第五話「究極の中二病」
文字数 1,780文字
それにしても随分恥ずかしい俺をよくも登場させてくれた。
かおちんさんだって、ずいぶんモブキャラ扱いだ。
可哀そうに・・・。
絶望に苛まれて強迫神経症で地獄の日々を送ったことなどズバッっとカットだ。
まあいいんだけど。
そう考えると、悪くも思えない。例えていうのもおこがましいが「アルジャーノンに花束を」、だってどんどん肉付けして最終稿に至ると聞いた。
苦肉の策ってやつだ。
グータラならではの神様の仕業だけれど、それなりに必死だってことだな。
自分の怠惰に打ち勝つ術をうちの神様なりに考えているんだろう。
ちょうどノーベル賞をとった
リチャード・セイラーも行動経済学の話で人間の自制心の弱さを克服するには
怠惰を計画に織り込んでうまく工夫するしかない、としている。
骨だけになろうともキルケゴールをぶちのめそうってのが目的なんだ。
神を信じたのがキルケゴール
信じなかったのがニーチェ
なおキルケゴールはキリスト者なのでこの場合特にキリスト教の神、ということになる。
そして二人とも実存哲学の巨匠。
今、ここにいる実存在としてのあなたのための哲学だ。
ただの情報の消費なんかであっていいわけではなく、当然二番煎じだったりしてもいけない。
ニーチェなんかは自意識が超人にまでなるくらいだから自分の書物がいかに
唯一無二でありあなたを導くものであるか、を懇々と書いてある。
そうなると当然、実践哲学の様相を呈してくるのだから実践することになる。
この頭の中で考えた超人や実存哲学なんてものを実践させようってんだからなかなか
過激だともいえる。
中二病って言葉はたいてい卑下するときに使う言葉だ。
だから中二病のようではあるが、哲学はその先にある精神の鍛練にまで行き着くだろう。
そう、考えると哲学が人生に必要なことなのかもしれない、ってことはわかるんじゃないかな。
哲学とはものの見方を変えることで世界の認識を変えうることだ、というのはなんとなくわかると思う。
ただものの見方の角度を変えるだけではなく、それを精神の鍛練を含め、深めることで
世界は本当に変質していくだろう。
・・・待てよ。
なんかずーーっと二つか三つのアイコンだけで
安上がりのアニメみたいにパクパクしゃべっているだけじゃないか?・・・
これ、どう考えてもライトノベルとしてテコ入れされるんじゃないか・・・
待てよ、待ってくれよ、勝手に過去編とか行かないでくれよ!!
そう、走るから!・・・今から走って転ぶから!・・・