第93話 2×39年3月(13年前) 空港

文字数 1,811文字

  2×39年3月(13年前) 空港

 空港の全面ガラスの壁面から見える空は快晴だ。太陽の光が草原(くさはら)や滑走路、機体などあらゆる物に反射して空気を光で満たし、ガラスを通して入り込み、ロビーから外を(なが)めている帷子(かたびら)孝一の目を(まぶ)しくしている。孝一はスーツで身を固め、スプリングコートを右手に持ち、左手にビジネスバックを握りしめている。彼はその姿で人々が行き()う広い国際線ロビーの真ん中に立っていた。1人。通り過ぎる人が彼を避けて歩いているのに気にならないのか、外から射し込む光彩(こうさい)に目を(うば)われたまま動こうとしない。だが、確かに(ひとみ)はガラス越しの晴れた空に向けられているが、焦点は定まらずぼんやりとしている。
 足音が近づいて来る。聞き覚えのあるその足音を聞くと、孝一は音のする方を振り返る。マイクが人の往来(おうらい)()い、孝一の元へ向かって来るのが見える。一世代前のAIロボットだ。如何(いか)にも作り物の顔をしている。足音の(ぬし)がマイクだと分かると、孝一は視線をまたガラス越しの青空に(もど)す。
 足音がすぐそばで止まる。
(しん)達はどうした?」
 ガラス越しの世界を見たまま、孝一が()く。
「おもちゃを見に、売店に行きました。」
「そうか。…それじゃあ、行くかな。」
 孝一は足元に視線を落とす。
「奥様にご挨拶(あいさつ)しないのですか?」
女房(にょうぼう)には、昨日の夜に言ってあるから。理恵が2人を連れて行っている間に、私はいなくなる事になっている。これで伸や綾子の顔を見たら、踏ん切りが付かなくなっちまう。」
 マイクはもうそれ以上何も言わない。機械のマイクにも、孝一の気持ちは推測できる。それ以上の会話は必要無い。
 帷子孝一は、彼の開発したロボット技術が評価されて、米国のPGM社に招聘(しょうへい)される。公式には優待(ゆうたい)だが、内実(ないじつ)は違っている。公言することは(たく)みに避けられているが、AIロボットは戦略物資だ。大国では、生身(なまみ)の人間に代わり、AIロボットが兵士として配備され始めている。より人間に近い、人間と識別不可能な(ほど)精巧(せいこう)なロボットが出来(でき)れば、人間は安全な後方の指揮施設から指令を出すだけで戦闘が出来る。敵の攻撃を受けても、国民の血を流さずに済む。戦場でロボットが自己判断して行動できれば、作戦すらロボットに任せ、指令は目標を伝えるだけで済む。どこの国もAIロボット開発は極秘(ごくひ)兵器の開発と密接に関わっている。いや、むしろそのものと言って良い。
 日米協定に基づき、帷子孝一は米国の兵器開発に参画(さんかく)させられる。(ことわ)る選択肢は無い。自分と家族の安全を考えれば、(たと)え家族でもこれを話す事は出来ない。それでも、孝一は1つだけ条件を出した。
『私は米国に行くが、家族は日本に残す。日本政府が家族の安全を保障してくれ。』
 米国に敵対する組織による破壊工作は、軍事関連メーカーにも(およ)んでいる。最悪、自分がターゲットになっても、1人ならば自分の身の上だけ心配すれば良い。万一の事態になっても自分が覚悟を決めれば良いだけだ。勿論(もちろん)そんな事が無い(よう)に、米国は孝一の安全を保障してくれるが、保障する以上、行動は制限される。自分が不要になるまで米国政府のコントロールから逸脱(いつだつ)する事は許されない。
「伸と綾子には行ったと伝えてくれ。誕生日のプレゼントは忘れないからって。あの子達は大丈夫だ。私の子だ。少し(くらい)逆境(ぎゃっきょう)じゃあへこたれないさ。伸は、私など置き去りにして、どこまでも伸びて行く様に名付けた。綾子は、自身の可能性をいくらでも(つむ)ぎ出せって気持ちを込めたんだ。きっと私の思いに答えてくれるだろう。」
「分かりました。」
「そうだ、PGM社に入ったら、マイクの躯体(くたい)は最新のPGM社製に交換しよう。良いかい?」
「良いです。データは継承(けいしょう)されるので、なんの問題もありません。」
「これから、お前が私の代わりに理恵達を守るんだ。任せたぞ。」
 孝一は最後にチラリとマイクの顔を見た後、ゲートに向かって歩き出す。マイクは黙ったままその場に残る。1歩ずつ遠ざかるにつれて孝一の背中は小さくなる。やがて人の往来(おうらい)が視界を(さえぎ)り、孝一の存在を見失ってしまいそうだ。孝一の姿がゲートの入り口を通り消えて行くまで、マイクは身動きせずに立っていた。
「ねえ、お父さんは?」
 パタパタと軽そうな足音が()けて来て、小さな手がマイクの手を(つか)む。見下せば、逆にマイクを見上げている伸の視線とぶつかる。
「お父様は、今、ゲートを抜けて行かれました。」
 マイクは出来るだけ優しく、静かに伝えた。
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