第14話
文字数 2,177文字
◇◇
「おお〜。ヴァン、戻ったか。三日とは、最長記録だな」
シスル村の外れにある宿屋で、ディーマは昼間から飲んだくれていた。迷いの森でさ迷ったときから二十年。ディーマの腹周りはさらに大きくなって、最近の異名は"歩く酒樽"だ。
「もういいのか?」
ディーマの傍らにいる女性が、振り向く。
「ああ。お蔭さまで、親子水入らずの時間をたっぷり過ごしたよ。ネージュも帰らなくていいかい? エイカー領はすぐそこだ」
「たった三日で、たっぷりとはね。私は、勘当されてるからいい」
ネージュと呼ばれた女性は、ふふ、と楽しそうに笑う。恰幅のいいディーマとは対照的に、細身で品のよさを感じさせる短髪の女性。しかし、口調はさっぱりしていて、服装も男性のものだ。さしずめ男装の麗人といったところだ。そして何を隠そう、彼女こそディーマが誑かした令嬢、レラーブル家の末娘ネージュだった。
「表向きは、だろ」
ヴァンが笑うと、「まぁね」とネージュも笑った。
「ネージュの兄上たちは、いつオレたちを認めてくれるんだろうなぁ〜」
「君が痩せたら、だろうね」
ネージュは呆れた顔で、ディーマの腹を眺めた。
「そりゃ、無理だな。だははっ」
ネージュはわけあって、ディーマにそそのかされて以来、ヴァンたちと共にいる。彼女もまた、ヴァンと同じく古代メギ語の名を名乗る仲間だ。類は友を呼ぶのか、冒険好きが国境と身分を越えて出会ってしまった。
「おかえりなさい、ヴァンさん」
「おかりなしゃ〜い」
ヴァンたちの笑い声を聞いて、部屋から出てきたのは、サーリヤとピッケの二人だ。彼らもヴァンの旅の仲間だ。
ピッケは、ヴァンの姿を見るやいなや飛びついた。
「みてみて〜! ピッケね、ネージュにかみかざり買ってもらったの。村のお店にね、たーくさんあったんだぁ」
ピッケは髪に色とりどりの髪飾りをつけて、ご満悦だ。満面の笑みで、くるくると回ってステップを踏んでいる。
サーリヤは、顔の半分に包帯を巻いているので、その表情ははっきりとはわからない。が、おそらく、怒っている。というより、これは嫉妬だ。そんな空気が、サーリヤの身体から迸っている。ヴァンはすかさず、謝った。
「サーリヤ、留守にしてすまない」
「……リンガさんとレグナさん、うらやましいです。三日前の雷、あれ、レグナさんでしょ。絶対ボクの方が強いのに……。ボクの方が、ヴァンさんの役に立つのに……。ボクが息子じゃないなんて。おかしい……。おかしい……」
三日間、黙って留守にしたせいで、サーリヤの恨み節はすさまじい。
「サーリヤ、俺にとっては君も大事な家族だよ。数日とはいえ、寂しい思いをさせてしまったね。すまなかった」
ヴァンは、サーリヤの頭を優しく撫で、抱きしめた。すると、先ほどまでのサーリヤの怒気はすんなり引っ込む。
「いいえ……。大丈夫です」
表情はわからなくても、声質から照れているのがわかる。無表情なことが多い妻リーファンとレグナに鍛えられ、ヴァンはサーリヤの気持ちを汲むのが得意だ。
サーリヤは魔術師の中でも特異な存在の、呪術師だ。負の感情とその者の命を代償にする代わりに、強力な術を操る。魔獣の瘴気にも劣らない呪術師特有の禍々しい怨念は、いくらヴァンでも肝が冷える。レグナに匹敵する魔術師はそうそういないが、サーリヤならばレグナに勝るだろう。それほど、この少年には凄惨な過去がある。
