料亭K

文字数 1,022文字

 私と少女は、A県S市にある深夜の山を歩いていた。

 一般公開されている山の遊歩道の駐車場から、看板が指し示す遊歩道ではなく駐車場の後方に続く道を歩くこと二時間半。時折弱音を吐く少女を叱咤激励し、細いけもの道をひたすらに進んでいくと、遠くにぼんやり灯りが見えた。
 ひっそりと建つ日本家屋。料亭Kにたどりついたのだ。

 玄関先で迎え出た女将に、可憐に育った少女を見せると
「まぁ、まぁ、」
 と女将は感嘆の声をあげ、大きく頷いた。

 女将の先導で座敷に落ち着くと、さっそくお通しが出る。お通し一つとっても、ここでしか食べられない逸品だ。物珍しそうに調度品を眺めている少女を尻目に、さっそく箸をつける。

 この料亭は、誰でも気軽に来れる場所ではない。
 料亭側が提示する代金の調達に苦心し、この私でさえ前回の食事から十数年ほど間が空いている。一生に何度も来れる場所ではない……そのような感慨も、きっと美味しさに含まれていることだろう。
 更にこの料亭にはお品書きが無い。
 しかし毎回、私がこれまで食べたものとは全く違った料理が出てくるため、こうして待っている間にも期待が膨らんでくる。

 しばらく経つと、お膳が来た。
 素焼きの質素な小鉢に盛られたれいご草のひだり醤油、漆塗りの椀に入った楓粟の凍み月とかし、白磁の小皿にはやまびこ杏のせん皮添え……。
 女将が口頭で丁寧に説明してくれる。もちろん、前回の記憶とは全く違う品々だ。
 お猪口を持ち上げると、女将が微笑みながら南蛮童子の星漬け酒を注いでくれた。一気にあおると、独特の匂いのあとスーッと鼻に抜ける。これもまた美味い酒だ。

 一方少女のぶんは、温泉街の旅館などで出てくるような、食事の価値がわからないお子様用の御膳だ。少女は疲れも相まってか、少し箸をつけてジュースを飲むと、ゴロンと横になり眠ってしまった。

 私は構わず箸を進める。

 食事のシメには、ふわり鳥の楼柑雑炊。最後の米の一粒までかき込み、私はすっかり満たされた。都会にいては決して味わえない、珠玉の品々。
 挨拶に来た料理人に礼を言い、少女を一瞥し立ち上がる。

 女将と共に玄関先へ向かいもう一度礼を言うと、
「今回は非常にお美しいお代金でしたので、私どもも頑張らせていただきました。お次の機会がございましたら、6才の男の子をお待ちしております」
 女将はうんと微笑んだ。

 料亭Kを背に、一人でくだる帰り道。

 私は、次の妻には男の子を産んでもらおうと遠い月を仰いだ。
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