第11話
文字数 2,052文字
帰りの旅は、あっけなく終わった。
というのも、"星詠みの巫女"は魔術師でもある。つまり、リアンには使い魔というものがいて、その使い魔が、今回二人を樹海の外まで運んでくれた。
彼女の使役する使い魔は、背中に大人が四人ほど乗れるくらいの、赤褐色の大きな鷲だ。聞けば、その鷲が樹海で倒れていたヴァンを星花宮まで運んでくれたらしい。
鷲が大きな翼で二、三度羽ばたくと、星花宮はみるみる小さくなった。神獣エルの眠る巨大樹も、上空からみると、変哲のない普通の楡にしか見えない。ヴァンはこのとき、"星詠みの巫女"の隠れ里が、エル大山の山頂の窪みに位置していたことを初めて知った。それどころか、山頂がお椀で削ったように窪んでいることも知らなかった。
別れ惜しむリアンのために、鷲がエル大山の周りをゆっくり旋回する。すると、眼前に広がる景色もどんどん変わっていく。水平線の向こうまで広がる美しい景色に、ヴァンは思わず、ほうっと、ため息をついた。
北西の空と大地のはざまに覗く、隣国との境にある大河や、砂塵の街カクタスの赤い土。足元の明るい緑色のウィステリア高原には、ヴァンたちの住む天幕の白が粒となって点在していた。高原から下った、シスル村の葡萄畑や果樹園。
視界に入ってくる全ての景色が美しかった。
人の営みと自然が織り成す風景を見て、感じたものを素直に表すには、語彙が追いつかない。ヴァンはただひたすら、その感動を胸に閉じ込め、溢れないように口を噤んだ。ため息を漏らすことも、もったいなく思えた。
ただ、この経験はヴァンに恐怖とトラウマを植えつけるには十分だった。旋回後の、予告無しの急降下に肝は冷えきり、ヴァンは全身をガタガタと震わせていた。平地におりても脚が覚束ず、産まれたての小鹿のように足を絡れさせては、リアンに『大丈夫?』と心配される始末だった。ヴァンはあまりにも情けなさすぎて、「また乗りたいなぁ」などとあからさまな強気な嘘をついてしまった。
ヴァンが、震えながら鞍に乗せていた荷物を降ろしているあいだ、リアンは使い魔との別れを惜んでいた。この別れが済んだら、もうこれからは、"星詠みの巫女"ではない。ただの少女、リアンとしての始まりだ。
『さようなら。リーファンによろしくね』
羽毛に埋めていた顔を上げ、リアンが別れを告げると、鷲は大きな翼を広げて天に向かって鳴いた。そして、すぐさま一気に上空に飛び上がり、まっすぐエル大山に向かっていく。悠々と空を飛ぶ黒い影は、あっという間に雲に吸い込まれて、見えなくなってしまった。
使い魔を見送った後、二人はウィステリアの民が住まう宿営地へと歩き出した。そして間もなくして、ヴァンたちを探しにきた一族の捜索隊と出くわした。
元々近くにいた捜索隊は、鷲の鳴き声を聞いて、何事かと馬を走らせたようだ。捜索隊の大人たちは、ヴァンを見つけるやいなや、容赦なく罵詈雑言を浴びせる。
「トゥリンカ、お前に次期酋長の自覚はあるのか!」
「半月もどこをほっつき歩いていたんだ」
「長老様は、お前を心配して寝込んでおられるぞ」
等々、他にも乱暴な口調で、ヴァンに反論する隙を与えることなく叱責した。さらに、傍らのリアンの存在に気づくと、「
ヴァンはリアンに情けない姿ばかりを晒していることが恥ずかしくなり、身を小さくして「ごめん」「反省します」「もうしません」を繰り返すことしかできなかった。それを見たリアンは、愉快そうに笑っていた。それが、なんとなく嬉しくてヴァンはにやける。そこで、それを見た大人たちが、またヴァンを叱責する。この馬鹿みたいで、くだらないやり取りが、ヴァンにはとても愛おしく感じた。
帰りながら、ディーマが無事だったということも捜索隊から聞くことができた。さっきの「お前まで」はどうやら、ディーマのことだったらしい。一体何があったのか本人に聞いてみたいと思ったが、すでにディーマともども商隊一行はウィステリアを出立してしまったらしい。なんでも東側の隣国、聖ルブス公国の領主に大迷惑をかけたとかで、その謝罪行脚に行ったのだという。
「これもお前が、精霊を探すと言いだしたからだ!」
捜索隊のリーダーは、顔を真っ赤にして怒っていた。
家に帰ると、心配していた祖父が両手を広げ待っていた。骨ばったしわしわの手でヴァンを包み込むと、「森の精霊に喰われたかと思ったぞ」と声を震わせた。年老いた祖父に心配をかけたことは、心底ばつが悪かった。近年祖母を喪ったばかりの祖父に、悲しい報せを届けることにならなくてよかった、と心から反省した。
それに、曲がりなりにも跡取り息子であるヴァンを失うことは、一族にとっても大きな損失なのだ。亡きウィステリア小国の再興を密かに願う一部の人間にとっては、とくに問題だった。ヴァン自身は大したことはないと思っていても、看過できないことらしかった。
