家族Ⅱ

文字数 1,337文字

 酒肴たか瀬に呼び出された、
 父が営む居酒屋である。定休日の水曜日なので客はいない。
「遅かったな。そんなに仕事が忙しいのか?」
 兄が手招きする。指定された時間よりも前に着いたのだが、既に二人は飲み始めているようだ。僕は酒をやめているので、鞄からミネラルウォーターを取り出す。
「話って何?」
 枝豆、カツオのたたき、イカゲソ天ぷら、きゅうりの糠漬けが食べ散らかされている。父はビール、兄は日本酒。
「いや、大した話じゃないんだけどな」
 そう言いながら父が背筋を伸ばす。
 金を貸して欲しい、借金を免除して欲しい、あるいは再婚するのか、まさか子供ができたとか。賭け事が好きで女にだらしない人だから、どうせその辺りだろう。
「父さん、廃業しようと思うんだ」
「えっ、どうして?」
 安くはない価格設定だが、料理の腕前は確かなので常連でいつも繁盛している。年齢もまだ還暦前だ。
「何だか、疲れたんだよ」
「どこか悪いの?」
「いやぁ、ずっと違うなって思っていた」
 立ち上がり、新しい瓶ビールを取りに消える。
「兄ちゃんは知っていたの?」
「まぁな。実は俺もやめようと思うんだ。何だか疲れたから」
 安定した生活がしたいと市役所に就職して、職場結婚、建売を購入し、小学生と幼稚園の娘がいるのに、どういうつもりなのだろうか。
「疲れたらやめるの?」
 僕は都内で一人暮らしをしている。結婚の予定はないし、するつもりもない。僕が高校を卒業して直ぐに母が亡くなり、それからずっと一人暮らしをしている。父親が廃業しても、兄がやめても関係のない話だ。
「そういう訳だから。まぁ、今日くらいは飲めよ」
 僕は父にすすめられるままにグラスを手にして、注がれたビールを一気に飲んだ。相談があると聞いていたのだが、報告だった。
「父さんも兄ちゃんも重荷だったんだよ。お前が結婚するまでは、と以前から二人では話していたんだけど、結婚しそうにないし、もういいかなと」
「峻太も来週で三十だろ? いい区切りだと思ったんだよ」
 三年ぶりのアルコールで酔ってしまったのか、なかなか意味がつながらない。誕生日とどういう関係があるのだろうか。
「高志さんでいいから」
「俺は岳さんでも岳ちゃんでもいいよ」
 一人取り残され、自分で瓶ビールを注ぐ。
「つまり、何をやめるの?」
「頭が良い割に、話の分からない奴だな。つまり」
 血縁上、戸籍上は親子、兄弟だが、父は父親業を兄は兄業をやめるということらしい。何度も話し合った結論だから、覆らないから、と説明されても、僕は上の空である。何が変わって、何が変わらないのか。父親らしいことも、兄らしいこともしてもらった記憶はないのに、なぜか空しい。
「新しい門出に、乾杯」
 上機嫌の父に乗せられて、グラスを合わせる。母親が亡くなってから、僕等はばらばらに暮らすようになった。一緒でも別でも家族だと思って、一人でも淋しいとは思ったことはなかった。今、本当に一人になって、家族が欲しいと思う。
 僕が三十歳になるまでは、父さん、兄ちゃんだけど、誕生日を迎えたら高志さん、岳ちゃんになる。僕だけ峻太のまま変わらないのは不公平なので、峻君と呼んでもらうことにして、弟業をやめることになった。とりあえず、夫業を見つけてみようと思っている。
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