外を眺めた。
そうこうしている内に、馬車は城へつく。
木でできた荘厳な門を超えて、城の敷地内部へ入ると、王太子宮の入口の前で馬車は停まった。
王太子宮の会議の
セキレイに連れられて会議の間に入ると、二十人ほどの目がコトリを射た。
それは、セキレイがコトリに向ける目とは、明らかに違っていた。
少なくともセキレイはコトリをきちんと人間扱いしている。
けれど、ここにいる大臣たちは、コトリを人格のある一人の人間としては見ていない目付きだった。
「よく連れてきてくれた、セキレイ。そちらがアオバラ太夫か」
一番さきに声をかけてくれたのは、コトリと同じ姿の青年。
この人の目はまだ他の人の目よりもマシだった。
きっと、この方がハヤブサ殿下だろうとコトリは察しをつけた。
「はい、この者がアオバラ、本名をコトリといいます。コトリ、ハヤブサ殿下に挨拶を」
セキレイに促されてコトリはハヤブサに頭をさげる。
「……コトリです」
それだけしか、言えなかった。
よろしくお願いします、も、お世話になります、も何か違う。
コトリはこの人物の代わりに死ぬのかもしれないのだから。
ハヤブサに頭を下げると、金の髪がさらさらとコトリの身体の前へと流れた。
大臣の一人が感嘆の声をあげる。
「まことにハヤブサ殿下にそっくりでございますな」
「これなら敵の目もあざむけよう」
口々にそう語るのが聞こえてくる。
コトリはうつむきそうになるのを堪えて、前を向いた。
希代の傾城であるアオバラゆえの度胸だった。
「ではコトリ。これから犯人がつかまるまで、よろしく頼む。頼りにしている」
ハヤブサにそう言われ、コトリは「はい」と軽く頷いた。
ここはセキレイの執務室。
陽の落ちた畳敷きの部屋には薄茶色のカーテンがひかれ、窓辺には大きな執務用の卓と椅子があった。その横の台には水差しが。応接のためのテーブルとソファもある。
コトリはそのソファに腰をかけて背もたれにぐったりと
セキレイがコトリを気遣って水差しから器に水を注いで彼に差しだす。
「疲れたか?」
「ああ、すごく、ね」
ぐったりとしてセキレイの出した水をいっきに煽る。
「酒が飲みたい。強いやつ」
「やめておけ。いつ
「はあ?」
コトリは首を傾げてセキレイを見た。
「なんで?」
「毒がはいっているかもしれない」
それを聞いて、また一気にコトリは疲れた。
「もう寝たい。本当に疲れた」
「もう少し待て。身代わりは今日からだからな。今日からは王太子宮の寝室でお前は寝ることになるんだ。
「仕度って?」
「着替えるんだ。ハヤブサ様の服に」
コトリはもう一度盛大に溜息をついた。
しばらくすると、白い着物を持った城のメイドがやってきた。
セキレイがそれを受け取る。
「着替えを手伝ってやる」
「いいよ、ただの寝間着だろ?」
「いいから」
セキレイは手早くコトリにハヤブサが普段来ている寝間着を着つけた。
侍従だけあって、白い着物は綺麗に着せられ、コトリには窮屈に感じられる。
「ちょっときついかな」
そう言ってセキレイを見上げたコトリがあまりにハヤブサに似ていて。
セキレイは真顔でじっとコトリを見つめてしまった。
「セキレイ?」
そう聞くコトリの声は、普段なら聞き間違えることなどないのに、ハヤブサの声に聞こえてきて。
セキレイは衝動でコトリの唇を奪った。
「ん……」
コトリの鼻から抜ける息が、またセキレイの情欲に火をつける。
一度でいいからハヤブサに口づけたかった。願いが叶ったような錯覚。
甘く苦い口づけをしながら、コトリをきつく抱きしめる。
舌を絡めて唇を味わうと、少し身体を離して小さく謝った。
「すまん」
コトリは哀れなものを見る目でセキレイの瞳を見ていた。
「セキレイは……本当にハヤブサ殿下が好きなんだね……」
息が詰まる。泣きたくなるような優しい声だった。
「ああ」
ハヤブサの姿をしたコトリをまた抱きしめて、セキレイはふいにこみあげてきた涙をこらえる。
コトリもセキレイの背に手をまわし、それを泣きたくなるような想いで受けとめていた。