第65話 好きと嫌いの先へ~ 勝ち取る信頼の難しさ 1 ~ 

文字数 11,252文字


「じゃあ次はあの男子児童はどうしたの?」
 一呼吸おいてからの朱先輩の質問に、さっきの児童の事だと分かる。
「あの男子児童のご両親が昨日から喧嘩をしているみたいで、とても寂しい思いをしていたみたいです」
 一緒の時間が短くても温かさと優しさで一杯なら、その間寂しくてもなんとか頑張れるけれど、近くても毎日のように喧嘩している親を見ていると、男の子とは言えやっぱり児童。それを抜きにしても寂しいと思う。
 私が中学三年の時に、弟ももう自立し始めるだろうと言う事で、両親が家を空け始めたから、初めの内はとても寂しく感じた。
「……」
 今でこそ、その気持ちは薄れては来ているけれど、やっぱり寂しい気持ちがないわけじゃない。もちろんこの年になって口に出す事はしないけれど。
 ただその話とは別に、私と優希君もまた今週はほとんど会っていない上に、せっかくお話し出来たのにいないはずの雪野さんの存在感で、私はもっと優希君と仲良くお喋りがしたかったのに、喧嘩みたいにもなってしまって、時間は短い上に中身も悪い。それにお気に入りの水筒も手元にはもうない。
「愛さんも喧嘩。したんだね」
 もうそれが当たり前のだと言わんばかりの動きで、いつの間にか私の隣で寄り添ってくれている朱先輩。
「じゃあまずは男子児童の方から話をしよっか。愛さんがあの男子児童に気が付いたのはどうして?」
「一緒に隠れた時に、元気がなさそうにしていたから声を掛けたのが始まりです」
 そうしてさっきの事を一通り朱先輩に説明する。
「愛さんは優しすぎるんだよ」
 私の説明の後、何かまずい事でもあったのかしばらく考え込んだ後、一言ぽつりと私に向かって言葉を落とす。
「でも私、学校では厳しいとか、怖いとか言われていますよ」
 優しいなんて言うのは蒼ちゃんか優希君にしか言われた事が無い。しかもそれも数えるほどしかない。
「本当に? 愛さんの事ご両親以外から優しいって、誰からも言われた事。ない?」
 私の返事がそれほどまでに意外だったのか、心底驚いた表情を浮かべる朱先輩。
 そんな朱先輩の表情を見て慌てて付け足す。
「親友と優希君には言われたことあります……数えるほども無いですけれど」
 それでようやく朱先輩が落ち着く。
「愛さんの事をちゃんとわかってる人がいて良かったんだよ。じゃないと愛さんばっかり身を切らないといけなくなるんだよ」
 身を切るって……
「ひょっとして男子児童に渡したハンカチの事ですか?」
 それしか思い当たる事が無い。
「さすがは愛さん。そうなんだよ。愛さんの優しい気持ちはすっごい分かるけど、相談してきた人に物を渡したら駄目なんだよ」
「駄目……なんですか?」
 朱先輩の言わんとしている事は分からないでもないけれど、今日の男子児童みたいな状態だと何か励みになるものも必要なんじゃないかと思うんだけれど。
「そうなんだよ。でないと愛さんの回りから物が無くなってしまうんだよ」
「でもあの男子児童ものすごく辛そうでしたし」
「その愛さんの気持ちを愛さんが、自分で守ってあげないと愛さん自身がかわいそうなんだよ」
 私が、私自身を……か。朱先輩が私をとても大切にしてくれているのがよく分かる。
「それに物をもらっても信頼「関係」は築けないし、不安が無くなるわけでもないんだよ」
 そして朱先輩の口から割と衝撃の強い言葉が飛び出る。
「そう、なんですか? 私は朱先輩からも優希君からも色々貰って嬉しかったんですけれど……」
 朱先輩からもらった少し大きめのブラウス。優希君からもらったお揃いのシャープペンシル。
 そして蒼ちゃんからもらった手作りのクッキー……どれをとっても大切な人、大好きな人からもらった私の宝物なのに。
 考え込む私を優しく見ていた朱先輩は私の考えをなぞるように
「わたしは愛さんと仲良くなろうと思って愛さんにあげたものなんて何もないんだよ。一番初めの肌着や下着はちゃんと別の形で返してもらったし、ブラウスをあげた時も信頼「関係」には関係なかったと思うんだよ。そうじゃないと、愛さんと対等な関係でいたいわたしは、とっても寂しいんだよ」
 そう言って朱先輩は私が本当に弱い、悲しそうな表情を作る。
 私と対等って言ってくれる朱先輩の気持ちは痛いほど嬉しいし、朱先輩の言わんとしている事もよく分かるけれど、
「私、優希君からお揃いのシャーペンを貰ったんですけれど、これって優希君が私と仲良くなりたいとか優希君が私に信用して欲しいからくれたんじゃないんでしょうか?」
 だとすると優希君の気持ちがまた分からなくなる。
 また考え込んでしまった私に今度は……なんだろう、子供を見る時の親の目みたいな表情をする朱先輩。
「愛さんは物をもらったから空木君を好きになったの? お揃いの物をもらったから信用でき『違います。私は優希君の気遣いとか優しさに惹かれて……』――愛さんならそうだよね」
 朱先輩の嬉しそうな表情を横目に、反射的に自分の口から出た言葉に首をかしげる。
「空木君からお揃いの物をもらったのは

