第26話 理解できない視線<体の痛み・心の痛み>
文字数 7,117文字
そこには例の金髪の女の子が、今日は降ろした髪に手を当てて立っていた。
始めの一言は普通だったけれど、振り返って私を認めた瞬間、私に対する声色が全く別のものになる。
「わたし、これ以上近づくなってゆったよな?」
表情の方もまた、敵意を通り越して悪意に染まった表情でこっちに一歩近づいてくるのに合わせて、思わず私も一歩下がってしまう。
「ハァ? なんで先輩のアンタがわたしを怖がってんの? ……バカにしてんの?」
後ろの1オクターブ下がった声は気温さえも下がった錯覚を起こす。
でも分からない。私にはこの子に何かをした記憶も言った記憶もないのだ。なのにどうして私はここまで敵意をむき出しにされ、辛辣な言葉を向けられるのか。
「おいビッチ。何とか……ゆえよっ!」
「きゃっ?!」
答えられない私にイラついたのか、私に向かって短すぎるスカートの中が見えるのにも意に介さず土を蹴り上げられる。
「『きゃっ!』じゃねーよ。統括会の書記サマは言葉を喋れないの? それとも色仕掛けのつもり?」
そう言って、幸いにもかかる事は無かったけれども唾を吐きつけられる。
と言うか、私は統括会で書記をやっているって言う事――ああっ、全校集会の時か。幸いこっちはすぐに思い当たったから取り乱す事は無かった。それにしたって色仕掛けって……どういうことなのか。
一方私の落ち着きを認めた金髪の子の声のトーンが少し変わる。
「へぇ、少しは頭回るんだ」
でもそれも一瞬の事。金髪の子ユズちゃんが目の前まで来たと思ったら、何の前触れもなく私の襟首をつかんで、どこにそんな力があるのかそのまま私ごと持ち上げて
「アンタ……近づくなって言ってんのに……調子乗ってると、殺すぞ?」
一切の冗談も何もない、本気で一時の慶が発していたドスの聞いた声だった。
でも冗談じゃない。知らず気に障る事をしていたかもしれないけれど、そこまで言われるようなことをした記憶はさすがにない。
「離して」
私は金髪の子の手を払いのける。
金髪の子は私の行動にびっくりしたようだったけれど、私の家には口の悪い弟がいるのだ。始めこそびっくりしたけれどそう言う子だって思ってしまえばなんて事は無い。ただカナって子といる時とのギャップの大きさに戸惑いは残すけれども。
「アンタわたしをチクリに来たのか?」
本当なら呼び方も訂正したいくらいなんだけれど、今そこまでしてしまうと、もう話が出来なくなってしまいそうだったから、ここは私が妥協する事にする。
「なんでそう思うの? 統括会の人間が生徒を教師に売るわけないじゃない」
私が書記をしている事を知っているのならわかるはずなのだ。それを防ぐためにこうやって園芸部の活動場所にまで足を運んでいるのに。
「じゃあ園芸部が活動停止になったのを笑いに来たのか?」
その言葉と共に、金髪の子が再び私に敵意を向け始める。
「私の顔を見て笑いに来たって思う? 言える?」
だから私は園芸部を何とかしようと統括会としてここまで来てるんだって。
「人間ってのはな、心や本音ではなんて思っていようが、口では何とでも、表情だってどうとでも作れるんだよ。そんなもんで信用できるわけないだろ」
私の質問に蔑んだ表情で唾棄する。
「ホント、アンタの脳内はおめでたいな」
一言そう付け加えて、
「アンタ生徒を先生に売らないってゆったよな? じゃあ今わたしがアンタを殴っても誰にもバレないんだ」
悪意の混じった表情で私に問うてくる。その表情を見て“ああ、私を試すんだろうな”ってことは分かる。ただあのカナって子と一緒にいる時の事を考えると正直半々だと思う。
「うん私は言わない。でも私を見て変だなって思った人が先生に言うかもしれない」
私が言わなくても誰かが言うって言う事を伝えかったのだけれど、
「結局自分が言わなくてもって言う他人任せかよ」
そう言って私に軽蔑の視線を向ける。
「勝手にそう思ってればいいよ、ユズちゃ――『――っ?!』――っ!」
それは一瞬の事だったと思う。気がついたら私は園芸部活動場所の土の上にうつぶせにされていて左頬が尋常じゃないくらいに痛い。おまけに足も痛い上に口の中も鉄の味がする。
力いっぱいの平手打ちをもらうと同時に、右足を払われて地面に叩きつけられた事を理解――
