幸せファクトリー
文字数 2,536文字
茂木は不幸であった。
生まれた時から不幸であった。
親からは虐待を受け、小中高ではいじめられ、不良どものパシリとして学生生活を過ごした。茂木自身もいつしか環境に染められ、高校卒業してからの数年、犯罪組織の末端として活動した。
しかし、大規模な検挙に逮捕。懲役3年を言い渡された。
それから2年後。
ある晴れた日。
模範囚として刑期を短く終えた茂木は久々に外の空気を吸った。門の外に出たはいいものの、迎えなどは一切ない。
ポケットには、作業所で働いたぶんの数万円だけが入っている。
茂木はため息をついた。
これでは、数日後に金が尽きてしまう。そうなると、食い逃げや強盗など目立つ犯罪行為をしてもう一度捕まった方が、まともな飯にありつけるだろう……再犯罪が減らないわけだ。茂木は自嘲し、自分の右手を見た。
握っていたのは、最後に話した刑務所なんたらかんたら補佐という男が寄越した、再就職ガイドブックである。
――これを機に、人生そのものをやり直してみないか――?
男の熱っぽい口調が思い出される。
茂木はひとまず駅に向かい、裏路地のさびれた個人食堂に入った。
ラーメンを食べ終わると、ガイドブックを開く。
中には、経歴不問の住み込み仕事が山ほど紹介されていた。住み込みだけに、工事現場の土方仕事が多い。その他、夜間の施設清掃・女性限定の寮付き事務仕事・プラカードを持って交差点に立っているだけの仕事、などなど。場所は全国津々浦々。これなら、まったく誰も知らない県に行けば、本当に人生をやり直せるかも知れない。
めくる手を止め、慎重に読み進めようとした矢先。
唐突に表れた「幸せ」という一文に茂木はドキリとした。
『幸せを製造販売しております。24hシフト制。ベッドは工場内併設。美味しいご飯3食付き。アットホームな職場です。』
事前連絡や履歴書は不要。面接は24hいつでも可能……。
茂木は工場の所在地を確認した。
2県ほどまたいだ場所にあるが、今から新幹線で行けば夕暮れまでには最寄り駅に着く。そこからタクシーに乗れば、手持ちの金でも十分に行ける場所である。
……幸せ…。
口の中でその言葉をくり返し、茂木はポケットの中の札を握りしめた。
面接はあっさりと終わった。
採用である。
Bラインリーダーと名乗る男に案内され、工場内の奥へと進む。ガイドブックに書かれていた「ベッドは工場内併設」という言葉に偽りはなく、工場の奥の壁一面には、ズラッと扉が並んでいた。そのひとつを男が開ける。小さな部屋には小ぎれいなベッドとサイドテーブル、壁にはハンガーがかかっていた。簡素な部屋だが、個室があるだけ有難いと茂木は思った。
渡された作業着に着替え待つこと数分。
今度は、Cラインリーダーを名乗る女が入ってきた。
まずは夕飯を食べましょうと女は言った。食堂へ行くついでに、工場の中も簡単に案内してくれるという。
茂木は立ち上がり、女と並んで歩きはじめた。
個室を出たすぐ先に、巨大な銀の箱がある。天井からダクトが伸び、箱の中身は見えない。箱の横からまた違うダクトが伸び、小さめの銀の箱へと繋がっている。
それを何度かくり返し、両手で持ち上げられるほどのサイズになった銀の箱までがBライン。その箱の横からガラス瓶を入れ、出てきたガラス瓶を梱包する所までがCラインだと説明された。
透明なガラス瓶は作業員の手でどんどん箱に入り、どんどん出てくる。
しかし、箱から出てくるガラス瓶は、箱に入る前と何も変わった所はない。
空っぽなのだ。
茂木は不思議に思いながらも、女とともに食堂へと入った。
これもガイドブックの「美味しいご飯3食付き」という文言に嘘偽りはなく、大変美味しい食事であった。こんなものが毎日食べられるのかと茂木は感動した。おかわりを重ね、腹いっぱいになるまで食べた。ゲップをし、満足そうな茂木を見て、向かいに座っていた女も笑った。
よく見ると、いい女である。肉付きもほど良く、唇も厚い。まとめられた髪の毛からは時々いい匂いがする。
茂木は邪念を消すように勢いよく立ち上がり、女に仕事の指示をあおいだ。しかし、今日はもう休んで明日からにしましょうと女は言い、そのまま二人で工場の奥の個室前まで戻った。
「おやすみなさい、茂木くん」
女の優しい言葉が茂木の心に染みわたり、茂木は久々によく眠れた。
だが、翌日からの仕事に対して、茂木はどんどん不安を抱いていった。
茂木にあてられた仕事は、空のガラス瓶入りのカゴを銀の箱の前まで持っていくというものだ。だが、何度見ても銀の箱に入って出ていく瓶は空っぽで、そのままビニール包装され、『幸せの瓶』という名の箱に入れられ出荷されていく。
この仕事は巨大な詐欺なのではないか……?
