第109話 セレスは隣国へ

文字数 2,792文字

絶句したリリスとメイスが、言葉もなく立ちすくむ。
口を開きかけて、そして閉じた。
リリスが一つ息をつき、そして歩み寄るとカナンに服を着せる。
前の合わせを閉じ、服を整えて彼の身体を抱き寄せギュッと抱きしめた。

「私は、火の巫子だと言われました。
だから私は、詫びねばなりません。カナン様。」

「いいえ、あなたが詫びる必要はありませんリリス様。
あの時の事は良く覚えています。
夜中皆が寝静まっている時、ぐずって起きてしまった妹に本を読んで上げようと、台所の残り火でろうそくに火を付けました。
あれほど一人で火を使ってはならないと言われていたのに。
そして、本を読んでいる途中で、そのろうそくが倒れてしまったのです。
私は、火が付いた事を皆に伝える事を忘れて、必死で一人で消そうとしました。

私は……その時、ただ……ただ、両親に怒られるのが恐かった。

でも、火は本を燃やし、服に移り、寝具へと広がり、そして手に負えなくなると……私は、一人で逃げたのです。

燃え広がる火の中、火に焼かれながら火の熱さに我を忘れて……、妹の小さな手を離してしまった自分を、私は一生許さないでしょう。
小さな子供とは言え、私は身がすくんで動けないでいた妹さえも、熱さと恐怖で見捨てて逃げてしまった。

メイス、私も生きなければならないのです、人の為に。それは自分の為でもあります。」


ポタポタと、メイスの目から涙がこぼれ落ちる。
手を震わせ、しゃくり上げながら途切れ途切れに、今まで胸にしまっていた言葉を吐いた。

「私は……私は、恨んで、恨んで……くやしかった。

家族……みんな病気で……どうしていいのかわからなくて。

私は……僕は、何も出来なかった!苦しんでいたのに、うつる病気だと医者にも来てもらえなくて!
誰も助けてくれなかった!助けてって言ったのに!!
父さんも母さんも、婆様も、みんな次々死んでいったのに!

村の人は…………そして……何とか葬儀だけでもと頼んだ僕を無視して、そのまま家に火を付けたんだ。
病気を恐れて、井戸も埋めて、僕には村を出ていけって……
でも僕は、家の焼け跡から離れる事が出来なかった。

あれは、家族の墓なんだ。あれは……
僕は、毎日水と食べ物と寝る場所を探してさまよった。
虫のように追い払われても、石を投げられても……

僕は、あの村の人が……この国の人が許せない!」


カナンがメイスを胸に抱き涙を流す。
リリスも二人を抱いて、涙を流した。

不幸と不運と人の過ちの重なりが、一人の人生を狂わせてしまう。
そこに救いがあるか無いかで、歩む道を踏み外してしまった。
神殿は、アトラーナの人々の救いの場であり、学びの場であり、導きの場である事をリリスは地の神殿に通って良く知っている。
地の神殿がなかったら、今の自分はあり得なかった。

もし、メイスが神殿に助けを求めていたなら……
家族を救えなくとも、一人残ったメイスの心を癒す事が出来たのかもしれない。

心の中で、リリサレーンが泣いている。
自分やカナンは地の神殿に救われた。

ならば……


リリスが顔を上げる。

自分は今まで、自分の事ばかり考えて術をひたすら磨いてきた。
自分はこれから、人の為に術を磨き精進しなければならない。
一人一人を、より多く救う事が出来るならば……

火の神殿の再興を。

出来るだろうか、自分に。
それで人が救われるかなんてわからない。
人を救うなんて、このちっぽけな自分がおこがましいけど、心の支えになるならば。

その為に、指輪とフレアゴートの3番目の目を手に入れなければ。
リューズがもし火に関係する術師であれば、和解して共に火の神殿を再建出来ないだろうか。

「私は、やらねばならない事が見えてきました。」

リリスが二人に力強く語りかける。
不安と迷いで揺らいでいたリリスの心が、強く一つに固まった。




ミューミュー、ミューミュー

この世界の馬である大型の猫のミュー馬の声が城中に響く。
城の中庭に、隣国の使者達が旅支度を済ませ集まっていた。
ミュー馬が十頭ほどに一頭立ての馬車が2台。

馬車に途中の野営の為に食料を積み込みながら、交流して親しくなった兵が歓談を交わし別れを惜しむ姿も見えた。

ガルシアに挨拶を済ませたエルガルドが馬に乗り、手を上げる。
その後ろで、ルビーと共に馬に乗るセレスがイネスに手を挙げた。

「兄様!どうぞご無事で!」

「後を頼むぞ。」

セレスの無言の視線を受け、リリスも頭を下げて見送る。
名残惜しく手を振って見送るイネスの後ろで、リリスはサファイアを見上げた。

「あの、ルビー様のおけがは大丈夫なのでしょうか。」

「ええ、ご心配なく。セレス様の癒しはたいそう効くらしいのですよ。
リリス様も明日は旅立ちでしょう、イネス様も気を落とされなければいいのですが。
そう言えば、何か困ったことがございましたら、お気兼ねなくおっしゃって下さい。」

「え、いえ、大丈夫です。特に何も……」

「グルクでしたらコートはお持ちですか?
イネス様のコートをお貸りできるか許しを得ましょう。2枚あるのでお気遣いなく。」

「い、いえ、あの……」

ドキッとリリスが視線をはずし、うつむいた。

どうしよう。
貸して下さいと言って良いのか、イネス様もお使いになる時困られるだろうし、自分があの真っ白なコートを着るなんて身分違いも甚だしいし……

「 リリ! 」

気がつくと、イネスが腰に手を当て怒った様子で目の前に立っていた。

「お前はー、また遠慮しているな!
サファイア!俺のコートをリリスに渡す、……いや、待て、護符の術を強化して渡すから準備しておけ。
あと……えーと、いくらか金貨も用意しろ、旅にはお金がいる時もあるんだろう?
お前の荷物は腰の剣だけじゃないか、毎日同じ服着てるくせに、強がってんじゃない!」

なんと、

リリスが呆然とイネスの顔を見る。
そこまで気がついていたとは、気がつかなかったのだ。

「はい、イネス様。」

嬉しくて、リリスが明るい顔でニッコリ笑う。
しかしイネスは内心くやしい、そう言う身の回りのことに自分は疎い。
気が回らなかったのが、なんだかくやしい。
兄宣言したんだから、なんでもしてあげたいのに。

「でも、イネス様がお困りに……汚してしまうかもしれませんし。」

「俺はコートを使う予定は今のところ無い。
だいたい俺は何でもいいんだ。コートじゃない、俺自身が巫子なんだからそれでいい。
コートは神殿に帰れば何枚も持ってるんだ、真っ黒になっても、真っ茶色になっても構わん。
それにアレには強力な護符の術を織り込んで作ってある、今のお前には必要な物だ。
それと……お前が必ず無事にここへ帰ってくるように、俺の願掛けだ。」

「イネス様……
リリスは必ず、指輪を取り戻して帰って参ります。」

「いいや、指輪なんかどうでもいい。お前が必ず無事に戻るんだ。いいな。」

「はい。」

イネスがリリスの頭を両手でくしゃくしゃに撫でてニッと笑う。
そしてくるりときびすを返し、城内へと戻っていった。
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