好きな人からもらったから嬉しかったんだよね。ちょっと嫌な事を思い出して欲しいんだけど、今日の朝の男の人にご飯を誘われたとき、愛さんは嬉しかった?喜びを感じた?」
「そんな事無いです。優希君以外の男の人と二人きりは優希君に悪いし、それに――」
 あの、手を握られたときの驚きと勝手に震えた手を思い出すと
「――怖かった?」
「……はい。そうです」
 私の気持ちを朱先輩が代弁してくれる。
 私の答えに満足そうな表情を浮かべた後、
「そうなんだよ。中にはそう言う人もいるだろうけど “わたしと愛さんは” 物を貰って相手を信用する訳じゃ無いし、物をもらったからと言ってその人を好きになる訳じゃ無いんだよ」
 さっきとは違って朱先輩の言葉がスッと私の中に入って来る。
 そうこれも順番が違うのかもしれない。
 私は物をもらったから好きになった訳じゃ無くて、好きな人からもらったから嬉しかった。
 でもそれは嬉しいだけで、信頼「関係」とは全く別物だって事も今気付かせてもらった。
「じゃあさっきの男子児童も、物をあげてもあんまり解決にはならない?」
 物をもらっても好きになる事も、信頼できるわけでも無いなら……
「解決にはならないけど、全く無駄って事にもならないんだよ」
 じゃあ何だろう……なんか全く分からない訳でもないけれど、答えが形になる程分かっているわけじゃない。
「愛さんが空木君からもらったペンを持ってどう思う? 何か感じない?」
 今はそのペンを持っていないけれど、今の気持ちを逆に考えると……
「逆に感じないです。優希君とお揃いのペンがある時はもう少し優希君を感じていられるんですけれど……」
 朱先輩が少しほっとしたような表情を見せる。
「そうなんだよ。会えなくても近くに感じることが出来る。そう言う寄り添いの気持ちを表すのに物って大切なんだよ」
「だから好きでもない人から物をもらってもあんまり嬉しくない?」
「わたしは、そう思うんだよ」
 でも確かにそうだ。倉本君からいくら気遣いをされても全然嬉しくないどころか、私じゃなくて彩風さんにもっと優しくしてほしいとさえ思ってしまう。
 逆に優希君には私以外の人に少しでも優しくしてほしくないし、物なんかなくても良いから手を繋ぐだけでもして欲しいって思う。
 この差は……好きって気持ちなのかな。
「それに好きでもない人から物をもらっても、それは怖いんだよ。嬉しいなんて感情にはならないんだよ」
 今朝の私の感情だ。自分の中の気持ち一つで相手から同じ事をされたとしても、その感じ方は大きく変わってしまう。これは昨今よく言われる“イジメ”とか“ハラスメント”の正体の一つかもしれない。
「それは相手の事をよく知らないからでしょうか?」
 私の質問に驚く朱先輩。
「そうなんだよ。好きでもない人の事なんてそんなに知らないんだよ。愛さん同じクラスメイトの事みんな知ってる? どんな性格をしていて、どんな食べ物が好きで、とか」
 そんなの知ってるわけないし、例のグループの女子の事を思うと分かろうとも思えない。
「いえ。知らない人の方が多いです」
「ちょっと冷たい言い方なんだけど、そう言うもんなんだよ。少し喋ったからと言って相手の事なんか分かるわけ無いんだよ。人ってそんなに単純じゃないんだから」
 そう言われて、朱先輩の言い方が冷たいなんて思えない。本当にその人と向き合えば分かる。この前初めて放心していた顔を見たように、今でも蒼ちゃんの事で初めて見る表情とか、知らない事も見つけたりする。
「だからこの前からちょっとだけ言ってるジョハリの窓が大切なんだよ」
「あの如何に未知の窓を小さくするかの話ですね」
 よく考えたら好きな人の事でも知らない事だらけだ。親友だって言っている蒼ちゃんの事でも知らない事がまだたくさんあるんだから、優希君なんてもっとたくさんあるに決まってる。
「そうなんだよ。で、話を元に戻すと、さっきの男子児童にあげたものはあんまり意味は無いんだよ。でもハンカチを渡して怖がっても不審にも思ってないから、それくらいには愛さんと信頼「関係」が築けたって事なんだよ。愛さんはあの児童にちゃんと寄り添って、話を聞いてあげたんだね」
 朱先輩からの言葉に何故か嬉しくて涙が浮かぶ。
「ご両親から泣くなって言われているみたいで、でもまだ児童だからそれもどうかなって話をした時に、私の胸で思いっきり泣いてました」
「だったらモノじゃなくて、言葉と次の約束であの男の子は頑張れたんじゃないかな?」
 寄り添うって言うのはそう言う事なのかな。
 おぼろげながら分かりそうだけれど、まだ形にはならない。
 もう何回目になるのか、私が考えている間に元の私の正面のテーブルに戻った朱先輩が、じっと私の方を見て、
「空木君からペンを貰って嬉しくて、大好きだって自分から言えるくらいには空木君の事が分かって来ている愛さんは空木君となんで喧嘩したのかな? その結果が今日の水筒なんだよね?」
 いつの間に暴かれていた私の悩みと言うか、私が朱先輩に聞きたかった核心を聞かれる。


