第5話
文字数 1,625文字
「ちよっとやりすぎじゃないか」
「仕留め損ねて人里で悪さするよりいいでしょ」
「うん、まぁ……。いや、そうじゃなくて、お前……顔色悪いぞ」
心なしかレグナの視線が定まっていないような気がして、ヴァンは彼の顔を覗き込む。しかし、レグナは「大丈夫」と肩に置かれたヴァンの手を払いのけた。ヴァンは、躊躇 いのないその行為にどこか寂しい気持ちを覚え、苦笑いする。ちょっとくらい心配させてくれったていいのに、と心の中で拗ねた。とはいえ、これ以上、彼に突き放されてはたまらないので、「そうか」と納得したふりをする。
レグナがこういう性格をしているのは、ほとんど家に寄りつかない自分のせいだ、とヴァンは理解している。旅を始めたのは、レグナが生まれてからだ。だから、赤ん坊だったレグナがいつ歩き出したとか、言葉を覚えたとか、そういった類の記憶はない。さらにいえば、妻にたずねた覚えもない。ただ、はっきりと覚えているのは、出立するとき、毎回寂しそうにしていた幼いレグナの顔だ。母親譲りの躑躅 色の大きな瞳を涙で濡らし、じっとヴァンを見つめていた。素直に「行かないで」と泣きじゃくるリンガと違って、レグナは悲しみを静かに溜め込むタイプだった。レグナが甘えたい盛りの時期に、その手を振り解いてヴァンは旅に出ることを選んだのだ。それが何より大事なことなのだと思っていた。あの頃は──。
最低な父親だと、誰に言われても仕方がない。
(全部わかってて好き勝手やってるくせに、父親として頼ってほしいなんて。……虫がよすぎるよな)
「ヴァン! 大丈夫か?!」
酒場から恰幅のいい男が一人、飛び出してきた。彼はハンナの父親で、酒場の店主であるウドゥンだった。丸い顔を真っ赤に染め、肩を上下させている。酒場からさほど離れていないにも関わらず、彼はヴァンの元に駆けつけたときには、長距離を完走し終えたかのように疲れきっていた。額の汗を拭い、軽く呼吸を整えて、それからゆっくりとヴァンに話しかけた。
「……っはぁ、はぁ……、何やら、獣の咆哮やら雷鳴が聞こえたが」
「おお、今終わったぞ」
「さすがだな……。これは……、まさか魔獣か……」
ウドゥンは足元に散らばっている黒い塊を眺めながら、上擦った声で聞いた。
見た目は動物の骨のようだが、魔獣には独特の臭いがあった。猪や熊のような胸につかえる脂ぎった臭いとは違い、金属が腐ったような臭いだ。生き物でありながら、どこか生き物ではないような臭い。この臭いを嗅ぐと、三日は鼻に残る。
「あぁ、こんな大物は十年ぶりだな……」
ヴァンが神妙な面持ちで答えると、ウドゥンは、「あのとき以来か……」と顔を顰 めた。
「思い出したくもない。あのときヴァンがいなけりゃ、ハンナは魔獣に喰われてたんだ。……今回も、ヴァンに命を救われたな……」
「そりゃあ、大袈裟だ。ハンナなんて全然記憶にないんだから。大したことねぇよ。それに今回は、俺じゃなくてレグナがやってくれたんだ。俺だけだったら、仕留められなかった」
ヴァンは大手を振って、レグナがいた方を振り向く。が、そこにレグナの姿はすでになかった。立ち去る気配など全くしなかったのに、と胸騒ぎを覚える。姿が見えないだけではない。これだけ強大な魔術を使ったのに残滓がどこにもない。消し炭になった魔獣の残骸にも、全く痕跡が残っていない。そんなこと、あり得ない。
(レグナ、あいつ……。)
「レグナくんか! 彼は立派な魔術師になったと噂で聞いたが、そうか……、彼が」
