捨て「猫」

文字数 1,958文字

 駅前で猫を拾った。

 どう見ても人間なのだが【捨て猫です。飼い主募集中】と書かれたスケッチブックを持ち、段ボールに入っていた。動物愛護団体のパフォーマンスなのだろうと思ったが、大きな瞳は濡れ、あまりにも悲しそうなので、思わず立ち止まってしまった。
「あんた、捨てられたの?」
「はい」
「猫なのに話せるんだ」
「はい、バイリンガルなので」
「猫語もいけるの?」
「にゃあ」
 真顔で鳴くので、つい笑ってしまう。
「私、猫語分かんないから、日本語でいいや。餌はキャットフード?」
「アルファベットチョコを一袋もらえれば一週間は大丈夫です」
「鼠、捕まえられる?」
「未経験ですが、努力します」
「私、努力とか言う奴、嫌いなんだよね」
「失礼しました。気をつけます。使えないと思ったら、捨ててもらって結構ですから」
「じゃあ、お試しならいいわよ」

 段ボールに入った男を持ち帰ることはできないので、段ボールを畳ませて、並んで歩く。 
 164cmの私よりも小さく、細い。とりあえず、スーパーに寄って、アルファベットチョコを一袋購入する。安上りな猫だ。
 リビングに段ボールを置き、その中で暮らすと言う。トイレも自分で歩いて行くから、しつけもいらない。抜け毛もなし。私が話しかけた時だけ話し相手をすること、自分から話しかけないことを約束させる。水はペットボトルに水道水を自分で入れること、冷蔵庫は開けないこと、風呂は私が入った後に入ること。決まり事はそれだけ。心配ないとは思ったが、関節技をかけて、私が柔道経験者であることを理解させた。にゃあ、にゃあ泣くので、湿布を貼ってやったら、ありがとうございます、と頭を下げた。
 捨て猫を拾って便利だと思ったのは、宅急便だ。宅配ボックスのないアパートなので、今までは時間指定して、間に合うように帰ったが、無理をしなくても猫が対応してくれる。風呂上がりには湯船を掃除し、とても気が利く。ご褒美に名前をつけてやろうと言ったら、「猫」が良いと言うので「猫」と呼ぶ。
 「猫」は聞き上手で、どんな話にも嫌な顔せずつき合ってくれる。約束通り、自分から話しかけることはない。アルファベットチョコは少しずつ減っているが、私の前では決して食べない。余程、家庭のしつけが良かったのか、とても行儀が良い。
 ただ、鼠退治については、ゴキブリが出現した際に段ボールで固まったまま、私が退治するのを見ていたので、使いものにならないことが分かった。そもそも期待していなかったので不問としたが、本人はとても恐縮して、にゃあ、にゃあと詫び、毎朝の目覚まし音が大きく、寝起きが悪そうなので、自分に起こさせて欲しいと申し出てきた。
 翌朝から「猫」はきれいな鳴き声で猫語の歌を歌い、一曲終えると、襖を開けて、猫じゃらしを顔に近づける。目覚ましの騒音と違い、気持ち良く目を覚ます。目覚まし時計を三個セットする必要もなくなり、拾って正解だったと思う。頭を撫でてやると、うれしい、うれしいと猫語で喜ぶ。にゃあ、としか言わないが、段々と理解できるようになってきた。

 アルファベットチョコだけでは可哀想になり、食事を作ってあげると言ったが、約束ですから、と断る。猫にせよ、人間にせよ、水とチョコだけで生きられるものなのだろうか? と不思議に思う。

 次第に、従順な「猫」がつまらなくなり、命令が増える。猫だから刺身なら好物だろうと無理やり食べさせる。箸を渡したが、口と前足で食べた。蛸が苦手らしい。一人で飲んでもつまらないからつき合え、とビールを飲ませる。私の中で、猫と人間の境界線があやふやになる。

 着信音で目覚める。上司からだった。

 すっかりと寝坊した私は「猫」を罵倒した。ビールを飲まされて、寝過ごしたのだから、被害者なのに。
「あんたは猫じゃない、あんたは人間。私は人間を拾ってきたの。もう、捨て猫ごっこにも飽きたから、出て行って」

 帰宅すると「猫」はいなくなっていた。言葉が過ぎたと反省して、仲直りに苺のアルファベットチョコを買って帰ったのだが……。再び、三個の目覚まし時計をセットする夜が始まった。

 SNSに「猫を探しています。人間の男の姿をした猫で、アルファベットチョコが好きです。見かけたら、連絡が欲しい」と呟いてみる。某駅前、某公園で見かけたという情報が書き込まれると、会社帰りや休日に出掛けるが、見つからないまま時が過ぎる。
 もう、新しい飼い主が見つかったのだろうと諦める。

 新しい飼い主様へ
 「猫」は、働き者で歌が上手くて早起きです。
 従順で利口な猫なので、大事にしてあげて下さい。
 アルコールは苦手なので与えないように。

 元飼い主さま
 元猫です。その節はお世話になりました。僕は、人間に戻ることにしました。
 また、いつかお会いしたいです。にゃあ。
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