「で、次はどこに行くんだ? 一度王都に戻るか? モルン様とカルト様に諸々報告しに行くか?」
ディーマが皿に残った煮汁を啜りながら、聞いた。その横で、ネージュが「行儀が悪い」と、険しい顔で窘めている。
「そうだなぁ。父上と母上に、報告しなきゃらならないこともあるしな」
ヴァンは王都にいる両親、つまりリンガとレグナにとっては祖父母にあたる人物に、旅の報告をする取り決めになっている。
「じゃあ、次は王都ルッカで決まりだな〜」
「そうと決まれば、早く行こう。明日は雪が降る。今のうちに馬を借りよう。ヴァン、私は馬借に話をつけてくる」
「え〜、今オレ酒飲んだばっかなんだけど?」
「知るか。君は走ってついて来るんだな」
ネージュはディーマにそういうと、さっさと宿屋の隣にある馬借へ向かった。
「本当に今からか〜? まいったなぁ」
「……痩せるいい機会ですよ……、ディーマ」
ネージュがいなくなったあと、サーリヤに追撃され、ディーマはたじろぐ。
「サーリヤも手厳しいなぁ〜、なぁ、ヴァン、助けてくれよぉ」
「諦めるんだな。分が悪い」
ヴァンは、ははは、と笑って外を見た。
雲は厚く、どんよりしている。
確かに、明日は雪になりそうだ。
王都にたどり着く頃には、シスル村もウィステア高原も雪景色になっていることだろう。次に、ここへ戻ってくるのは春だ。二十年ぶりに、あの白い精霊と対峙する。リンガと伴侶になることに納得はしていないが、聞いて確かめたいことがたくさんある。
「馬が借りれたよ」
戻ってきたネージュの言葉を合図に、一行はいっせいに宿を飛び出した。
空は曇天。
風は今、凪いでいる。
次の目的地は、王都ルッカ。
『我らの旅に、"星の子"エルの加護があらんことを』
ヴァンは神獣に祈りを捧げ、手網を強く握った。
「おお〜。ヴァン、戻ったか。三日とは、最長記録だな」
シスル村の外れにある宿屋で、ディーマは昼間から飲んだくれていた。迷いの森でさ迷ったときから二十年。ディーマの腹周りはさらに大きくなって、最近の異名は"歩く酒樽"だ。
「もういいのか?」
ディーマの傍らにいる女性が、振り向く。
「ああ。お蔭さまで、親子水入らずの時間をたっぷり過ごしたよ。ネージュも帰らなくていいかい? エイカー領はすぐそこだ」
「たった三日で、たっぷりとはね。私は、勘当されてるからいい」
ネージュと呼ばれた女性は、ふふ、と楽しそうに笑う。恰幅のいいディーマとは対照的に、細身で品のよさを感じさせる短髪の女性。しかし、口調はさっぱりしていて、服装も男性のものだ。さしずめ男装の麗人といったところだ。そして何を隠そう、彼女こそディーマが誑かした令嬢、レラーブル家の末娘ネージュだった。
「表向きは、だろ」
ヴァンが笑うと、「まぁね」とネージュも笑った。
「ネージュの兄上たちは、いつオレたちを認めてくれるんだろうなぁ〜」
「君が痩せたら、だろうね」
ネージュは呆れた顔で、ディーマの腹を眺めた。
「そりゃ、無理だな。だははっ」
ネージュはわけあって、ディーマにそそのかされて以来、ヴァンたちと共にいる。彼女もまた、ヴァンと同じく古代メギ語の名を名乗る仲間だ。類は友を呼ぶのか、冒険好きが国境と身分を越えて出会ってしまった。
「おかえりなさい、ヴァンさん」
「おかりなしゃ〜い」
ヴァンたちの笑い声を聞いて、部屋から出てきたのは、サーリヤとピッケの二人だ。彼らもヴァンの旅の仲間だ。
ピッケは、ヴァンの姿を見るやいなや飛びついた。
