第41話 2×52年8月 空港

文字数 1,855文字

  2×52年8月 空港

 ロビーの時計の下に帷子(かたびら)(しん)は立っている。隣で帷子綾子とその友達2名は輪になってお(しゃべ)りに夢中だ。そんな高校生の輪には目もくれず、大きなキャリーバックを(そば)に置いたまま、伸は流れる人混みを見回している。自分の頭上には大きな時計があるのにも関わらず、時々右手に持ったスマートフォンに目を落としては、左足を小刻(こきざ)みに()らす。
 ふと、伸の動きが止まる。それまでぐるぐると巡らしていた頭の動きが止まり、視線が一方向に固定される。それまでの機嫌(きげん)悪そうな表情が一気に明るくなるのを、友達と雑談しているかのようにしていた綾子は見逃さなかった。
 人通りの中をショートヘアにレモン色のワンピースの女性が近づいて来る。肩からバッグを下げ、更にキャリーバッグを(あつか)(づら)そうに引き()っている。スカートから(のぞ)く2本の素足が白く(まぶ)しい。柳田ことりも伸が見ているのに気付いて、ニコリと笑顔を見せると足を速めて近づいて来る。
「ごめん、待たしちゃった?」
 ことりは、伸の前まで来ると済まなそうな表情を作る。慣れない大きな荷物を持って人混みを()う動作が(つら)かったのか、息を切らしている。
「大丈夫だよ。まだ、健治が来てない。」
 伸は苦笑(にがわら)いを浮かべる。
「そっか。夏休みだからかな。乗り物はみんな混んでるね。」
 皆の荷物に並べてキャリーバッグを置くと、ことりは小さく溜息(ためいき)をつく。
「兄ちゃん、まだここで待ってるの?」
 (わき)から綾子が口を(はさ)む。
「ん?ああ、もう一人来てないからな。」
「じゃあ、ちょっとお店見て来て良い?」
「じっとしてられないのかよ。あんまり時間無いから、すぐ戻って来いよ。」
「30分で戻る。」
「15分!」
「え~。…いいよ、分かった。」
 高校生3人は連れ立って、売店のある方へ離れていく。伸は颯田(さった)健治の姿を人混みに探して目を()らす。妹の事など始めから気にしていない。ことりは人混みに(まぎ)れて行く3人の姿を目で追っている。
「ねえ、妹さん?なんてお名前?」
「ん?綾子。」
「綾子ちゃん。」
「そう。普通の名前だよ。」
「そう言えば、帷子君の『伸』って、伸びるって漢字を使うのは珍しいよね。名前の由来をご両親に()いたことある?」
「え?いや、訊いたことないよ。」
「お父さんが付けたの?お母さんが付けたの?」
「さあ、きっと父親だろうと思うけど。」
「ロスで会うから、訊いてみたら?」
 伸は返事をせずに人混みに健治の姿を探す。
「ねえ、機内は寒いかな。何か掛ける物出しておいた方が良いよね。」
「…ああ、女の子はその方が良いかな。でもここで荷物開くの?」
 伸はことりのキャリーバッグに目を()る。
「そうね。ちょっと、ここじゃ無理かな。」
「もう少し、人通りの無い場所に行って、出して来たら?俺、ここで健治が来るの待っているから。」
「ありがと。じゃあ、ちょっと行って来るね。」
 ことりはキャリーバッグを引き()って歩き出す。伸はことりがキャリーバッグを無事に動かすのを確認すると、視線を人混みに戻す。
「よう、お前、一人?」
 背後から颯田(さった)健治が近づいてきて、肩を(たた)く。伸は体をびくつかせるが、健治の顔を確認すると、思わず大きな溜息(ためいき)()らす。
「タイミング悪いなぁ。みんな待ちくたびれて居なくなっちゃったよ。いいか、みんな戻って来るまで、お前はここに居ろよ。」
「ああ、勿論(もちろん)。」
 原色のプリントTシャツにハーフパンツ姿で健治はおどけて見せて、一人笑った。

 空港内はどこへ行っても人だらけだ。女性用化粧室も例外ではなく、順番待ちの列ができている。ことりは、(せわ)しなく人が通る狭い化粧室の鏡の前に立ち、自分の外観におかしな所が無いか確認している。不意(ふい)に綾子が隣に並ぶ。蛇口(じゃぐち)に手をかざして水を出す。
「あの…、ちょっと()いて良いですか?」
 自分の手洗いを終え、ハンカチで()きながら綾子が隣のことりに声を掛ける。
「え、何?」
 まだ一度も口を()いていない綾子から、普通に声を掛けられ少し驚いたが、()ぐにことりは機嫌(きげん)良く応対する。
「えっと、柳田さんは、兄ともう一人の人の、どっちのカノジョさんですか?」
「え?どっちでもない。友達だよ。」
 ことりはドギマギしている。
「ふーん。そうですか。」
 綾子は平坦(へいたん)な声で答えると、そのまま化粧室を出ていく。呆気(あっけ)にとられたことりは、ただ綾子の後ろ姿を見送る。
 何?今の。あんな可愛い感じの子が、何故(なぜ)不躾(ぶしつけ)にあんな事を()くのだ。
(あや)、どうだって?」
 友達が綾子に話し掛ける声が外から聞こえてくる。ことりは洗面台の蛇口(じゃぐち)に手をかざすと、流れ出る水で強く手を洗った。
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