「私ってやっぱり信用無いのかな?」
 疑われている訳じゃ無いと思う。でも心底安心したって言う事は、やっぱり信用はしてもらってない訳で。
 優希君の事で知らない事も多いし、さっきの児童みたいにちゃんと話も聞けていないって言うか、私より雪野さんとの話の方が多いし、雪野さんの希望を聞いてるし。
「愛さん。彼女が出来たら、付き合ったらそれがゴールだって考えてる男性が多いんだけど、本当は違うんだよ」
 私は朱先輩からの言葉にもびっくりしたけれど、男の人が考えている事にもびっくりする。
「むしろお付き合いを始めて、お互いの事を知って行く上でジョハリの窓の“盲目の窓”と“秘密の窓”、愛さん的に言うと二枚目の窓と三枚目の窓を開ける時に築き上げる信頼「関係」の方がよっぽど大変だし大切なんだよ」
「大変?」
 朱先輩はさも当たり前のように言うけれど、お付き合いをしているクラスの知り合いとか学校の人を見ていると幸せそうに見えるのに。
 でも、蒼ちゃんは苦しんでる……のかな。
「そう。大変。愛さんだとあんまりないかもだから分かり易く言うと、人を好きになったり、恋に落ちるのは勢いで出来るんだよ。もっと言うならお付き合いを始めるまでは勢いで出来るんだよ。その証拠に “一目ぼれ” なんて言う早さを感じる言葉まであるんだよ」
 確かにそうかもしれない。
「だから男の人とお付き合いをするまではドキドキする事も多いんだよ」
 そこに至る、お付き合いを始めるまでは展開も早いし、良い所ばっかり見ようとするからね。と朱先輩が私を優しく見つめる。
「でもお付き合いを始めたら逆になって苦しくて、しんどい事の方が多いんだよ」
 朱先輩の言葉にハッとする。
 ――もし、お兄ちゃんと付き合うならアンタが思ってるような幸せには
       ならないから。間違いなく理不尽な事しんどい事の方が多いから――
 優珠希ちゃんが同じような事を言っていたのを思い出す。
「私、優希君に勘違いされない様に、気を付けているつもりなんですけれど、今日みたいな事があるから私って信用してもらえないのかな……」
 朱先輩は今のままの方が良いって言ってくれたけれど、やっぱり男の人への耐性は必要だと思う。
 あの妹さんも事あるごとに私の事は信用出来ないって言ってたし。やっぱり私の言動に問題があるから妹さんは信用してくれない気がする。その理由はまだ分からないけれど。
「違うんだよ。愛さんは……ううん。愛さんと空木くんは今、信頼「関係」を築いている最中なんだよ。だから今はまだ信頼が少なくても仕方がないんだよ」
 朱先輩はそう言ってくれるけれど、本当にそうなのかな。優希君はまだ言えないって言われたきり、話してもらえてない事もたくさんあるし、妹さんに関しては初めから敵意をむき出しにされていた。
 あの時の頬の腫れは幸いにも綺麗に引いたけれど
「――!」
 あの時のむき出しの敵意はやっぱり忘れられない。
「でも私、優希君に自分の気持ちを伝えたら心底安心されて……もちろん心配してくれるのは嬉しいんですけれど、逆に言うと私の気持ちすらも信用して貰えて無かったって言う事ですよね」
 あの時の何とも言えないやるせなさを思い出す。
「でも今は信じてもらってるんだよね。前にも言ったけど人間ってマイナス思考の生き物だからどうしても悪い方へ考えちゃうんだよ。こればっかりはどんな時でも男性でも女性でもおんなじだからね。愛さんは空木くんの事、一回も疑った事、ない?」
 間違っても無いとは言えなかった。下手したら毎日雪野さんに心移りしてしまってるんじゃないかって不安に思ってるくらいなのに。
 私の表情でやっぱり分かったのか、笑いかけながら
「それだけ愛さんは空木くんの事が好きって事なんだよ。前にも言ったけど、人を好きになる上で “やきもち” ってとっても大切なんだよ。