「いたっ『アンタどこでその名前聞いた?! 誰に聞いたんだよっ! 誰に聞いたか聞きたくないけど今後二度とわたしの前でその名前を口にすんなっ!』――いっ!」
する暇もなく、私の背中に足を二度三度踏みつけるように置いてから、走り去ってしまった――涙声で。
取り敢えず意味は分からないけれど、そのままでいるわけにもいかないから起き上がって体中についた砂と埃を手ではたく。
その後、左頬も痛い上、口の中も多分切っているから、今日の所は切り上げていったんトイレで身支度を整えて、金髪の子にも言った手前、保健室に顔を出さずに足をかばいながらゆっくりと歩いて家に帰る。
家についた時にはもう相当左頬は腫れあがっていた。それになんだか首筋も痛い。
取り敢えず合っているかは分からないけれど冷シップを貼って夕飯の準備を始める。本当は文句の一つでも言ってやりたかったのだけれど、最後は泣いていた気がする。気がするって言うのはうつぶせで、背中を踏まれたから顔が全く見えなかったから。それでもあの最後の声は涙声で間違いないと思う。だから文句を言ってやりたかった興が削がれたのだ。
でもどうしてそれまでと違って名前を呼んで激高したのか。名前を呼ばれるのが嫌なのか。でもあのカナって子は普通に名前で呼び合っていたように思う。
「そう言えば……」
そこまで考えてふと気づく。私は今日初めてあの子と対面で喋ったって事に。
初めて喋った相手が知らない間に自分の名前を知っていたら、例え同性でも怖いかもしれない。それでも怖がることはあっても、激高する事ってあるのか。
普通は無いとは思うけれども、あの子の性格を考えたらあり得ない事ではないのかもしれない。
それにしてもやられた。間違いなく全力の一発だったと思う。口の中はもう大丈夫だろうけれど全力の一発をもらった頬は、尋常じゃないくらい熱を持っていて痛い。
しかもどこにそんな力があるのかは知らないけれど、襟首を持って私を持ち上げたり全力のビンタに足を払われたのもあって抵抗する事も叶わないまま地面にうつ伏せにされた。
一応私も女だから、この顔で明日学校に行くのは抵抗がある。ほんとどうしようか。それに、首筋の痛みも引かないし足も痛い。そして慶も帰って来るのが遅い。
先にお風呂に入るにしても今は間が悪い。仮に先にお風呂に入って万一にでも気づかれたら、それは女子学生の私からするといくら弟とは言え、もう惨事としか言いようがない。
つまり今の私は慶が帰って来るまで砂埃がついていようと、お風呂に入ることが出来ないのである。だから今できるのは、腫れあがった頬を冷やすか・中間試験の勉強くらいしかないのだ。
全く持って踏んだり蹴ったりだよ……その上、本当に踏まれてもいるから笑い話にすらならない。
仕方が無いので、頬を冷やしもって中間試験対策をする事にする。
夜も暗くなって一般的な星の観望をする時間になってやっと慶が帰って来る。
この顔だしどうしようかとも思ったのだけれど放っておくことも出来ないからと、
「ちょっと慶! 帰ってきたら挨拶くらいしなさいよ! この時間誰か分かんないと怖いでしょ」
やっぱり喋ると痛い。
「うっせーなって?! その顔どうしたんだよ?!」
悪態をつこうとこっちを向いた慶が目を剥く。
そうかぁ、慶ですら一目見てわかるのかぁ。明日学校行ってどう言おうか。それにお父さんとお母さんにも、どう言って説明しようか。
「ちょっとこけてぶつけたの」
明日蒼ちゃんも来ることだしどこで漏れるか分からないから、取り敢えず思いついた理由を言ってみる。
「はぁ? 普通ぶつけただけでそんななるかよ。昨日ねーちゃんが会ってた奴が原因なのかよ」
慶がまじまじと私の腫れている方の頬を見てくる。
「ちょっと慶。女の顔をじろじろ見んな。それより早くお風呂入って」
そう言って手でシッシっとお風呂場へ早く行けとジェスチャーする。
「ちょ?! なんだよ、人が心配してやってんのに、全然女らしくねぇ」
「本当に心配って言うんなら、もっと早く帰って来なさいよ。今何時だと思ってんの?」
もう痛くて喋りにくいんだから、あんまり喋らせないで欲しいってのに。
「んなもん、帰って来るまで分かんねーんだから、どうしようもねーだろ」
悪態をつけるだけついて慶がやっとお風呂へ入る。
