リポグラム(は)

文字数 2,507文字

※リポグラムとは、特定の文字を含む語を使わずに作る文章のこと。
※「は」という文字を一切使わずに書いています。


 困っている。
 ユカに相当手を焼かされているのだ。

 あの子が新宿駅に足を踏み下ろす、午前7時23分のプラットフォーム。
 通勤客でごった返している中、緑のラインが入った鉄の塊が到着するとこれまた人々の波がどっと押し寄せてきた。洪水だ。
 そのなかでも目立ってやまない、あの身長175cmの女が野之木ユカだ。
 淡いピンク色のスーツ、手に提げているブランドもののトート。ゆるくカールさせた茶の髪を、そつなく耳にかける仕草。
 キリリとした細い目。
 対照的にふっくらとした唇。
 ……根岸くんが落ちるワケだ。

「あれっ、サクラ?」
「ユカ! おー…」
 プシウー、という金属音にかき消され、朝の挨拶が滑るように逃げていった。正直、一秒一瞬たりとも一緒にいたくない。けど、断れなかった自分の責任だ。

「ごめんユカ、時間ある?」
「ええっ、ムリムリ。サクラだってツーキントチューじゃん」
 改札を出た後、歩調をユカに合わせた。

「だったら会社終わった後。ねっ、お願い! 相談したいの」
「んー……」

 ほっぺに指をあてて可愛らしく唇をとがらせる彼女に、ベストのタイミングで「今見つけました」とばかりに声をあげる。
「あっ、ねえそれもしかして――新色?」

 大丈夫、絶対喰いついてくる。
「わかった? これラムクェールの新色ピンク。さっすがサクラ! うん、いいよ。5時ー…半に銀の鈴でいい?」
「OK。じゃ、私キオスク寄るから」
「うん、あとでねー!」
 ブンブンと手を大きく振り人込みに消えたユカに向かって、思いっきり舌を出した。

 キョウコの頼みじゃなきゃ、誰が!

 ユカの「今月の恋人」が根岸くんだと分かったとき、同じ課のキョウコが私を化粧室に連れて行った。
 薄いすり硝子の扉が閉まったと同時に泣きだすキョウコ。
 ……根岸くんとの秘密の社内恋愛があいつにブチ壊されそう……先輩、ユカ先輩と同窓生なんでしょ? ……なんとかして今月の恋人をやめさせて下さい……お願いします……。
 根岸くん、3日ともたずアッサリとユカの手に落ちてしまって、今じゃあ奴隷のようにユカにベッタベタ。
 根性ナシ!
 けど、根性だけじゃどうにもならない。
 ユカのテクニック、私が一番よく知っているもの。

 5時のチャイムが鳴ると同時に、急いで書類をトントン揃え、ファイリングして席を立った。っと、バッグバッグ、忘れてた。
 ユカが狙う男って、確実に彼女持ち。
 大学の飲み会で彼女が言ってた事、今でも鮮明に覚えている。
 細く光る金のブレスレットをゆらして、青いグラスのふちにツウっと指をすべらせながらこう言ったのだ。
 ――だってぇ、カノジョ持ちだとなびかないしぃー、安心ジャン?

「ウソつきぃ!」

 立ち上がったユカがいきなり叫ぶから、銀の鈴でうろうろしていた誰もが驚いてこちらを見た。焦りながらユカに近づく。
「もっ……もう、ユカぁ、キツいって」
「キツくないっ! こんな待たしてぇー…、今日サクラのおごりだかんね!」
 結局廊下で課長の雑用を押しつけられて、今もう6時。ユカを待たせて機嫌損ねるなんて幸先悪い……心の中で盛大に舌打ちした私の腕を、ユカがふわっと持ち上げた。
「行こ? 有楽町でしょ? それとも目黒にする?」
 歩きだす、彼女の顔にもう怒りなんてない。ニッコニコして楽しそう……良かった……、って、違う! 騙されないで私。これもユカのテクニックのひとつなんだから。
 自由気ままな小悪魔を、演出しているだけなんだから!

 目黒通りの、ちょっと坂をのぼった所にある店SAMAに腰を落ち着ける。
 ドリンクがきたあとで切り出してみると、ユカったら案の定、根岸くんとキョウコの関係を知っていた。

「ヒミツの社内レンアイって! ウケるわー。皆知ってるって」
「あのねえ……。知ってるなら自重しなさい、してください」

「やだサクラ、マジになんないでよぉ。いつも通り今月で終わるって。あ、エビのアヒージョと具だくさんオムレツ来たよぉ」
 何であと25日も待たなきゃいけないの。と、言いかけた口に、アツアツのエビが飛び込んできた。
「ん、あっふ! ふぁっ!」

「くふふっ、サクラちょーウケるぅ!」
「ユハぁ!」

「オムレツ分けるね。小皿取って。あ、ちょっと崩れちゃった。まーいいよね。ねーエビ美味しい?」
「………」

「あれ、サクラ怒った……? ちがうの、待たせた罰なんだもん……」
「………、美味しい……」

「ホント?」
「なにこれめっちゃくちゃウマいんだけど! 熱いけどユカも食べなよ。すいませーん、えーっと、あ、ジントニック」

「あっ、レッドアイもお願い。あとさ、これ頼んでみない?」
 どれもこれも美味しくて、ユカと料理を褒めまくった。食事が一段落するまで、当初の目的をすっかり忘れていた位に。

「遊んでるよねー私。そう見えるよね……」
 背もたれに、気だるく身体を預けるユカ。カラン、と氷が鳴る。

 朝、あれほど毛嫌いしておきながら、こうしてユカと居るとすっかり彼女のペースで、男の子たちがどんどんユカになびいていくのを、見下しつつも羨ましくて……。
 でも、もよくわかる。
 ユカと居ると、世界が急にキラキラしてきて、息苦しいよ、クラクラ、酔ってるのかな、私。
「ユカ、やめなよ。もう……」
「なんで? 今月終わったらどうせモトサヤだよ。それにさ、ネギシーって……、うーん。じゃあ、サクラがそこまで言うなら、」

 根岸くん、ユカの恋人指名が終わってもキョウコとモトサヤにならなかった。
 元々、キョウコ以外にも遊んでいる子が何人もいたみたい。
 化粧室で泣きだしたキョウコの肩を叩きながら、また、脳内に、大学時代のユカが浮かんでくる。
 ブレスレットが、音をたてる。

 ――安心ジャン? それに私、サクラのヤキモキした顔大好きだしぃ。

「先輩、私……私っ、ユカ先輩にヒトコト言ってやりたい……! ついてきてくれますよね?!」
 ユカに手を焼かされているというか、ユカのせいにしたいだけで、私こそ問題なんだと最近よく思う。

 たぶん、私、これも断りきれない。
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