というのも、"星詠みの巫女"は魔術師でもある。つまり、リアンには使い魔というものがいて、その使い魔が、今回二人を樹海の外まで運んでくれた。
彼女の使役する使い魔は、背中に大人が四人ほど乗れるくらいの、赤褐色の大きな鷲だ。聞けば、その鷲が樹海で倒れていたヴァンを星花宮まで運んでくれたらしい。
鷲が大きな翼で二、三度羽ばたくと、星花宮はみるみる小さくなった。神獣エルの眠る巨大樹も、上空からみると、変哲のない普通の楡にしか見えない。ヴァンはこのとき、"星詠みの巫女"の隠れ里が、エル大山の山頂の窪みに位置していたことを初めて知った。それどころか、山頂がお椀で削ったように窪んでいることも知らなかった。
別れ惜しむリアンのために、鷲がエル大山の周りをゆっくり旋回する。すると、眼前に広がる景色もどんどん変わっていく。水平線の向こうまで広がる美しい景色に、ヴァンは思わず、ほうっと、ため息をついた。
北西の空と大地のはざまに覗く、隣国との境にある大河や、砂塵の街カクタスの赤い土。足元の明るい緑色のウィステリア高原には、ヴァンたちの住む天幕の白が粒となって点在していた。高原から下った、シスル村の葡萄畑や果樹園。
視界に入ってくる全ての景色が美しかった。
人の営みと自然が織り成す風景を見て、感じたものを素直に表すには、語彙が追いつかない。ヴァンはただひたすら、その感動を胸に閉じ込め、溢れないように口を噤んだ。ため息を漏らすことも、もったいなく思えた。
ただ、この経験はヴァンに恐怖とトラウマを植えつけるには十分だった。旋回後の、予告無しの急降下に肝は冷えきり、ヴァンは全身をガタガタと震わせていた。平地におりても脚が覚束ず、産まれたての小鹿のように足を絡れさせては、リアンに『大丈夫?』と心配される始末だった。ヴァンはあまりにも情けなさすぎて、「また乗りたいなぁ」などとあからさまな強気な嘘をついてしまった。
ヴァンが、震えながら鞍に乗せていた荷物を降ろしているあいだ、リアンは使い魔との別れを惜んでいた。この別れが済んだら、もうこれからは、"星詠みの巫女"ではない。ただの少女、リアンとしての始まりだ。
『さようなら。リーファンによろしくね』
羽毛に埋めていた顔を上げ、リアンが別れを告げると、鷲は大きな翼を広げて天に向かって鳴いた。そして、すぐさま一気に上空に飛び上がり、まっすぐエル大山に向かっていく。悠々と空を飛ぶ黒い影は、あっという間に雲に吸い込まれて、見えなくなってしまった。
使い魔を見送った後、二人はウィステリアの民が住まう宿営地へと歩き出した。そして間もなくして、ヴァンたちを探しにきた一族の捜索隊と出くわした。
元々近くにいた捜索隊は、鷲の鳴き声を聞いて、何事かと馬を走らせたようだ。捜索隊の大人たちは、ヴァンを見つけるやいなや、容赦なく罵詈雑言を浴びせる。
「トゥリンカ、お前に次期酋長の自覚はあるのか!」
「半月もどこをほっつき歩いていたんだ」
「長老様は、お前を心配して寝込んでおられるぞ」
等々、他にも乱暴な口調で、ヴァンに反論する隙を与えることなく叱責した。さらに、傍らのリアンの存在に気づくと、「
お前まで
、どこかの令嬢を誑かしたのか!」と、ひときわ大きな雷を落とした。ヴァンはリアンに情けない姿ばかりを晒していることが恥ずかしくなり、身を小さくして「ごめん」「反省します」「もうしません」を繰り返すことしかできなかった。それを見たリアンは、愉快そうに笑っていた。それが、なんとなく嬉しくてヴァンはにやける。そこで、それを見た大人たちが、またヴァンを叱責する。この馬鹿みたいで、くだらないやり取りが、ヴァンにはとても愛おしく感じた。
帰りながら、ディーマが無事だったということも捜索隊から聞くことができた。さっきの「お前まで」はどうやら、ディーマのことだったらしい。一体何があったのか本人に聞いてみたいと思ったが、すでにディーマともども商隊一行はウィステリアを出立してしまったらしい。なんでも東側の隣国、聖ルブス公国の領主に大迷惑をかけたとかで、その謝罪行脚に行ったのだという。
「これもお前が、精霊を探すと言いだしたからだ!」
捜索隊のリーダーは、顔を真っ赤にして怒っていた。
家に帰ると、心配していた祖父が両手を広げ待っていた。骨ばったしわしわの手でヴァンを包み込むと、「森の精霊に喰われたかと思ったぞ」と声を震わせた。年老いた祖父に心配をかけたことは、心底ばつが悪かった。近年祖母を喪ったばかりの祖父に、悲しい報せを届けることにならなくてよかった、と心から反省した。
それに、曲がりなりにも跡取り息子であるヴァンを失うことは、一族にとっても大きな損失なのだ。亡きウィステリア小国の再興を密かに願う一部の人間にとっては、とくに問題だった。ヴァン自身は大したことはないと思っていても、看過できないことらしかった。