第203話 暗いささやき

文字数 2,021文字

「はあ、はあ、はあ、……」

キアナルーサが自分の部屋に駆け込み、隣の寝室やカーテンの向こうまで人がいないことを確かめて回る。
そして窓から周囲を見回し、急いで古い鏡の前に走った。

「王よ、王よ、いにしえの王よ。
いらっしゃいますか?私を導く御方。」

息を整え、鏡に手を合わせ、目を閉じて祈るようにのぞき込む。

『次代の王たる者、取り乱してはならぬ』

また鏡に映る自分が口を動かすと、声がひっそりと聞こえる。
王子はほうっと息を吐き、すがるように続けた。

「僕は、僕は大変なことをしてしまった。
どうしよう、母上はきっと僕に愛想を尽かしたに違いない。
父上に告げ口されたら……二人に嫌われたらどうすればいいのでしょう。」

ビクビク息を震わせ、言葉を待つ。
ささやき声を聞き逃さぬように、息をひそめた。

『何を怖れるのだ、お前にとって今の王は踏み台でしか無い。
私には見えるぞ、お前に許しを請う現王と王妃の姿が。
お前の心を揺らすのは誰だ。誰がその原因を作った?
よく考えよ。今の王や王妃がしでかした罪、それがすべての元凶だ。』

キアナルーサが、ハッとして目を開けた。
そうだ、自分になんの落ち度があるだろう。
なぜ、父や母のしでかした事でここまで思い悩まなければならないのか。
自分は素直に次の王になるべく勉強してきた。
そして次の王になる。
誰がなんと誹ろうと、あの玉座に座り、皆にかしづかれてこのアトラーナの頂点に立つのは自分なのに。

『思い通りにならぬ者は恐怖を持って排除せよ。
恐れは最も人の心をつかむ。
お前はそれがやれる大きな、歴史に残れるほどの器を持っている。それに早く気がつくがいい。』

「そうか……そうだろうか。
そう言えば、僕を見る兵が…前と違ってシャンとしている気がする。
最近時々自分で自分が抑えられないほど気持ちが高ぶるのです。
でも、あなたの言う通りそれを無理に押さえず、感情のまま行動するようにしたら、みんな僕に少し注目するようになった気がします。」

『これまでのお前は自分の気持ちを抑えすぎた。
それで良いのだ、思うままに行動せよ。』

「そう……そうだろうか……
でも……父や母を怒ることなどできない。
僕は、そうだな……今回のことは母に謝りに行った方がいいような気がします。」

そういった時、鏡の中の自分が眉をひそめ、うめき声のような、ため息のような音が響く。
恐怖でキアナルーサの肌が粟立ち、たまらずテーブルの上の水差しから直接水を飲んだ。
水が鉛のような固まりとなって、喉を通って行く。
うっすら浮かぶ汗を、袖で拭って傍らの椅子にドスンと腰掛けた。

『希代の王となる者に、過ちなど無い。
お前のすること、すべてが正であり理解できぬ者が誤である。
時に誤は断罪を持って処せよ。
それがお前を王とする。』

「僕に、それができるだろうか?
ああ、あなたが僕のそばにいてくれれば助かるのに。
どうか、常にそばに来て私を導いて欲しい。」

頭を抱えて、髪を掴んで指ですく。
大きく息を吐き、すがるように鏡を見上げた。

『もうすぐ、お前の助け手が来る。
力を持ち、お前のためにこの城を制する手助けをするだろう。
だが力を持つだけに、お前の元に来ることをこの城の結界が阻んでいる。
しばしの間、私がお前を守護しよう。
我が心は剣に宿る、それを手に入れよ。』

「剣?歴代の王の剣は、確か宝物庫か棺へ共に埋葬しているはず……宝物庫は父上の許しが無いと入れないんだ。」

『案ずるな、西のほこらの下に我が剣がある。
疾く、手に入れよ。』

「ほこら?あ、ああ、あの守護の像の横にある古い……そう言えば、以前ゲールにほこらは決して手を触れずそのままの状態で守るようにと言われたことがあるけど、なんで剣が?」

『我が剣を神のごとく奉っているのだ。名のある剣よ、お前にふさわしい。
由緒ある王の(つるぎ)。』

「おお、わかりました。すぐに参ります。」

キッと眉を上げ、急いで部屋を出ようと鍵を開ける。
ドアを開いた瞬間、ゼブラと鉢合わせた。

「王子、どちらへ?」

怪訝な顔のゼブラに舌打ち、プイと顔を背け、また部屋に戻る。
追って共に部屋に入る側近に、王子はイライラして爪を噛んだ。

「お前はうっとうしい、私は一人になる事も出来ぬのか。」

「そのような事……あなたがご命令されれば私はいつでも消えます。
ですが、今はお側に仕えさせて下さい。」

ゼブラの心配そうな声も、今の王子にはひどくうっとうしく押し付けがましい。
大きくこれ見よがしにため息をついて、王子は腹立たしそうにゼブラの身体を押しのけ部屋を出た。

「どちらに?」

「うるさい、黙れ。」

「は」

付いてくるなと言われなかったので、ゼブラは黙って王子のあとをついて行く。
他の小姓たちには部屋に控えるよう指示して、ただ二人っきりで庭に出た。
あれほど強かった雨は止み、強い風が吹いて黒い雲が流されている。
雲合いから時折日が差して、思わず空を見上げた。
雨の為か、庭には兵の姿も見えない。
二人はぽつんと、西日の差す中をほこらに向けて歩いていた。
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