なら、好きな人に一番に気にして欲しくて、自分をたくさん。ううん、自分

を見て欲しいって思っちゃうのは当たり前の事なんだよ」
 まるで私に言い聞かせるように言ってくれるけれど、それと私が優希君の心変わりに対して不安に思った事、疑ってしまった事と何の関係があるのかな。私が返事を出来ないでいると
「愛さんが聞きたい事、何でも良いから“遠慮”しないで何でもわたしに教えて欲しいんだよ」
 そう言って紅茶の入ったカップに口を付ける朱先輩。
「……朱先輩が私の思っている事を分かってくれるのは嬉しいんですけれど、私が優希君の事を好きって言うのと優希君が心変わりしたかもって言う不安を持つ――」
 自分で口に出して気付く。好きじゃなかったらどう心変わりしようが誰の事を好きなろうが関係ないし、むしろ今日みたいに好きでも何でもない人、露骨に私に下心を見せてくる人は困る。
 一方で優希君には私を、私

を見て欲しい。お付き合いを始めるまでは私を見てくれるだけで嬉しかったはずなのに、お付き合いを始めてからは私が彼女なんだから私を一番に見て欲しい、私だけを見て欲しい。
 じゃないと私以外の女の子、特に雪野さんを見てる時、雪野さんに対してどう思っているのか不安――
「そっか。大好きな人が私以外の女の子を見ている時、何を思っているのか分からないから不安になるんだ」
 目は心の窓って昔の人はうまい事言ったと思う。
 確かに優希君に見つめられると安心するし、違っていたとしても優希君と通じ合った気持ちにもなれるし、安心もする。
 でも優希君が雪野さんを見て微笑んだ時、私は、いつも自分の心が辛かったはずだ。
 そう。手を繋いだり、腕を組んだ時よりも……でもそれはそれでやっぱり辛いし、気持ちがざわつくけれど。
「そうなんだよ。だったら安心するためにはずっと自分だけを見てもらうしかないよね。でも実際にはそんな事出来る訳がなくて、周りにはたくさんの人がいるしクラスも違う。それに愛さんの知らない空木くんだけの付き合いもある。社会人になったらクラスどころか会社自体も違う。当然そうなると自分を一番に見てもらうどころか、自分を全く見てもらえない日、相手にしてもらえない日だってたくさんある。別の
同僚の女の子の方が、見てる時間も喋る回数も多く長くなる」
 朱先輩の言葉で、ほとんど今の優希君と雪野さん、それに私との関係によく似た今の状況を想像して、私の心が切なくなる。
「だからお付き合いを始める前より後の方が大変なんだよ。でもね忘れちゃダメなのが

不安に思う気持ちがあるって事なんだよ」
 朱先輩の一言に今日何回目かハッとなる。
「私が不安になるように、優希君も不安になってるって事ですか?」
 でも私、男の人と二人っきりにはなっていないし、特に倉本君とは二人きりにならない様に注意しているのに。
「そりゃそうなんだよ。愛さんと同じように空木くんだって愛さんが今何をしているのか分からないんだよ。マイナス思考が働き過ぎたら、今日は別の男の子と遊んでると思ってるかもしれないんだよ。愛さんにもっと分かり易く言うと、電話に出られなくて明日電話する事になったら、昨日は何をしてたんだろうって思っちゃうんだよ」
 もちろん愛さんが別の男の子と遊んでるわけ無いって言うのは今朝を見ても分かるけどね。と付け足す朱先輩。
 でも、何をしているのか分からない……か。確かにそうかもしれない。
「でも私、倉本君に二人っきりになりたいって言われても、ちゃんと優希君の目の前で断ったのに」
 見える所で断ってもやっぱり不安なのかな。
「……倉本くん?」
 朱先輩が、私の口から出た新しい男子の名前を聞き返す。
 私が朱先輩に相談に乗ってもらってると言う事もあって、私は優希君の事が好きで、その優希君の事を雪野さんが恋慕していて、一方倉本君が私に気があって、その倉本君と幼馴染の彩風さんがその幼馴染の壁を乗り越えようともがいている事などを一通り説明する。
「でもみんなの事、統括会としてのチームの事を考えると、私と優希君の関係をなかなか言い出せなくて……」
 自分で言ってて気づく。私は優希君の事が好きなだけなのに、どうして事が単純に運ばないのか。
 私が思考に飲み込まれている間に、朱先輩が正座したまま器用にカニ歩きの要領で横に動きもって私の所に来たかと思うと、私の正面に向き直って
「そりゃ空木くんが不安に思って当たり前なんだよ! そして先にご飯なんだよ!」
 私の両肩に手を置いたかと思ったらの一言。
 そして夕食を二人で作るために一度キッチンへお邪魔する。