ウドゥンの明るい声に、ヴァンは我に返る。感慨深そうに、「そうかそうか」とウドゥンが頷いているのを見て、今しがた感じた胸騒ぎはひとまず忘れることにした。
「照れくさくて、さっさと帰ったみたいだな。今度、挨拶に連れていくるよ」
「ぜひ、そうしてくれ。君たち家族は、いつでも来て好きなだけ、ウチで飲み食いしてくれ」
ウドゥンは、ヴァンの背中を力強く叩きながら笑った。
「仕留め損ねて人里で悪さするよりいいでしょ」
「うん、まぁ……。いや、そうじゃなくて、お前……顔色悪いぞ」
心なしかレグナの視線が定まっていないような気がして、ヴァンは彼の顔を覗き込む。しかし、レグナは「大丈夫」と肩に置かれたヴァンの手を払いのけた。ヴァンは、
レグナがこういう性格をしているのは、ほとんど家に寄りつかない自分のせいだ、とヴァンは理解している。旅を始めたのは、レグナが生まれてからだ。だから、赤ん坊だったレグナがいつ歩き出したとか、言葉を覚えたとか、そういった類の記憶はない。さらにいえば、妻にたずねた覚えもない。ただ、はっきりと覚えているのは、出立するとき、毎回寂しそうにしていた幼いレグナの顔だ。母親譲りの
最低な父親だと、誰に言われても仕方がない。
(全部わかってて好き勝手やってるくせに、父親として頼ってほしいなんて。……虫がよすぎるよな)
「ヴァン! 大丈夫か?!」
酒場から恰幅のいい男が一人、飛び出してきた。彼はハンナの父親で、酒場の店主であるウドゥンだった。丸い顔を真っ赤に染め、肩を上下させている。酒場からさほど離れていないにも関わらず、彼はヴァンの元に駆けつけたときには、長距離を完走し終えたかのように疲れきっていた。額の汗を拭い、軽く呼吸を整えて、それからゆっくりとヴァンに話しかけた。
「……っはぁ、はぁ……、何やら、獣の咆哮やら雷鳴が聞こえたが」
「おお、今終わったぞ」
「さすがだな……。これは……、まさか魔獣か……」
ウドゥンは足元に散らばっている黒い塊を眺めながら、上擦った声で聞いた。
見た目は動物の骨のようだが、魔獣には独特の臭いがあった。猪や熊のような胸につかえる脂ぎった臭いとは違い、金属が腐ったような臭いだ。生き物でありながら、どこか生き物ではないような臭い。この臭いを嗅ぐと、三日は鼻に残る。
「あぁ、こんな大物は十年ぶりだな……」
ヴァンが神妙な面持ちで答えると、ウドゥンは、「あのとき以来か……」と顔を
「思い出したくもない。あのときヴァンがいなけりゃ、ハンナは魔獣に喰われてたんだ。……今回も、ヴァンに命を救われたな……」
「そりゃあ、大袈裟だ。ハンナなんて全然記憶にないんだから。大したことねぇよ。それに今回は、俺じゃなくてレグナがやってくれたんだ。俺だけだったら、仕留められなかった」
ヴァンは大手を振って、レグナがいた方を振り向く。が、そこにレグナの姿はすでになかった。立ち去る気配など全くしなかったのに、と胸騒ぎを覚える。姿が見えないだけではない。これだけ強大な魔術を使ったのに残滓がどこにもない。消し炭になった魔獣の残骸にも、全く痕跡が残っていない。そんなこと、あり得ない。
(レグナ、あいつ……。)
「レグナくんか! 彼は立派な魔術師になったと噂で聞いたが、そうか……、彼が」
ウドゥンの明るい声に、ヴァンは我に返る。感慨深そうに、「そうかそうか」とウドゥンが頷いているのを見て、今しがた感じた胸騒ぎはひとまず忘れることにした。
「照れくさくて、さっさと帰ったみたいだな。今度、挨拶に連れていくるよ」
「ぜひ、そうしてくれ。君たち家族は、いつでも来て好きなだけ、ウチで飲み食いしてくれ」
ウドゥンは、ヴァンの背中を力強く叩きながら笑った。