第2話
文字数 883文字
冬が間近に迫った早朝の空気は、ぴんと張りつめていて清々しい。冬本番のような肌を突き刺す冷たさはなく、まだどこか優しさを残している。それでも踏みしめた土は、夜の間に溜め込んだ湿気を凍らせて、歩く度に時折ぱきりぱきり、と子気味いい音を鳴らしていた。ふと視線をあげると、小高い丘の葡萄畑で村人たちが隊列を作って果実を摘んでいるのが見える。ヴァンはその光景の懐かしさに、感慨深さを覚えた。幼い頃は毎年見ていたはずなのに、今は、はるか遠いおとぎ話の一場面を見ているようだ。「帰ってきた」という現実は、未だ宙に浮いたままだ。
石垣で仕切られた牧草地を抜けると、いよいよウィステリアの民が集う宿営地だ。白い天幕が、草原の上にまばらに設置されている。どうやら、まだ誰も活動をはじめていないようで、辺り一体は、しんと静まり返っていた。ヴァンは宿営地の入口に立つと、足を止めて深呼吸した。誰も起きていないのは、都合がよかった。──叱られるのは、妻からだけでいい。
ヴァンは、ひときわ装飾の豪奢な天幕へ向う。入口には黒い狼の牙と、白い鹿の角、青い鳥、それから赤や黄をはじめとした色とりどりの花を模した刺繍が施されている。ヴァンは久しぶりの我が家に少し戸惑いながら、恐る恐る中に入った。すると、すでに甘く懐かしい薫香が焚かれ、朝餉が用意されていた。家主の妻は、どうやら留守らしい。
「リアン、ただいま」
ヴァンは部屋の中央の祭壇に飾られた髪飾りに声をかけた。牡丹と藤を模した上品な細工の歩揺だ。たったひとつの、亡き前妻の形見。春の木漏れ日のような優しい色づかいが、彼女の愛らしい笑顔と重なる。ヴァンの記憶の中で時間を止めてしまった彼女は、いつの間にか一回り以上も年下になってしまった。
「リアンも私も、待ちくたびれました」
振り向くと、とげとげしい目線を送る妻、リーファンがいた。妻の手元の籠には、摘んだばかりの鶏卵と瓶に入った山羊の乳が見えた。ヴァンは、予想通りの妻の反応に気まずさを覚えながら、「ごめん」と素直に謝った。対し、妻は「もう慣れましたけど」とそっけない。
石垣で仕切られた牧草地を抜けると、いよいよウィステリアの民が集う宿営地だ。白い天幕が、草原の上にまばらに設置されている。どうやら、まだ誰も活動をはじめていないようで、辺り一体は、しんと静まり返っていた。ヴァンは宿営地の入口に立つと、足を止めて深呼吸した。誰も起きていないのは、都合がよかった。──叱られるのは、妻からだけでいい。
ヴァンは、ひときわ装飾の豪奢な天幕へ向う。入口には黒い狼の牙と、白い鹿の角、青い鳥、それから赤や黄をはじめとした色とりどりの花を模した刺繍が施されている。ヴァンは久しぶりの我が家に少し戸惑いながら、恐る恐る中に入った。すると、すでに甘く懐かしい薫香が焚かれ、朝餉が用意されていた。家主の妻は、どうやら留守らしい。
「リアン、ただいま」
ヴァンは部屋の中央の祭壇に飾られた髪飾りに声をかけた。牡丹と藤を模した上品な細工の歩揺だ。たったひとつの、亡き前妻の形見。春の木漏れ日のような優しい色づかいが、彼女の愛らしい笑顔と重なる。ヴァンの記憶の中で時間を止めてしまった彼女は、いつの間にか一回り以上も年下になってしまった。
「リアンも私も、待ちくたびれました」
振り向くと、とげとげしい目線を送る妻、リーファンがいた。妻の手元の籠には、摘んだばかりの鶏卵と瓶に入った山羊の乳が見えた。ヴァンは、予想通りの妻の反応に気まずさを覚えながら、「ごめん」と素直に謝った。対し、妻は「もう慣れましたけど」とそっけない。