病室(10/6)

文字数 714文字

大きく息を吸って吐き
口角を思い切り上げて
笑顔を作って扉を開けたら
待ちわびたという感じで雑誌を閉じる君と目が合う
 忙しいのにわざわざ悪いね
そう言いながら右手で椅子をすすめてくれる
先まで考えていた言葉は
どこかに力の入った
まるで面接に備えたような
自分らしくないものだったのできれいに消えた
僕は受験生でもなければ
君は面接官でもないのだ
どうしてそんなに普通でいられるのかと不思議に思う
 暑いから体調に気をつけてね
どうしてそんなに心配をしてくれるのだろうか
自分の心配をして欲しいのに
居酒屋でいつも話す昔話がなぜかしたくない
懐かしむことが嫌だから
かといって、未来の話をするのも勇気がいる
 仕事はどう?
 奥さんは元気?
質問に答えるのは僕ばかり
 あまり先のことは考えない
 寝る時に目が覚めるかどうかも分からないし
 無念だなぁ
 もっとやりたかったことがあったのに
 そう考えると悲しくなるから
 あんな楽しいこともあった、こんなうれしいこともあった
 何もなかったように思うのだけど、色々あったんだよね
 もちろんやりたかったことも、行きたかったところもある
 でも、どこまで生きればいいのか分からなくなって
 どうでも良くなる
何かできことはないかな?
 僕に対して?
そうだね。何か少しでも力になりたいんだ
 ない
 ないけど、楽しく過ごしてくれればそれがうれしい
 ただ、それだけ
 可哀想だな、と思って思い出すのではなくて
 一緒に飲んだことや旅行に行ったことを思い出して欲しい
 可哀想な人ではなく、楽しかった仲間としてさ
僕はなんて傲慢なんだろうか
何かすることで自分が満足したかっただけだ

病室を出ると
僕は普通に話せたことがうれしくて笑った
入る時の作り笑いとは違っていた
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