 そして夕食を始めてからさっきの話の再開。
「愛さん。愛さんは自分が可愛いってちゃんと自覚した方が良いんだよ」
 なんか誰かからも同じような事を言われた気がする。それになんだか朱先輩の機嫌が悪いような気もする。
「でも私、他には倉本君くらいにしか好意を寄せられていませんよ?」
 そんなので可愛いも可愛くないも無いと思う。それに可愛いと言うなら目の前の女性の方がよっぽど可愛いし、親友の蒼ちゃんだって何をしてもあざとくならないくらいには可愛い。
 何より私はつい最近、全く意識していなかった男子からフラれている。
「愛さん。可愛いから声を掛けられる。可愛くないから声がかからないんじゃないんだよ」
 やっぱり朱先輩の機嫌が悪い。
「男子はあまりに可愛くて人気の高そうな女子に対しては尻込みをして“高嶺の花” 扱いで逆に声がかからなくなるんだよ。だから普通の身近に感じられる女の子が一番声を掛けられやすいんだよ。つまり! あまりに可愛すぎる愛さんみたいな女の子は、声がかけられないだけで男子の中では断トツの一位だったりもするんだよ」
 でもその朱先輩の口から出た事はそれを凌駕するくらい遥かな衝撃を私にくれた。
「可愛すぎるって……男の人ってそんなに見かけが大切なんですか?」
 それじゃあ将来とお金の保証があるのかどうかは知らないけれど、戸塚君に惹かれている女子とあんまり変わんない。それとどさくさに紛れて私が可愛すぎるって……さすがにそれは誇張が過ぎると思う。
 今の朱先輩なら口に出したらもっとすごい事を言われそうだから口にはしないけれど。
「愛さん? 人を好きになるのは勢いで出来るんだよ? 一目ぼれってさっきも言ったんだよ?」
 そうかぁ。一目ぼれってたまに聞くけれど本当にあるんだ……それも話の中だけだと思ってた。
 でも私としてはいくら可愛かろうが、色んな人から好かれようがあんまり意味は無くて
「私は、私が好きになった人。たった一人で良いから私の事を本気で好きになってくれて、大切にしてくれたら私は十分に幸せですよ」
 まあ、この場合は優希君なんだけれど。だから他の男子にいくら好かれようがカッコ良かろうが、私にはほとんど関係なかったりする。
「愛さんが良い子すぎるんだよ。でも、それだとやっぱり空木君がハラハラしっぱなしなんだよ」
 朱先輩の中で今どういう感情になっているのか、私を見る目が潤んでいる……ような気がする。
「良い? 愛さん。たった一人空木君に近づく雪野さんを見るだけで愛さんは辛いし、それで水筒も無いんだよね?」
「はい……」
 水筒の件を思い出して、雪野さんを想像して気分が落ちる。
「反対で、愛さんに男の人が一人近づいて来たくらいでは何とも思わないと思う?」
 ――ひょっとして僕に愛想尽かした?――
 ――良かった――
 不安そうな表情と、心底安心した両極端な表情をもう一度思い出す。
「……ひょっとして……純粋に優希君も不安?」
 疑ってるとかじゃなくて、私と同じ気持ちって事なのかな。