と茂木は何度も思った。
しかし聞けない。
聞けるわけがない。
聞こうとするたびに、Cラインリーダーの女は茂木を食事に誘う。茂木の拙い話を聞いて、鈴のように笑う。そして眠った次の日には、特別報酬が渡される。
休日には、歩いて数分の所にあるショッピングモールまで行くことができる。食堂では食べれないジャンクフードをむさぼり、新しい服を買い、ゲームコーナーでパチンコもできる。銀の箱にガラス瓶を入れる係の男とも仲良くなり、今ではまるで昔からの友人であるかのようだ。
何もかもが順調で、失われた青春というのはきっとこういうものだったのだろうと茂木は思った。
瓶の謎を問い詰めれば確実にクビ――工場から追放される――この心地よさを失うのが怖い。茂木はもやもやしつつ、今日も美味しい食事にひとしきり満足し、個室で眠りについた。
各個室の通気口からのびたダクトは天井でひとつになり、巨大な銀の箱へと繋がっている。
採用された不幸な人間たちから回収した幸福のかけらは、銀の箱の中でちいさく凝縮されていく。こうして丁度いい濃度まで凝縮された幸福はガラス瓶に充填され、密封され、包装され、箱に入れられ出荷されていくのだ。
そして。
今日もまたひとり、不幸な人間が採用された。
おどおどと忙しなくあたりを見回す女性に、Bラインリーダーを名乗る男が「大丈夫ですよ」と優しく微笑みかける。
生まれた時から不幸であった。
親からは虐待を受け、小中高ではいじめられ、不良どものパシリとして学生生活を過ごした。茂木自身もいつしか環境に染められ、高校卒業してからの数年、犯罪組織の末端として活動した。
しかし、大規模な検挙に逮捕。懲役3年を言い渡された。
それから2年後。
ある晴れた日。
模範囚として刑期を短く終えた茂木は久々に外の空気を吸った。門の外に出たはいいものの、迎えなどは一切ない。
ポケットには、作業所で働いたぶんの数万円だけが入っている。
茂木はため息をついた。
これでは、数日後に金が尽きてしまう。そうなると、食い逃げや強盗など目立つ犯罪行為をしてもう一度捕まった方が、まともな飯にありつけるだろう……再犯罪が減らないわけだ。茂木は自嘲し、自分の右手を見た。
握っていたのは、最後に話した刑務所なんたらかんたら補佐という男が寄越した、再就職ガイドブックである。
――これを機に、人生そのものをやり直してみないか――?