「みてみて〜! ピッケね、ネージュにかみかざり買ってもらったの。村のお店にね、たーくさんあったんだぁ」
ピッケは髪に色とりどりの髪飾りをつけて、ご満悦だ。満面の笑みで、くるくると回ってステップを踏んでいる。
サーリヤは、顔の半分に包帯を巻いているので、その表情ははっきりとはわからない。が、おそらく、怒っている。というより、これは嫉妬だ。そんな空気が、サーリヤの身体から迸っている。ヴァンはすかさず、謝った。
「サーリヤ、留守にしてすまない」
「……リンガさんとレグナさん、うらやましいです。三日前の雷、あれ、レグナさんでしょ。絶対ボクの方が強いのに……。ボクの方が、ヴァンさんの役に立つのに……。ボクが息子じゃないなんて。おかしい……。おかしい……」
三日間、黙って留守にしたせいで、サーリヤの恨み節はすさまじい。
「サーリヤ、俺にとっては君も大事な家族だよ。数日とはいえ、寂しい思いをさせてしまったね。すまなかった」
ヴァンは、サーリヤの頭を優しく撫で、抱きしめた。すると、先ほどまでのサーリヤの怒気はすんなり引っ込む。
「いいえ……。大丈夫です」
表情はわからなくても、声質から照れているのがわかる。無表情なことが多い妻リーファンとレグナに鍛えられ、ヴァンはサーリヤの気持ちを汲むのが得意だ。
サーリヤは魔術師の中でも特異な存在の、呪術師だ。負の感情とその者の命を代償にする代わりに、強力な術を操る。魔獣の瘴気にも劣らない呪術師特有の禍々しい怨念は、いくらヴァンでも肝が冷える。レグナに匹敵する魔術師はそうそういないが、サーリヤならばレグナに勝るだろう。それほど、この少年には凄惨な過去がある。
「で、次はどこに行くんだ? 一度王都に戻るか? モルン様とカルト様に諸々報告しに行くか?」
ディーマが皿に残った煮汁を啜りながら、聞いた。その横で、ネージュが「行儀が悪い」と、険しい顔で窘めている。
「そうだなぁ。父上と母上に、報告しなきゃらならないこともあるしな」
ヴァンは王都にいる両親、つまりリンガとレグナにとっては祖父母にあたる人物に、旅の報告をする取り決めになっている。
「じゃあ、次は王都ルッカで決まりだな〜」
「そうと決まれば、早く行こう。明日は雪が降る。今のうちに馬を借りよう。ヴァン、私は馬借に話をつけてくる」
「え〜、今オレ酒飲んだばっかなんだけど?」
「知るか。君は走ってついて来るんだな」
ネージュはディーマにそういうと、さっさと宿屋の隣にある馬借へ向かった。
「本当に今からか〜? まいったなぁ」
「……痩せるいい機会ですよ……、ディーマ」
ネージュがいなくなったあと、サーリヤに追撃され、ディーマはたじろぐ。
「サーリヤも手厳しいなぁ〜、なぁ、ヴァン、助けてくれよぉ」
「諦めるんだな。分が悪い」
ヴァンは、ははは、と笑って外を見た。
雲は厚く、どんよりしている。
確かに、明日は雪になりそうだ。
王都にたどり着く頃には、シスル村もウィステア高原も雪景色になっていることだろう。次に、ここへ戻ってくるのは春だ。二十年ぶりに、あの白い精霊と対峙する。リンガと伴侶になることに納得はしていないが、聞いて確かめたいことがたくさんある。
「馬が借りれたよ」
戻ってきたネージュの言葉を合図に、一行はいっせいに宿を飛び出した。
空は曇天。
風は今、凪いでいる。
次の目的地は、王都ルッカ。
『我らの旅に、"星の子"エルの加護があらんことを』
ヴァンは神獣に祈りを捧げ、手網を強く握った。