「そうなんだよ! やっと分かって貰えそうなんだよ。お互い自分を見てもらうまでが恋とか恋愛で、お互いの事を少しずつ知って行くのがお付き合いなんだよ。だからお付き合いを始めてからその人の色々な面を知るために二人で出かけるんだよ。そうしてお互いの事 “秘密の窓” を小さくして相手の “盲目の窓” も小さくしながらお互いに “解放の窓” を大きくして行くんだよ。この過程の中で “そう言う人だとは思わなかった” とか “ケンカ” はあるだろうし、喧嘩するたびに辛いし悲しいとは思う。でもそれを繰り返していく中でお互いの信頼「関係」は作り上げられていくし、その分時間もかかるんだよ。でも、愛さん達の今の現状はお互い窓を開けて信頼「関係」を築く前の話なんだよ。そんなの淋しすぎるんだよ」
 朱先輩の本当に寂しそうな表情を見ていると、
 ――自分勝手に壁を作って、取り繕って付き合う人間にわたしたちの事なんか
      何も教えられない。そんな女と信頼「関係」なんて出来るわけない――
 妹さんの言葉と力を無くした表情が、何故か重なる。
 そして妹さんの言葉に私自身も、自分の事を相手に伝える、教える “秘密の窓を開ける” 事で恥ずかしい思いや主にケンカなんかの嫌な思いもするかもって考えていたはずだ。
「愛さんと空木くんがお互いに “秘密の窓” “盲目の窓” を小さくして行けば、不安も消えて行くはずだしお邪魔虫さんに対する文句はあっても、空木くんと喧嘩する事は減って行くはずなんだよ。そうしたらゆっくりでも確実に信頼「関係」を築いて行けるんだよ」
 だからちゃんと怖がらずに優希君と話をしないとダメなんだと諭してくれる朱先輩。
 それにしてもお邪魔虫って……妹さんからの扱いと言い、雪野さんの扱いが散々な気がする。
「ただ愛さんが信頼「関係」を築いていくには、周りが大変だからしっかりと作る必要があるんだよ」
 まあ、気づいてしまったらややこしいとしか言いようのない人間関係。
 どうして男子と女子しかいないのにこれだけややこしくなるのか。
 ただ私の方も少しややこしくしてしまってるような気がしなくもない。
 金曜日の日、優希君に嫌な事を言うだけ言って、勝手に落ち込んでその場から立ち去ってしまった私。
 今更私の方から改めて話をしたいって言うのも言い辛い。
「分かりました。近いうちに話をしてみます」
 ただこれだけ時間を割いて朱先輩が丁寧に教えてくれたのに、弱音を吐くわけにもいかず返事だけでもって思ったのだけれど、やっぱり私の気持ちなんてお見通しなのか
「本当は明日って言いたいけど、明日空木くんに用事があったら大変だから水曜日。水曜日まで待つんだよ。それで水曜日にわたしから電話するから、それまでにちゃんと話をして聞かせて欲しいんだよ」
 朱先輩が私にとっては厳しい事を言う。
 でも朱先輩に言われてしまったら、私の方も実行するしかない。
 それでも私の緊張を見て取ってくれたのか
「大丈夫なんだよ。わたしはどんな事があっても愛さんの味方だから。だから愛さんはもう少しワガママになって空木くんに言いたい事言っても良いんだよ。そのかわり空木くんの話も聞いて欲しいんだよ」
 最後にはいつもの言葉をかけてくれる。
 その一言でなんとか話してみようと思えるのだから、朱先輩って本当に不思議な人だ。