男の熱っぽい口調が思い出される。
茂木はひとまず駅に向かい、裏路地のさびれた個人食堂に入った。
ラーメンを食べ終わると、ガイドブックを開く。
中には、経歴不問の住み込み仕事が山ほど紹介されていた。住み込みだけに、工事現場の土方仕事が多い。その他、夜間の施設清掃・女性限定の寮付き事務仕事・プラカードを持って交差点に立っているだけの仕事、などなど。場所は全国津々浦々。これなら、まったく誰も知らない県に行けば、本当に人生をやり直せるかも知れない。
めくる手を止め、慎重に読み進めようとした矢先。
唐突に表れた「幸せ」という一文に茂木はドキリとした。
『幸せを製造販売しております。24hシフト制。ベッドは工場内併設。美味しいご飯3食付き。アットホームな職場です。』
事前連絡や履歴書は不要。面接は24hいつでも可能……。
茂木は工場の所在地を確認した。
2県ほどまたいだ場所にあるが、今から新幹線で行けば夕暮れまでには最寄り駅に着く。そこからタクシーに乗れば、手持ちの金でも十分に行ける場所である。
……幸せ…。
口の中でその言葉をくり返し、茂木はポケットの中の札を握りしめた。
面接はあっさりと終わった。
採用である。
Bラインリーダーと名乗る男に案内され、工場内の奥へと進む。ガイドブックに書かれていた「ベッドは工場内併設」という言葉に偽りはなく、工場の奥の壁一面には、ズラッと扉が並んでいた。そのひとつを男が開ける。小さな部屋には小ぎれいなベッドとサイドテーブル、壁にはハンガーがかかっていた。簡素な部屋だが、個室があるだけ有難いと茂木は思った。
渡された作業着に着替え待つこと数分。
今度は、Cラインリーダーを名乗る女が入ってきた。
まずは夕飯を食べましょうと女は言った。食堂へ行くついでに、工場の中も簡単に案内してくれるという。
茂木は立ち上がり、女と並んで歩きはじめた。
個室を出たすぐ先に、巨大な銀の箱がある。天井からダクトが伸び、箱の中身は見えない。箱の横からまた違うダクトが伸び、小さめの銀の箱へと繋がっている。
それを何度かくり返し、両手で持ち上げられるほどのサイズになった銀の箱までがBライン。その箱の横からガラス瓶を入れ、出てきたガラス瓶を梱包する所までがCラインだと説明された。
透明なガラス瓶は作業員の手でどんどん箱に入り、どんどん出てくる。
しかし、箱から出てくるガラス瓶は、箱に入る前と何も変わった所はない。
空っぽなのだ。
茂木は不思議に思いながらも、女とともに食堂へと入った。
これもガイドブックの「美味しいご飯3食付き」という文言に嘘偽りはなく、大変美味しい食事であった。こんなものが毎日食べられるのかと茂木は感動した。おかわりを重ね、腹いっぱいになるまで食べた。ゲップをし、満足そうな茂木を見て、向かいに座っていた女も笑った。
よく見ると、いい女である。肉付きもほど良く、唇も厚い。まとめられた髪の毛からは時々いい匂いがする。
茂木は邪念を消すように勢いよく立ち上がり、女に仕事の指示をあおいだ。しかし、今日はもう休んで明日からにしましょうと女は言い、そのまま二人で工場の奥の個室前まで戻った。
「おやすみなさい、茂木くん」
女の優しい言葉が茂木の心に染みわたり、茂木は久々によく眠れた。
だが、翌日からの仕事に対して、茂木はどんどん不安を抱いていった。
茂木にあてられた仕事は、空のガラス瓶入りのカゴを銀の箱の前まで持っていくというものだ。だが、何度見ても銀の箱に入って出ていく瓶は空っぽで、そのままビニール包装され、『幸せの瓶』という名の箱に入れられ出荷されていく。
この仕事は巨大な詐欺なのではないか……?
と茂木は何度も思った。
しかし聞けない。
聞けるわけがない。
聞こうとするたびに、Cラインリーダーの女は茂木を食事に誘う。茂木の拙い話を聞いて、鈴のように笑う。そして眠った次の日には、特別報酬が渡される。
休日には、歩いて数分の所にあるショッピングモールまで行くことができる。食堂では食べれないジャンクフードをむさぼり、新しい服を買い、ゲームコーナーでパチンコもできる。銀の箱にガラス瓶を入れる係の男とも仲良くなり、今ではまるで昔からの友人であるかのようだ。
何もかもが順調で、失われた青春というのはきっとこういうものだったのだろうと茂木は思った。
瓶の謎を問い詰めれば確実にクビ――工場から追放される――この心地よさを失うのが怖い。茂木はもやもやしつつ、今日も美味しい食事にひとしきり満足し、個室で眠りについた。
各個室の通気口からのびたダクトは天井でひとつになり、巨大な銀の箱へと繋がっている。
採用された不幸な人間たちから回収した幸福のかけらは、銀の箱の中でちいさく凝縮されていく。こうして丁度いい濃度まで凝縮された幸福はガラス瓶に充填され、密封され、包装され、箱に入れられ出荷されていくのだ。
そして。
今日もまたひとり、不幸な人間が採用された。
おどおどと忙しなくあたりを見回す女性に、Bラインリーダーを名乗る男が「大丈夫ですよ」と優しく微笑みかける。