「で、それ明日おとんとおかんが帰って来るんだろ? それ絶対に聞かれるぜ?」
これだけ腫れたら明日には引いてるって事はまずないと思う。
「てか病院は?」
確かに慶の言うとおりそれも考えはしたけれど、これで病院……外科で間違いないとは思うけれど、なんて言えば良いのか。ただ腫れているだけだし。
「ただ腫れているだけじゃ病院には行かないでしょ」
「確かにそうだけど……」
なんにしても中途半端ではある。せめて週頭なら両親が帰ってくるまでに腫れは引いたとは思うけれど。
「まあ、明日は早く帰って来るわ」
「早く帰って来るって、明日蒼ちゃんが来るからでしょ?」
慶は余計な事を考えなくて良いのに、
「はぁ? 何でひねくれてんの?」
慶が余計な気を回すから
「じゃあ蒼ちゃん断ろうか? お姉ちゃんの顔もこんなだし、明日は多分お父さんが帰って来るし」
慶の本音を引き出してやる。
「な?! せっかく約束してんのに断んじゃねーよ」
「だったら、余計な気を舞わなくて良いから、蒼ちゃんの前で恥かかなくていい様にちゃんと勉強しときなよ」
そう言って痛みで食べるのが遅い私より先に食べ終わった慶が自分の部屋へ戻る。
ほんと、こんな所で意地張ってるから、慶に春は来ないんだよ。続いてやっと食べ終わった私は帰ってからこっち、冷シップを貼り替えたり氷水をタオルに濡らして当てたりして、頬を冷やし続けているからか、左頬の感覚がおかしくなってる。
間違いなく明日は今日より痛くなってるだろうからお弁当も考えないといけない。
今日はもうどうすることも出来ないから、取り敢えず中間テスト対策を出来る所まで進める。
翌日、痛み自体は少しはましになったけれども、やっぱり腫れが引く事もなく左頬が赤く目立ってる。このまま学校に行くのは抵抗があったから、マスクをつけようと思い立つ。
「おとんとおかんが帰ってくるまでに、何か理由考えとかねーとアイツらねーちゃんの事好きすぎるからうっせーぞ」
珍しく早く起きて来た慶が私の頬を見てつぶやく。
「はいはい分かったって。今日は蒼ちゃんが新作のお菓子を持ってくるんだから早く帰って来なさいよ」
慶の蒼ちゃんに対する気持ちが実る事は無いけれど、慶が蒼ちゃんの前で気まずくならないように言ってんのに、
「もうそれ昨日の夜から何回も聞いてるっつうの」
面倒くさそうにお弁当箱を持って学校に向かう慶。
「あ! 今日はお父さんが帰って来るって連絡があったから」
最後に一言付け足す。そんな慶を見送って久々に普通の会話をしたって事に気付く。こうなって普通の会話が出来るって言う事に何とも言えない皮肉を感じる。
マスクをつけて教室に入れば、頬は目立たないだろうと思って教室に入ったはずなのに、
「おは――って?! その顔どうしたの?」
咲夜さんがびっくりして駆け寄ってくる。
「いやちょっと顔打って」
ここでも金髪の事の約束があるから、本当のことは言わない。
もし言ってしまえばあの金髪の子の試しに負けた気にもなるし、何より場所が場所なだけに園芸部に謂れの無い嫌疑がかかりそうで、それは統括会としても避けたいと思う気持ちもある。
私がそう考えて答えを濁しているのに
「いやーそんなに腫れるような打ち方はいくら何でもしないでしょ」
咲夜さんが慶と同じことを言って、私の左頬をまじまじと見てくる。
「……あんまり腫れてる顔、恥ずかしいから見ないでね」
いくらマスクをつけているとはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしいし、それにあんまり騒ぎを大きくしたくないっていう気持ちもある。
「聖女の顔に傷をつけるなんて許すまじ。愛美さん誰にやられたの?」
私の気持ちとは真逆にますます盛り上がる咲夜さん。ちょっとは私の意見も聞いて欲しい。それにしたって聖女って……
「私さっき自分で顔を打ったって言ったよね? 月森さん」
「え? いや、あたし愛美さんの心配してるだけなのに?!」
私の呼び方ひとつで慌てる咲夜さん。
「私、この顔であんまり目立ちたくは無いんだけれど?」
私だって年頃の女の子なんだから、こんな耳目の集め方はしたくない。
「はい、すみません」
やっと咲夜さんが分かってくれたみたいだ。