 そして早い目のご飯も頂いて、もう夏に差し掛かろうかと言う長い日差しの残滓が群青に染め上げる部屋の中、朱先輩がぽつりと一言私に聞いてくる。
「そう言えば空木くんって妹さん。いる?」
「はい。一つ下のものすごく頭のいい妹さんがいますよ」
 でも何で優希君に妹さんがいるって分かったんだろう。私が不思議に思いつつ返事をすると、その話はそれで終わったのか、
「じゃあ外はまだ少し明るいけれど、結構時間は経ったし帰る?」
 時間を気にした朱先輩が声を掛けてくれる。
「はい。今日もありがとうございました」
 今年度に入ってから、特にゴールデンウィークを過ぎた辺りから、毎週朱先輩の家にお邪魔している気がする。
「愛さん。わたしと愛さんの間では遠慮は無しなんだよ。それとちょっと待っててね」
 私が何かを言う前に朱先輩がさっきの紙袋を手に、外出の準備を始める。
 私の不思議そうな表情を見た朱先輩が
「駅まで自転車で押して行ったら、そんなに重くは無いと思うんだよ」
 そう言ってくれた朱先輩と駅まで一緒に歩いて帰る。
「これ、駅から重たいけど大丈夫?」
 その途中私の最寄り駅からの事まで心配し始める朱先輩。このままだと家まで来ると言い出しかねない。
「大丈夫ですよ。それにこれは朱先輩が私のために集めてくれたものだから、その重さも感じたいんですよ」
 でもそこまでしてもらうわけには行かない。これは朱先輩から私への気持ちがたくさん詰まった紙袋なのだからそれを私が自分で受け取って自分の手に持たないでどうするのか。
「愛さん! わたしは本当に愛さんが大好きなんだよ」
 私の気持ちなんて関係なく、私に対する気持ちを体全部を使って教えてくれる朱先輩に、
「朱先輩今日も本当にありがとうございました! これを見ながら一度じっくり考えますね」
「うん。また何かあったらわたしに何でも言って欲しいんだよ」
 改めてお礼を言ってから駅でお別れをした。




―――――――――――――――――次回予告―――――――――――――――――
      『蒼ちゃん。ひょっとして咲夜さんに何か怒ってる?』
    変わり始めた立ち位置からの感情の発露。それは何を意味するのか
        「あら? 今日は彼氏とデートじゃないの?」
         お母さんだけには伝えてある優希君の存在
          「雪野さんとの話を聞いて欲しい」
          お互いに仲直りをしたいと思ってる

          「やっぱり愛美さんって可愛いね」

       66話  信頼「関係」 ~信頼の積み木 2 ~
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