第七話「本当の自由」
文字数 1,788文字
ゆっくりと歩き始める水島。
価値の価値転倒を試み、
秋葉原は自由だが、本当に自由なのか?
現実に牙を剥いている向いているように見えて経済活動に色濃く左右される水物のような文化。
だが、その中にも立派な自由な思想がある、というのが前回のお話だった気がするが、じゃあどうやってそれを伝えるか。
そんな未熟な思想どこにもない、と言われるだろう。
果たしてそれもそうなのか。今やコミックマーケットの大群衆に見られるように一つの大きなコミュニティとして階級闘争できるレベルの連帯が、もうなんだかわからないが出来ているではないか。
ちなみになんでも「党」というものを持つほどでないと階級という段階まで来られないらしい。これ、本屋で哲学書を立ち読みしている知識の受け売りだ。
消費活動の先になにがある?生まれるものもある、か、たしかにそうだろう。
ふと書店の入り口に平積みされた分厚いカタログに目を止める
レジに並びカタログを購入する水島。
なにが言いたいか、というとこうして読者であるあんたに俺がこうして語りかけている意図が、その「単独者」であり、キルケゴールの場合「神」と向き合ったわけだけど、この場合、本を開かなければ存在すらしえない俺とあんたの意味なのではないか、と思うんだ。俺にとってあんたは神さまだ。