私たちのやり取りが終わったことを確認したからか、実祝さんまでもこっちに来る。実祝さんが自らクラスメイトの他の人の所へ移動するなんてことが無いから、
それだけでクラスの視線が集まってしまう。
「愛美。それ、誰にやられた?」
でも普段からクラスメイトの視線を気にしない実祝さんからすると、全く関係ないわけで、
「……」
咲夜さんに怒っているわけでも何でもないのに、実祝さんの雰囲気に咲夜さんの腰が完全に引けている。
「誰でもないって。自分で打ったの」
咲夜さんもいる手前、同じ回答を返す。でも実祝さんもそれで納得するわけもなくて私の腫れている方の頬に優しく手を当てて
「あたしの愛美に傷つけた奴……ヤる」
「え゛……」
実祝さんの不穏な発言に、あまり人前では出さない方が良さそうな声をあげる咲夜さん。
「ちょっと実祝さん。みんなこっちを注目してるから手を離して欲しいな」
中々手を離してくれないからと、こっちからお願いする。
「ん。分かった。で、誰にやられた?」
手は離してくれたけれど、私の話は聞いてくれていない。
「えぇ……」
私と実祝さんのやり取りを見て、咲夜さんが脱力するような声を上げる。
「ちょっと月森……さん。うるさい」
「ひ、ひゃい!」
実祝さんの注意に声が裏返る咲夜さん。
「ははっ」
そんな二人のやり取りに嬉しくて……そう、嬉しくて笑ってしまう。
「まあ今は愛美が笑ったから許すけど、愛美を傷つけた奴、あたしは許さない」
私の表情を見て、幾分実祝さんも雰囲気を緩くして、自分の席へ戻っていく。
実祝さんには絶対に金髪の子の事は言えないなと背中を見ながら考えていると
「なんか、夕摘さんって思ってたイメージと違うかも」
思わず笑ってしまった理由と同じ感想を咲夜さんが漏らしてくれる。
「だから私言ってるのに。実祝さんって話すと面白いって」
「夕摘さんって“姫”って言うより“麗人”だねー」
珍しく咲夜さんが私と同じ感想を口にする。
「だから“姫”って呼んじゃダメだよ。実祝さん自身も嫌がってるから」
実祝さんは姫って言うより可愛いでもなく美人さんなのだ。
しかし私のこの顔のおかげで実祝さんと咲夜さんの取り掛かりが出来たのは皮肉と言うべきかケガの功名とも違うなと思いながら、
「おーい。いつまで喋ってるんだよ? もう授業始まるぞー」
先生の掛け声とともに、午前の授業が始まる。
昼休み水筒とお弁当を取り出して、今の顔を見られるのは恥ずかしいから、どうやってマスクを取らずにお昼にしようかと考えていると、教室の出入り口が騒がしい事に気付く。にぎやかだと思いつつ、マスクを取ろうか取るまいか迷っていると、
「愛美さん、ご指名で~す」
咲夜さんがとてもイイ笑顔で私を呼びに来る。
「え? 私をご指名って?」
昨日の事もあるから、一緒にご飯を食べる事かと思って前の子の椅子を借りようとしたのだけれど
「愛美さん、それわざとだよね?」
かなりのあきれ顔で突っ込まれる。そんな事言ったって、この腫れた顔が恥ずかしいのだから周りなんていちいち気にしていられない。
「い・や・し・の副会長が、聖女の書記をご指名~」
私の態度に業を燃やしたのか、とても嫌な言い方をして、私の肩を叩き私の視線を教室の扉に誘導する。その視線の先には
『ご・め・ん・な』
私に手を合わせる空木君がいた。
私は一部の女子の黄色い声を聞こえないふりをして、お弁当箱を持って教室の扉に急ぐ。今まで私のクラスに一度も来たことが無かったのに、どうしてこんな顔の時に来るのか。私の気持ちなんて知る由もない空木君が廊下で待っているから、
「ごゆっくり~~」
咲夜さんの言葉を背に、
「後で少し話が出来たからね。月森さん」
黙って出て行くのも癪だったからと、
「なんで?!」
咲夜さんがこれ以上変な事を言わないように釘を刺して、教室のざわめきと黄色い声。
それに何故か不機嫌そうな実祝さんの表情を背に、空木くんの元までたどり着く。
―――――――――――――――――次回予告―――――――――――――――――
「そっちよりもこっちの方が日陰だよ」
色々な気遣いを見せる空木君
「……(くすっ)」
その笑いは何を意味するのか
「癒しの副会長とはいかがでして?」
咲夜さんの詮索
「……分かりました。じゃあお先に失礼します」
27話 合わさる視線<動く心>