第六話「秋葉原の哲学」
文字数 3,724文字
数話前を思い出してほしいんだけれど、、
俺は家を出る時、靴紐結んだまま数日動けなかった気がするんだ。
しかし次に秋葉原に着いて過去編に行っている間に
近くのブックなにがしに行って古本を立ち読みしていた。
ある程度自由に動けた気がするんだ。そして今回。
空いた時間にまた俺は一人でアキバを散策してたんだ。
少しずつこの世界のシステムが改変してるんじゃないかな・・・
なんかアキバっぽい言い方してしまったけれど、
どこかの漫画のようにフリーズした時間の中で、少しだけ指が動かさせるようになってきたんじゃないのかな。
とりあえず来てほしい場所がある。
まず、なんで秋葉原に来たか、だ。
自由な価値観で、人が眉をひそめるものでさえ文化として昇華させたアキバ文化がある。
アダルトゲーム「エロゲ」や
萌え萌え文化、オタ芸に、働いたら負け理論、
ドジっ子賛歌にリア充爆破でお仕置きキボンヌ。
目の前の綺麗なビルには「アダルトグッズ専門」の文字が並んでいる。
と、まぁ、彼女一人にしたって過酷なビラ配りをしたり、互いに励まし合って
プロフェッショナルになれるように努力している。
アダルトグッズの販売だってビジネスとして軌道に乗せる見込みがあるから
やっているのであり、慈善事業なわけがない。
さぁ、超人のように価値観の彼岸に行くかのような秋葉原だが
自由の限界がここにある。
世の末だ、イロモノ消費文化の成れの果て、と突き放すのも結構だが
エログロナンセンス、という文化が流行った昔の時代もあるように、
時代の潮流の一つであって、心の中で人が求めているものがあるのも
間違いないんだ。
ガチャガチャの中身は見えなくなっていて
おもて面に「絶望ガチャ」とある。
大凶・・・
・ギャンブルはやめよう
・待ち人はこないから積極的にアタックしよう、
・ゲームをしましょう、ゲームの中ならどれだけ死んでも大丈夫( ̄ー+ ̄)ニヤリ
サングラス型「絶望スカウター」はかけると目の前が真っ暗になるただの
アイマスク。
・・・・・
薄暗い店内、色のついたライトがぼんやり光っている。
案内されたテーブルの上の作り物の蝋燭が光る。
いそいそとタオルを持って水島の足を拭き、地べたを這いつくばるメイド。
奥に座るお客が笑いながら見ている。
「ドジっ子大好き」
と奥から声が聞こえる。
一歩前に進んだ水島は顔をメイドさんに近づけた。
たじろぐメイド。
メイドは一瞬真顔になり、笑った。
水島は店を出た。
ドジっ子擁護は有能ではない自分たちのコンプレックスから生まれているとも言える。
ネタ消費、もシリアスになれない側面はあるが、真面目であることを至上命題とする息苦しさへの抵抗とも言える。
これ、ニーチェのいうところのルサンチマンという弱者の思想から来ているかもしれないのだ・・・。
ルサンチマンとは不満や劣等意識であり、そこから生まれた思想であるとしてニーチェはキリスト教を攻撃した。
ドジっ子こそ幸いである、、、、
ただ惰性で続くシリーズものも、自らを生き永らえさせるための手段なのかもしれないし、それそのものが人の歴史を紡ぐことなのかもしれない。
淘汰されずにそれでも生き残る文化が本物ならば、生き残るしかないだろう。